同修の不足が見えたとき寛容になるべき
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文/中国吉林省の大法弟子

 【明慧日本2023年3月31日】私は1998年に大法を修煉し始めました。多くの不思議なことを体験しましたが、ここで私が体験した二つのことを同修のみなさんと共有したいと思います。

 同修の不足が見えたとき寛容になるべき

 ある日、法輪功迫害の真実の資料を印刷していました。そこへ同修が持ってきたお守りカード(中国の同修の間ではお守りと呼ばれているカード)の図案が、二重になってぼやけていたので、不満に思い、文句を言い始めました。

 なぜなら数日前、私が迫害の真相を伝えていたとき、相手は私が渡した精巧なお守りを見て、「とても美しい! なんて精巧なんだろう! あまりにも美しい!」と嬉しそうに褒めてくれたのです。なんて心のこもった褒め言葉なんでしょう。美しく精巧な真相資料は、世の人々を救うことにとって、とても大切なものだと感じていて、お守りの製作や品質にさらに気を配るようになっていました。

 しかし、目の前のお守りを見ると……私は、規格外の資料を無責任に人に渡すわけにはいかないと思いながらも、このお守りを処分することによって自分が罪を犯すことを嫌っていたため、私心が交じり、文句を言い始めました。私が「どうしよう。どうしてこんな無責任なことができるのか! これは失礼だ……」と言った時、プリンター用紙が「スイーッ、スイーッ」と次々と抜け出して来たので、私は唖然としてしまいました。すぐに私が間違っていたことに気がつきました。

 慌てて内に向けて探したところ、同修に対して、文句を言うべきではなかったと分かりました。私は急いで師父に自分の間違いを認めました。師父、私が間違っていました! 私は同修に対して文句を言うべきではありませんでした! すると、すぐにプリンターは正常な状態に戻りました。

 大法の修煉は、人のためのものであり、いかなる利己的な考えや偽りのものを混ぜてはいけません。しかも、大法弟子は一体であり、大変仲が良くなければならず、お互いに協力し合い、寛容な気持ちで接しなければなりません。

 師父、慈悲深く悟らせてくださったことに感謝申し上げます。

 自転車に乗った私が、タクシーとぶつかった時の奇跡 

 ある冬の日、果物を買ってからの帰りに、タクシーに出くわしました。広い道路には、私と向こう側から走ってくるタクシーしかありませんでした。ところが、そのタクシーが急に方向を変えて、斜めの方向から私に向かってくるのが見えました。私の右側には高さ15cmほどの氷柱があり、タクシーが猛烈なスピードで迫ってきたため、瞬時に私の自転車は押し込まれてしまい、タクシーを避けるためには、氷柱に沿って移動せざるを得ませんでした。タクシーのバックミラーと私の自転車のハンドルがぶつかり、「ガシャーン」という大きな音がし、タクシーと自転車は擦れ違いました。タクシーのバックミラーが自転車とぶつかって粉々になり、地面に落ちましたが、私の自転車のハンドルは全く動かず、まるで私はぶつからなかったかのように、何も感じることはありませんでした。本当に奇跡でした。

 運転手は車から降りて私を叱りました。私も慌てて自転車から降りました。相手の間違いであることは分かっていましたが、修煉は人のためであり、彼のために考えなければなりません。そして私は、次のように考えました。私は修煉者だ、彼とは争わない、もし、彼に理不尽に賠償しろと言われたら、賠償するしかないのかと考えていました。

 運転手は「あなたは氷を避けるためだけだった!……」と騒ぎ立てていました。運転手は自分に非があることがわかっていたため、面子を保とうと筋の通らないことを言い張っていました。私はただ笑顔で彼を見つめていました。今思えば、危い状況を前にしても自分が冷静沈着で、まったく恐怖を感じなかったことに驚きました。

 ところが、なぜか家に着いてベッドの上に座ると、足に力が入らず全身が震え、恐怖で震えが止まらなくなりました。それは、私のわかっている一面が危険を目にし、またその危険から師父が私を救ってくださった一連の流れを見たからだと思います。

 危機一髪のなか、私を守り、命を救ってくださったのは師父でした。そうでなければ、その結果は想像を絶するものでした。私の小さな自転車のハンドルがぶつかって、タクシーのバックミラーを粉々にしながら、動かず、何も感じなかったのでしょうか。師父のご加護がなければ、片側が車、もう片側が氷で、車の慣性で壊れていたのは、バックミラーだけではなかったでしょう。師父の慈悲深い保護と救い済度に感謝致します。

 私は師父の慈悲なる保護の下、広々とした佛恩を浴びています。中国共産党による残酷な迫害が行われている環境にいながら、私は邪党の残酷さを恐れません。心の中に法があったため、私はとてもとても幸せです。私にはいつも師父がそばにいらっしゃいます。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/15/457722.html)
 
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