中国法会|留置場で不当な拘禁中、正念と善行で状況を変える(3)
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文/湖南省の大法弟子

 【明慧日本2023年4月7日】(前文に続く)

 2回のインフルエンザは私には全く関係なかった

 2017年から2019年にかけて、1年が終わり1年が始まる(どの年かは覚えていない)間に、留置場内でインフルエンザの流行が2回ありました。その時、監房には20人ほどがいて、私が一番年上で、他の人は20代から50代くらいでした。毎日24時間、みんなが一つの部屋で食べたり飲んだり寝たりしていました。

 2回のインフルエンザ発生時には、よもぎの葉を一日中監房内で燃やしました。年齢や体格に関係なく誰も免疫を持っておらず、中には繰り返し感染する人もいましたが、私だけは何も問題ありませんでした。

 ある時、私の後ろに座っていた人が「おばさん、あなたは私から離れてください。私があなたに、うつしてしまうかもしれませんから」と言いました。私は「大丈夫です、私は何も問題ありません」と言いました。周りの人は法輪大法の神秘的で超常的な力を直接目の当たりにし、数人が家に帰ってからも法輪功を修煉するつもりだと言いました。

 高官の妹が正義の声を上げたので災いが転じて福となった

 監房の中には、兄が捕まったことによって巻き込まれた1人の人がいました。その人の兄は副庁級(訳注:中国の政治行政の等級は「国家級」「正部級」「副部級」「正庁級」「副庁級」「正処級」「副処級」「正科級」「副科級」という9の等級に区分されており「国家級」は最高級であり「副科級」は一番下のレベルである)幹部で、収賄容疑がかけられており、その人自身も賄賂容疑がかけられ、金額はもうすぐ1000万元でした。家族は有名な弁護士に50万元を支払いましたが、半年以上経った今でも、弁護士は被告人(訳注:その人)にも会っていませんでした。

 私が留置場に入った時、その人と同じ監房でした。その人は普段夜勤をすることがなく、自分が夜勤になった時には、代わりの誰かに金銭を支払って夜勤をしてもらっていました。最初は、その人は私が真相を伝えることに全く興味を示しませんでした。時間の経過とともに、その人は私が他の人たちとは異なる言動や振る舞いをしていることに気づき、積極的に私に話しかけるようになりました。私が何度も真相を伝えた結果、その人は党を脱退し、そして「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」という心からの九文字を誠心誠意念じるようになりました。

 不思議なことに、弁護士がその人に会いに来ました。弁護士はその人に、6カ月前に案件処理部門が面会を妨害し、家族が支払った弁護士費用の70%がその人の家族に返還されたことを伝えました。そして、案件が非常に複雑であることと、家族がもう1人の弁護士を雇ったことをその人に伝えました。ある時尋問された後、その人は監房に戻って、泣いて目が赤くなっており、弁護士から10年以上の判決を受ける可能性があると告げられたと言いました。その人の話によると、その人の案件は何回も収監される施設が変わり、いくつかの案件処理部門に移されたとのことでした。私はその人を慰め、焦らないようにと言いました。そして「事を謀るは人に在あり、事を成すは天に在り」ということわざがあるように、自分でできることをやり尽くしたら、あとは天に任せましょう、ということを言いました。また、私はその人に「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」という心からの九文字を誠心誠意念じるように伝え、重要な時に大法のために正義の声を上げることができれば結果は異なる可能性があることを伝えました。すると、その人は静かになりました。

 その人が大法の素晴らしさを深く理解するにつれ、その人は私をますます信頼し、関係は良好になっていきました。その人は家に帰った後も法輪大法を修煉すると言いました。もし私がいない時に、真相を知らない人が法輪大法を批判したり私について何か言った時、その人は立ち上がり、大法のために正義の声を上げ、私のために説明をしてくれました。その人は私に対して、もし誰かが私について何か言ったり法輪大法について何か言った場合それはその人自身について言われたような気がする、ということを言いました。

 案件処理部門が再度その人を取り調べるためにやって来るという時、その人は非常に心配していました。その人は私に対して「今回の案件処理部門の来訪について、どのような結果になるのか、有罪判決になるのか、それとも他の処理になるのかわかりません」と話しました。その時私はすぐに「早く家に帰れることを祈っています」と言いました。その人は「どうしてそんなことがわかるのですか?」と言いました。その時私はその人に説明しませんでした。実際、私はその時の結果がどうなるのかを知りませんでした。しかし、生命はすべて大法のためにやって来たのであり、その人はすでに大法の素晴らしさを理解し、三退し、大法を守り始めたので、その人は福報を受けるでしょう。

 結局、その人を取り調べるということでしたが、監房に戻さずに、その人を直接家に帰らせました。その人は10日以上経ってから、留置場に来て私に500元以上のお金を私に預けてくれました。

 所長は「この人は座禅を組む時に靴を履いても構いません」と言った

 留置場に1年以上滞在しましたが、私の行動は同じ監房の人たちから認められていました。明らかなことは、監房の中ではほとんど人が食事を残すことがないことでした。大法の師父が弟子たちに身をもって手本を示した物語を私が監房の人たちに話し、その話をすることによって私自身もほとんど食事を残さなくなりました。監房の人たちは、食べきれない食事をトイレに流していました。私が食事を残さないのを見て、監房の人たちは好奇心を抱き、自分たちも資源を大切にすることを理解し、できるだけ食事を残さないようにしました。

 留置場で、私は警官たちから徐々に認められるようになりました。2018年の12月のある日、寒々しい天気で、監房の中は他の受刑者たちが寒さのために1列に並んでそのまま足踏みをしている中、私はベッドの上で座禅を組んで『洪吟』を暗唱していました。監房の見回りの時、所長が私の前まで直接歩いてきて、とても丁寧に私に「この人は座禅を組む時に靴を履いても構いません」と言いました。ここでは、お金や権力のある人、そして警官も直接名前を呼びあっていましたが、私のように権力やお金がない人間でも所長がとても丁寧であったことは、大法の威徳があったからでした。

 結び

 私は若い頃、頭髪はあまり良い状態ではありませんでした。白くなっていなければ、黄色くなっており、髪質も乾燥していて切れ毛が多かったのです。1996年に修煉を始めて以来、私は一度髪を切り、新しい髪型にしました。私の髪が抜け落ちたのは、一度病業の関を乗り越えた時でした。私は3カ月間外出せず、ちょうどそれは冬の時期でしたので、帽子で頭を隠すことができました。春になると、私は新しい髪の毛が生えてきました。頭髪が新しくなった後、私の髪は黒く健康的で艶がありました。

 前回の拘禁による迫害の後、私が家に帰った日、私の頭髪は真っ白になっていました。私の息子が私を迎えに来ましたが、私が本当に私であるか疑わしそうにしていました。その後、私は頭髪を常に染めていました。2017年に迫害され、留置場に入った時、私の髪の本来の色(白色)が露わになりました。ある日、留置場の警官の1人が私を連れて散髪に行った時、その警官は私の髪を見ながら「あなたの髪は黒くなりましたね」と言いました。その時、鏡がなかったので、その警官が私にお世辞を言っていると思って気に留めませんでした。家に帰った後、私の息子も突然、私の髪が黒くなったことについて話し出し、写真を撮って私に自分で確認するように促しました。その時になってはじめて私は、本当に髪が、かなり黒くなっていることに気づきました。

 留置場の食事は空腹を満たすためのもので、味は言うまでもなく、栄養についても言うまでもありませんでした。そのような環境下でも、私は薬を飲んだり注射を打ったりせずに、健康な体を維持し、白髪から黒髪に戻すことができました。師父が求められている三つのことを自分が最大限努力してしっかり行った結果だと私は思いました。留置場では大法書籍を読むことができませんでしたが、できるだけ多く覚えて暗唱したので、修煉や正念を発することに影響も受けず、留置場に来た縁のある人たちに真相を伝えることができました。

 私が留置場で出会った人のうち、90%が三退しました。私が留置場を出る前日、監房の人たちが私のために送別会を開いてくれました。監房の人たちは私に「法輪大法は素晴らしい」という歌を教えてほしいと頼んできました。留置場での話は他にもたくさんありますが、自分の次元が限られているため、ここまでにします。

 師父が常に私たちを見守ってくださったおかげで、弟子は今日の存在があります。師父に感謝申し上げます。私がこの文章を書いたのは、法輪大法を実証するためです。実際に私にはまだしっかりと行っていない点がたくさんあり、自分自身の中には様々な人心があります。しかし、今後も師父の慈悲なる済度を無駄にしないよう、しっかり行うように努力致します。

 (明慧ネット第19回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/16/451568.html)
 
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