一瞬の出来事
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文/中国の大法弟子 雅蘭  

 【明慧日本2023年4月27日】今日は、同修たちに、二つの修煉における悟りを交流します。

 一、 一瞬の出来事

 法輪功が迫害されて以来、私自身も、多くの同修と同様に、中国共産党(以下、中共)による不法な拘束や迫害に遭ってきました。数年前、いわゆる敏感日になると、党員が何度か理由もなく家にやってきてパソコンや大法の資料を不法に押収しました。当時は正念で迫害を断ち切ったものの、心にネガティブな影響を残し、恐怖の観念が形成されてしまいました。時々家にいると、悪党の者や警官がドアをノックしてくることが思わず頭に浮かび、瞬間的に、パニックと不安を感じ、慌てて発正念をして排除しましたが、なかなか根絶できませんでした。

 特にこの1年間は、普段から親しくしている同修が拘束されて不当な判決を受け、その同修の供述は自分に言及しました。同修の助けの下、自分も内に向けて探し、法で自分を正し、とても敬虔な心で師父に自分の過ちを謝罪し告白したので、迫害されることは免れました。悪党の者が来ないと知っているものの、誰かがドアをノックしているような感覚が頭に浮かぶことがしばしばありました。いつになったら、この恐れる心を無くせるのかと頭を悩ませました!

 2カ月ほど前、孫娘が遊んでいる間、私は隣に座って法を暗唱していました。暗記していると、誰かがドアをノックする影が頭の中に現れ、暗記しているとまた現れました。私はイライラして大法の本を閉じ、師父に「師父! 弟子はこれらの物に邪魔されたくありません、法を暗記することすらできず、弟子が法に同化することを妨げてしまうのです」と言いました。その瞬間、1秒も経たないうちに、私の心の中の恐怖はすべて消え去り、心が澄み渡り、体が軽やかに、幸せな気分になるのを感じました。私はすぐに本を開き、また法を暗記し始めると、全く妨害されなくなり、その日、私は8ページ半を暗記することができました。それからは、誰かが家のドアをノックする恐怖がなくなりました。

 以前は頭の中にネガティブな思考がたくさんあり、今もまだかすかにありますが、それらを捕まえてしっかり取り除くことができるようになりました。ある日、「その身体はお話ししたように、五行を抜け出た、五行の中にいないものとなりますので、不壊の身体になります」[1]の部分まで暗記したとき、心の中からにじみ出る喜びを感じました。言葉でははっきりと言い表せないような嬉しい気持ちが心から湧いてきました。

 師父、本当にありがとうございました! このような心からの一念で、師父はこの20年間、私の心の中に蓄積されていた恐怖の物質、実際は旧勢力が無理やり私に押し付けた恐怖の物質をすべて取り除いてくださいました。他の空間から見れば、師父が弟子の修煉の道から大きな山を取り除かれたのでしょう。師が法を正すことを手伝い、衆生を救うことへの自信が高まりました。

 ニ、外を見るとは、常人社会のあり方を変えること

 2020年から、孫の面倒を見ることになりました。嫁はとても気が強く、切れ者で、怠け者で、欲張りで、毎日会社に遅刻し、残り物を一口も食べません。私が息子の家に住んだ最初の2年間は、嫁は10回話しかけても9回は、まるで聞いていないふりをしていました。わざとそうしているのがバレバレでした。それから3年近く経った今、彼女は野菜の1本たりとも買ったことがなく、家事も一切していません。毎日、仕事から帰ってきて食事を済ますと、座って携帯のショッピングサイトを見ては、毎日、配達が届きます。

 ある日、嫁が私と私の娘(21歳)に「自分が良ければ、他人なんかどうでもいい」と言いました。私は、自分が修煉者であることを自覚し、常に自分の心性を保ち、表は彼女と口喧嘩したり、彼女のしたことに憤慨を感じさせられたりしたことはありません。しかし、心の中ではいつも嫁を見下し続けてきたのです。表面上はやり過ごせていても、内心では常に息子の嫁のしたことに対し善悪を論じていました。

 たとえば、私は内心で「もし私が修煉者でなければ、とっくに子守をやめていたでしょう。あなたは強いけれど、私のほうがもっと強いぞ」などと考えていました。嫁を蔑み、嫉妬する心がしばしば現れていました。もうすぐ3年になりますが、嫁の顔をよく目を凝らして見ることさえしていませんでした。要するに、嫁のここが悪い、あそこは良くないとしか考えていなかったのです。自分は修煉者であるという一念を常に持ち続け、毎日このような不適切な考えを排除しており、多くの良くない思想を排除し、この点では改善されたと感じていたのですが、それでも排除し切ることはできませんでした。

 ある日、自宅に戻り、ベッドに寄りかかって休んでいると、無意識に嫁の悪行が頭をよぎったのです。なぜ、嫁の悪いところばかり考え続けてしまうのか、と自問自答しました。修煉者は、他人の欠点ではなく、自分の欠点を探すべきで、誰かが悪いと思うのは、まず自分に問題があるのでしょう。

 ふと、師父の教えを思い出し、宇宙の真理と人間の真理は正反対であることに気がつきました。突然、嫁のやっていることは間違っているように見えるかもしれないが、これは社会全体の状態なのだと悟りました。今の世の理から見れば、食べたり飲んだり、遊んで享受することはいいことです。では、嫁に変わってほしいなら、社会全体のあり方を変えてほしいのと一緒で、それは変えられるのでしょうか? 修煉者は自分を正すことしかできず、常人社会を変えることなどできるわけがありません! やはり、自分が間違っていることに気づきました。その時、私の考えは突然、常人社会から切り離されたような気がしました。

 それから、嫁への不満がだいぶ減りました。嫁が服を買ったり、食べたり飲んだりしても、「若い人が着て、食べて、喜ぶのはいいことだ」と思い、自分も嬉しくなりました。ある日、嫁をまじまじと見てみると、この人もなかなか美しいと思いました。 それからは、彼女が何をしようが私には関係ないとばかりに、好きなことをさせています。

 師父は説法の中で、よく「法を学ぶ」ことの大切さをおっしゃいます。それは、私たちが法を心に刻み、トラブルに遭遇したときに、それを法ではかるためです。しかし、私たちはしばしばトラブルにとらわれ、法を思い出すことができません。師父は、私たちが悟らないと見ると、私たちの頭に法を叩き込んで、目覚めさせてくださいます。私たちの一歩一歩は師父の見守りなしでは歩んでこられません。師父、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』「性命双修」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/21/458958.html)
 
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