【明慧日本2023年4月26日】河北省秦皇島市撫寧県の法輪功学習者・李桂彬さん(女性)は、2019年7月に秦皇島市昌黎県裁判所から懲役4年、罰金1万元の不当な判決を宣告された。2021年5月、李さんは石家荘市にある河北省女子刑務所に送られ、刑務所の迫害により、今年4月16日に死亡した。享年80歳。
4月16日午後9時頃、李さんの家の前に、ライトが点滅している車がいた。救急車かパトカーかは分からない。翌朝4時、李さんの家に行くと、家の各部屋に明かりがついていた。部屋の中に入ると、李さんがベッドに横たわり、体は非常に小さく縮み、顔も非常に小さくなっていて、すでに亡くなっていた。李さんの息子は、「2日前に女子刑務所に呼ばれて行きましたが、母がもうすぐ死ぬかもしれないので引き取りに来るようにと言われ、母の治療のための「仮釈放」の手続きをさせられました。それで、私たちは母を石家荘の病院に搬送し、2日間入院させました。その後、母を地元の柳江病院に移しましたが、母はすでに亡くなる寸前でした」と話した。
李さんは撫寧県石門寨鎮に在住し、法輪功を学ぶ前大腸がんを患い、化学療法を6回受けても治らず、死を覚悟をしていた。2003年、知人の紹介で法輪功の本を読んでみたところ、言葉では表現できないほど心地よく感じた。李さんは、法輪功の本を読み、法輪功の功法を煉り7、8日間で力がついてきたて、徐々に健康を取り戻し、髪の毛も生えてきた。
それから、李さんはより多くの人が法輪功の恩恵を受けられるようにと自らの体験を人々に伝えることを考えていた。中国共産党による法輪功への迫害の中で、李さんは法輪功を学び続け、法輪功迫害の事実を伝えていたとして、当局からの迫害を繰り返し受けていた。
2004年12月14日の夜、李さんは学習者・楊鳳栄さんと一緒に出かけ、法輪功迫害の事実を人に伝えた際、石門寨鎮派出所の警官によって連行された。その後、李さんは、体の痙攣を起こし帰宅させられたが、楊さんは県の拘留所に送られた。
2005年10月22日、李さんと学習者・呉玉霞さんは、ある私服警官に法輪功について話した後、4、5人の私服警官によって連行され、石門寨派出所に送られた。その後、警官は李さんの家を家宅捜索した。
2007年8月29日夜、李さんと学習者・侯広玉さんは、秦皇島市撫寧県劉家和村の近くで警官に連行された。
2014年1~8月、李さんは再度連行された。
2017年7月27日、李さんと学習者・高興太さんは、石門寨市場で人に法輪功迫害の実態を話していたところ、石門寨派出所の警官に連行され、携帯電話を取り上げられた。
2018年4月27日、石門寨派出所の警官数人が高興太さんの自宅に押し入り、一緒に法輪功の本を読んでいた高興太さん(65)、李さん(75)、宋祝珍さん(70代)、尚秀君さん(50前後)の4人を派出所まで連行した。その夜の8時頃、高さん、李さん、尚さんは公安病院で身体検査を受けさせられた。高さんと李さんは検査の結果が基準に満たなかったため、秦皇島第一留置場に入所しなかった。そして住居監視され、嫌がらせが続いた。尚さんは秦皇島市第二留置場に10日間拘束され迫害を受けた。その結果、2018年6月17日に死亡した。
李さんと高さんはその後、石門寨派出所から秦皇島昌黎県検察庁へ書類送検された。2018年8月20日、李さんは石門寨派出所に連行され、被せられた罪を認めなかったが、警官・王奇が李さんの代わりにその調書にサインした。同年12月27日、李さんは警官に派出所に連行され、尋問を受けた。警官から「尚秀君はどのように死んだのか?」と聞かれ、李さんは「あなたたちが迫害で彼女を死なせました。今度は私と高さんに迫害を加えようとしているでしょう」と答えた。警官は「『轉法輪』はどんな本だと思っているのか」と聞くと、李さんは「いい本です」と答えた。
2019年7月、李さんは秦皇島昌黎裁判所に懲役4年、罰金1万元の判決を下された。8月19日の朝、李さんは2人の警官によって秦皇島公安病院に連れて行かれ、PCR検査を受けた後、血圧を測り、202mmHgもあり、2時間後に再び測ると185mmHgまで下がっていた。PCR検査の結果が出なかったため、一晩病院に居た。翌朝、李さんは超音波検査、レントゲン撮影、血液検査、尿検査などの検査を受けた後、留置場に連れて行かれた。そこで医者から「病気にかかったことがあるか?」と聞かれ、「大腸癌で、化学療法を6回受けました。秦皇島第一病院にカルテがあります。法輪功を学んで奇跡的に完治しました」と答えた。医者が再び李さんの血圧を測り、220mmHgになっていたので、李さんは入所しなかった。李さんが帰宅したのは夕方6時頃だった。李さんの夫は「身体検査で、あなたの血圧が高いので、帰宅させたのだ。そうでなければ刑務所に送られたでしょう」と言った。
2020年11月18日、李さんは秦皇島留置場に拘束された。息子は何度も母親に面会いに行ったが、留置場側にすべて拒否された。その後、李さんは石家荘女子刑務所に送り込まれ、迫害を加えられ、この世を去った。