10年間拘禁され 四川省の朱召傑さんは死亡
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 【明慧日本2023年4月6日】四川省攀枝花市米易県の法輪功学習者・朱召傑さん(男性)は、中国共産党の江沢民グループが1999年7.20、法輪功迫害を引き起こしてから、深刻な迫害を受けた。朱さんは労働教養処分1年を科されたことがあり、9年もの実刑判決を下されたことがある。そのうえ、当局の社会保障局が朱さんの年金を停止した。朱さんは心身ともに大きなダメージを受けた末、2023年2月21日にこの世を去った。享年69歳。

 朱さんは自営業をしており、米易県攀蓮鎮の鉄建村に在住していた。法輪功を学ぶ前、朱さんは重い肺結核を患っていた。1994年、法輪功を学び始めた朱さんは病気が完治し、心身ともに健康を取り戻した。

 一、四川省綿陽新華労働教養所で1年拘禁

 2000年1月10日、労働教養処分を受けた朱さんは、四川省綿陽新華労働教養所に送られ、1年間拘禁された。教養所で朱さんは強制洗脳され、軍人の姿勢で立たされ、長い距離を走らされ、服を脱がされて長時間雪の中に立たされるなどの迫害を受けた。

 教養所第二中隊に移送された朱さんは煉瓦を運ぶ重労働を強いられた。朝5時に起き、2時間立たされた後、夜10時まで、休憩なしで窯から煉瓦を運ばされた。

 朱さんは2014年に明慧ネットへの投稿で、「私たちは、焼き上がったばかりの煉瓦を冷却しないうちに、煉瓦窯から、煉瓦を運び出すように強いられました。暑い真夏に、綿の服を着、藁を詰めたゴム靴を履き、ゴム手袋をはめて、急いで窯から煉瓦を運び出していました。綿の服は汗でびっしょり濡れました」

 「毎日、このような長時間の厳しい労働は、5カ月間一日も休まずに、2000年10月まで強要されました」と書かれた。

 二、警官の猛打によって脳震盪に

 2002年11月2日朝、朱さんは西昌市城区の借家から警官に連行され、当日の夜に鉱炭旅館に拘束された。

 翌日の朝早く、警官2人は朱さんの髪を掴んで壁に叩きつけ、拳で殴り、手錠で殴った結果、朱さんの手や体、足から血が流れ、壁にまで飛び散った、警官は殴り疲れ、お茶を飲んで、しばらく休んでから、また、朱さんを殴り、翌朝まで続けた。そして、警官は傷だらけの朱さんを米易県公安局留置場に連れて行った。

中共酷刑示意图:殴打

拷問のイメージ図:猛打

 朱さんは生前、「留置場で警官はさまざまな方法で私を苦しめました。警官は私の乳首を締め付けたり、足枷をつけたり、監視したりしました。迫害で私は立てなくなりました」と話した。

 米易県公安局留置場に1年3カ月拘禁された後、朱さんは同県裁判所に懲役9年の重刑を言い渡された。同裁判所は同時に、法輪功学習者・朱春明さんに8年、劉龍雲さんに9年、闕発秀さんに8年、郭光秀さんに7年の判決を下した。

 三、楽山市五馬坪刑務所で受けた拷問

 2004年2月、朱さんは楽山市五馬坪刑務所の入監隊に収容された。当時、入監隊は零下3~5℃で雪が積もった山頂にあった。朱さんは入監隊で、刑務所のルールを覚えさせられ、当局を賛美する歌を強制的に歌わされ、罪を強制的に認めさせられ、屋外に立たされるなどの迫害を加えられた。

 3カ月後、朱さんは四監区という厳しい管理隊に移送された。朱さんは二十数人の法輪功学習者とともに警官らから残酷な拷問を受けた。法輪功を誹謗中傷するビデオを見せられ、殴打、軍人の姿勢で立たされ、走らされ、刑務所のルールを覚えさせられた。ルールを暗唱できないと、真夏に太陽の真下に立たされ、真冬には屋外に立たされ、食事を与えないなどの迫害を受けた。

 朱さんは生前、「迫害に抗議するため11日間断食を行いましたが、集中管理隊に入れられました。私は、1日中太陽の真下に立たされ、熱い石の上に裸足で立たされ、しかも、片足ずつ革靴で足を踏まれました。私はその場で倒れたのですが、両足がやけどし、水ぶくれができてしまい、立ち上がれなかったので、警官にそのまま引きずられて部屋に戻されました」

 「断食中に、私は強制灌食されました。警官が8人の受刑者に命じて私を地面に押さえつけ、鼻からゴムチューブを入れ胃に挿入しました。そのため、私の口は裂け、鼻は血まみれになりました。そのような灌食を何度も繰り返されました。20日以上、睡眠も許されませんでした」と述べた。

 朱さんは瀕死の状態まで拷問を受けた。警官は、「おまえは殺さないが、拷問して死よりもひどい目に遭わせてやる」「1年365日、お前を365の方法で苦しめてやる」などと脅した。

示意图:中共监狱中的奴工在遭受迫害。

イメージ図:刑務所で強制的な奴隷労働

 第4監区では、法輪功学習者に対して強制「転向」を行った。「転向」しない学習者は、強制労働を強要され、朝から晩まで、「電子ネットワークコイル」という商品を作らされた。6年以上毎日、長い時間蛍光灯の下で作業を続けたため、朱さんの目は大きな損傷を受けた、両目が酷い近視状態になり、道が良く見えなくてよく転倒した。しかも、報酬も無く、無給だった。警官、刑務所の所長は外部の者と結託し、この「電子ネットワークコイル」を深センの電子会社に売って莫大な利益を得ていたという。

 朱さんは刑務所から帰宅した後、妻に離婚された。その後、社会保障局から年金の支給も停止された。経済的迫害は朱さんに大きな精神的ストレスを与え、肉体的迫害を加えられた結果、朱さんは2023年2月21日に死亡したという。

 攀枝花市は四川省の南西端に位置し、人口1123万人の県級市である。不完全な統計によると、1999年7月から2021年までの22年間、中国共産党による法輪功迫害の中で、攀枝花政法委員会の610弁公室は法輪功学習者を残酷に迫害し、少なくとも65人が迫害され死亡した。106人が不当に判決を下され、そのうち、46人が5年から10年の実刑判決を受けた。112人が1年から3年の労働教養処分を科された。数千人が拘留や拷問を受け、金も強制的に取られた。家宅捜索や不当拘留、殴打などの迫害は、数え切れないほど発生している。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/25/458107.html)
 
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