「人」に対する執着が人を救うことに影響する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年4月30日】最近、何人かの同修が芸能人に執着し、常人を称賛するやっかいな文章を閲読し、私に対してもとても啓発があり、私もかつてこのような過程を経てきたので、書き出して皆さんと分かち合いたいと思います。

 私は20年以上の正法の進展で、大きなことにも耐え、労働教養所で受けた迫害も大きく、刑務所では正念正行で出て来た経歴もあり、法輪功迫害の真相を伝え、人を救う方面でコツコツ真面目に、全身全霊で行いました。長年にわたりたゆまず、面と向かって真相を伝えることを堅持し、三退を行いました。もし、女性タレントのニュースを読んでいなければ、現在、すでに10万人以上の人を三退出来たでしょう。

 中国共産党(以下、中共)が都市封鎖をしてから、健康コード(訳注:スマホ画面上で表示するQRコードで、持ち主の新型コロナウイルスの感染リスクを示すもの)が普及し、携帯電話に健康コードが表示されなければ、ほとんどどこにも行けない状況になります。私はスマホを使うようになり、たまにスマホでニュースを見るようになり、だんだんと女性芸能人のニュースを好むようになり、だんだんとある女性芸能人が好きになり、この女性の全てを知りたくなり、あるいはこの女性の経歴、学歴などが私の観念に符合したからか、私はますますこの女性を好きになり、最後には、毎日この女性を見ないと、身体がむずむずしました。このように、見ていくうちに1年が経ちました。その時、私は自分の中毒に気づき、取り除く行動を始め、携帯電話を別の人の家に置いて、学法を多くしたら少し良くなりました。出かけるときは携帯電話が必要なので、持って帰りますが、また見てしまいます。このように持って行ったり持って帰ったり、放下したりまた執着したりして、長い時間が経ち、やっとこの依存を取り除きました。私はこの経歴をとても後悔していて、邪悪の妨害に対して、更に深く理解しました。

 人は、往々にして一つの状態が出現します。何か良いことをすれば、心の中はとても美しく神聖です。このとき頭の中で、突然、一つの良くない思想が湧いてくれば、この神聖な気持ちは損なってしまいます。時には、無意識のうちにこの思考で行い、意識がはっきりすると、間違ったことをすでにしてしまっています。私はこの状況で、毎日三つのことをしていますが、特に真相を伝え、人を救う方面で良く出来ており、心境は神聖な状態であるべきです。しかし、少しリラックスした一瞬で、携帯電話を見る考えが湧いてきて、この邪悪の思想業を通しての妨害はかなり強く、また思想業が絶えず浸透し、だんだんと携帯電話の中の女性芸能人を見る癖がついてしまったのです。

 ゆっくり浸透していったため、目に見える危害はそんなに大きくなく、しかし邪悪は思想の中に障壁を設置し、人間の一面と神の一面を遮断し、人間の一面は執着の危害に気づかず、ますます重くなり、最後には自分で制御出来なくなります。これは、大法弟子が労働教養所や監獄で迫害されているのと同じで、邪悪は同じような手段を使い、人と神の一面を遮断させ、人間のこの面を迫害し、そこから強制的に変えさせるのです。それらを見て分かるように、迫害は労働教養所や監獄だけでなく、外の緩い環境だとしても迫害は継続され、ただ労働教養所や監獄のような激しい表れがないだけです。

 私は一つの普遍的な現象に気づきました。多くの同修は三つのことを怠っていませんが、幾つかの明らかな執着は放下出来ていません。ある人は長年のきつい口調がずっと変わらず、ある人は長年人の意見を聞き入れることが出来ず、ある人は長年身体の病業が消えておらず、ある人は長年の執着を一貫して放下出来ず、逆に「真相を伝え、三退した」ことを隠している、等等です。長年このように放下出来ない執着を持って歩んできたのです。

 海外の同修が法を実証し、真相を伝える過程を見てみましょう。多くの学法をすることによって、修煉は向上し、法を実証し、人を救う障害を突破することができれば、本当に着実に修煉して昇華する過程です。中国の大法弟子は良くできた所も多いのですが、ここでは私が見た現象を語り、皆さんの参考になれば良いと思います。

 中国国内の環境の下、邪悪の迫害を突破し、また個人の安全に注意しながら真相を伝え、人を救います。また、いつも自分の修煉の向上を重視して、邪悪に隙に付け入られてはいけません。中国の大法弟子は確かにとても苦しい環境下で法を実証し、人を救っていますが、私達がはっきり分かっていなければならないのは、法を良く学び、修煉して自分の正念が出てこそ、法を実証し人を救うことが良く行えるのです! もし、一つだけを重要視して、他の二つをないがしろにすれば、自分自身と衆生を救い済度することに損失をもたらします!

 同修から聞いた話が私に深い印象を残しました。ある日、同修の家に行くと、何人かの同修がちょうど真相を伝える活動から帰って来て、何人かはとても興奮していました。その中の1人が「学法は悟る必要がなく、分からない所があれば、真相を伝える活動から帰宅後、全て分かるようになります」と言いました。私はこの状況を理解出来ますが、あまりこの方法に同意できませんでした。真相を伝え人を救うことが、学法して心を修めることに代替できますか? 同修が真相を伝え、人を救った後、法の中の道理が分かったとすれば、これは師父が弟子を励まして下さっているのであって、このように心を修めることに代替できるものではありません。師父は、法の中で次のように説かれたことがあります。「心性の高さは功の高さ」[1]の法理を、「脱退した数が功の高さ」になりますか! 私が思うには、このような考え方をしている人は1人2人だけではなく、何人かの同修がこのように考えていて、真相を伝え人を救うことをもってして、内に向けて心性を探す修煉に代替し、三退することで正念正行を代替する、実際このような話をこのように強調すべきではありません。

 しかし私は自分自身の経験から、多くの同修が私と同じく、三つのことを不均等にしていることに気づきました。真相を伝え人を救うことを良く行うことは、自分の心性向上を代替することではなく、邪悪の妨害を打破することでもありません。心性に漏れがあるため、発正念しても邪悪の妨害を完全に一掃できないのです。学法しても心を修めなければ、やはり向上するのは難しいのです。多くの同修は皆知っていますが、真相を伝え人を救うとき、正念が必要で、慈悲の状態を保たなければなりません。しかし私達が真相を伝えていないときでも、正念があり、いつも心性を修め、穏やかな状態を保つ必要があります! これは、同修に高く要求しているわけではなく、1人の修煉者としての基本的な要求なのです! もし私が、自分の心性の動きを重視し、頻繫に内に向けて自分の執着を探し、学法を堅持し、発正念して素早く邪悪の妨害を一掃していれば、あのように長期に渡って時間を無駄にすることは無かったでしょう!

 ここで、他の同修はこのことを鑑みて、私と同じような過ちを犯さないように、貴重な修煉と人を救う時間を無駄にしないでください。修煉は流れに逆らう船のようで、進まなければ後退してしまいます。小さな執着に注意しなければ、最終的に大きな間違いを引き起こしてしまいます。

 大法弟子の皆さんが更にレベルアップし、邪悪がますます少なくなる状況下で、自分の小さな執着心によってつまずいて転んでしまわないよう、遺憾を残さないよう、これは自分にとっても、衆生にとっても損失なのです。

 以上は、個人の体得です。参考になればと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/26/459181.html)
 
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