修煉には小さいことがないについての悟り
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米国の大法弟子

 【明慧2023年4月16日】ある同修と交流して、彼女が修煉には小さいことがないという実感を語り、とても啓発を受けました。

 修煉には小さい事はないと言われていますが、しかし多くの同修が小さいことに陥ってしまうのはなぜでしょうか。それは大切な修煉の機会を小さいこと、あるいは無関心なこととして扱ってしまったからです。

 師父は弟子の質問にこのように応答されました。

 弟子:周りの3人の学習者は、程度は違いますが、知能が後退し反応が鈍くなっています。医師に小脳の萎縮と診断され、1人はすでにこの世を去ってしまいました。

 師父「もし大陸にいるなら、迫害が原因です。もし海外にいるなら、経験のある大法弟子なら分かりますが、大法弟子にいかなる偶然なこともありません。本当に真剣に修煉から自分自身を見るべきです。大したことがないと思っていることを軽んじないでください。修煉の基準から問題を見るべきです。あなたは小さい問題だと思っていても、旧勢力の大法弟子に対する態度から見れば、それは小さいことではありません。皆さんは一部のことが重要ではないと思っていますが、多くの場合は常人の基準で自らを量っているのであって、法を用いているのではありません!」[1]

 今、私が分かったのは普段の生活の中で、家族や同修に対する一度のかんしゃくを甘く見てはならず、訂正されていない間違いを無視せず、心から謝って、同修への陰口は何でもないと軽く思わないこと、能力がなく、プロジェクトにあまり参加しない同修のことを軽蔑しないこと、救いようがない同修を諦めないこと、同修の能力、権力、職位、技能、学歴を崇拝しないこと、異性に対するちょっとした愛情を軽んじてはいけないこと、自分に一度現れた人心が何でもないと軽く思わないことなどです。

 最近の学法で、修煉には借りがあったら必ず返さなければならないと分かりました。師父は、「この借りは永遠に人間を縛り付けており、生々世々にそれを解くことができません」[2]と説かれました。旧勢力が修煉者の命を奪うまでの歴史で作った借りを返さなければならないことが分かりました。

 全てのものは他の空間では全部生命です。修煉者として、私たちは周りの人に親切でなければなりません。謙虚な態度で他人に接し、否定的な考え、観念、マイナスな考えや邪念など一つも生じてはいけないのです。また、節度のある行動をとり、善をもって物事に対処することは、良いことかもしれないし、関門かもしれないし、苦しみや困難かもしれず、表面の良し悪しに拘らず平常心で受け止め、自然に任せて、抵抗せず、文句を言わず、不便や迷惑がかかることを恐れず、全ての基点は善でなければなりません。

 私の理解では、私たちの身体は旧勢力に多くの糸で結ばれており、それは、情や執着、同修への観念、名利への追求、自分への保護、権力と服従への欲求に反映されている可能性があります。大法を修煉して、師父は根本からいろいろな次元でそれを解いてくださったのですが、しかし、この次元、人間の次元で私達が率先して解きほぐさなければならない部分があるのです。修煉の過程は結び目を解く過程でもあり、結び目の一つ一つが私たちの修煉を邪魔し、或いは私たちを破壊する爆弾であり、どうしてそれを自分自身で結ぶことができるでしょうか。師父の望まれるように圓融し、全ての怨恨を善解し、同修を含めて全ての人、全ての物事を善解するのです。

 この前、同修とこの段落の法について交流し、とても啓発されました。師父は「ですから、あなたの仕事や職業が何であっても、私にさえ会えば、私はあなたが善の念を動かすようにし、あなたの善の念の中であなたの罪と業を滅してあげます」[3]と説かれました。

 この段落の説法を読んで、善の念を動かせば罪業を滅することができると思います。ですから、善の念で他人に接し、他人を肯定的に考えるのです。状態が良くない同修、または法に合ってない同修を見ても、相手は必ず改善できるはずだという観点で、真摯な心で加持を持つことです。自分や観念を持っている同修の言動を見たとき、絶えず内に向けて探し、正念で同修に接することは、同修にも、自分にも良いことです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『カナダ法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『各地の説法ニ』「二〇〇三年カナダバンクーバー法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/12/455929.html)
 
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