【明慧日本2023年5月11日】以前、同修の「いくらで修煉者の心を動かすことができるか」(「多少钱,能打动一个修炼人的心?」中国語原文)という交流文章を読んで感銘を受け、最近の体験に加えて、同修と交流するために書きました。
修煉の価値といえば、同修はきっと迷うことなく「値のつけようがない」と答えるはずです。実際、修煉は生命の真の昇華であり、世界中のどんな富も、地球上のすべてのお金を合わせても、測ることができません。もし、億万長者に1000億円払わせ、神にするというなら、たとえ三界内の小さな仙人でも喜んでやるでしょう、もちろんそんなことは不可能です。各時代各王朝、どれだけの皇帝や権力者も永遠に生きようとし、不老不死を手に入れようとしましたが、望みを叶えることができませんでした。私たちは、金銭で美徳と交換することはできないことは分かっています。
師父は「皆さんに教えますが、早期の大法弟子、歴史上私と縁を結んだことのある弟子、または師父に付いてきた大法弟子、どの人も常人社会で何かをすれば、みな億万長者になり、この社会の有名人、階級の高い人になります。皆さんは今生、大法弟子になり、これらのことをすべて放棄しました。金持ちになりたければ、とっくになったのですが、このちっぽけな利益のために自らの生命の宿願を台無しにしないでください」[1]と説かれています。
現代の大富豪と権力者は、すべて前世で蓄積された徳の結果であること。転生前に選択できれば、修行の機会と引き換えに、徳を積むことが分かれば喜んで実践するでしょう。社会的地位の高い有名な映画スターが、仏道に導く機縁を探し求め、至る所で色んな苦難に遭遇しましたが、結局見つけることができず、とても残念がっていました。その人は、真実の道に出会っていても、分からないかもしれません。
大法弟子として、私たちは本当に裕福であると心から喜んで言えます。問題は、私たちは本当に豊かだと感じているのかということです。個人的に言えば、子供の頃は家が貧しく、今は定職に就いていますが、今どきの多くの若者のように道楽、博打などをしたりせず、ただ家族を養うことしかできていません。
私は比較的倹約家で、節約に貪欲で値引きを求めるくらいです。そうすると、表面的にはある程度のお金を節約できるのですが、時間と労力を浪費してしまい、学法や煉功などの大事なことが遅れてしまうのです。実際、これは利益への執着です。結局、あまりお金を節約することはできませんが、多くの手間がかかり、多くの時間を無駄にしました (もちろん、高価なものを購入しなければならないとか、または、割引されたものを購入しなければならないという意味ではありません)。
その理由は、表面的な損得を気にしすぎて、「お金を貯めれば、将来のために使える」と思ってしまったからです。その結果、ここではお金を節約できたのに、別の場所でお金を無駄遣いするという結果になりました。結局、「節約」しているように見えて、徳を失い、時間がかかり、業を生み、実に無駄な労力なのです。
実際、人の金銭には運命があることを知っています。流水のように、総量は基本的に決まっています。今は多く流れていても、将来は流れが少なくなります。将来、より良い生活をするために、今より多く稼ごうとすると、その後は稼ぎが少なくなります。そして、余分に稼いだお金は、他人を苦しめたり、損害を与えたりする可能性があり、それを補うために徳を失わなければなりません。
徳をお金に換えるのは簡単ですが、徳はお金で買えません。修煉者にとって、徳は非常に貴重なものであり、誰が徳をお金に換えようとするのでしょうか。しかし、私は以前そうしたのではないか、本当に愚かでした。そして、もっと稼いで貯金するという考えは不必要です。金銭は流動的であり、 (自分自身の将来のため、または子孫のために) 意図的により多くのお金を貯蓄すると、生きている水が停滞した水に変わることになります。
古今東西の金持ちや腐敗した役人が、稼いだお金や賄賂のお金を本当に自分のために使い切ったでしょうか? 結局、何も得ていないのです。子供はそれほど多くのお金を持たない運命にあり、あったとしても、最終的にはなくなります。人生の良し悪しは、表向きはお金で買いますが、実際は福縁の量で決まるのです。そのため、お金がなくても幸せに暮らしている人もいれば、お金があっても辛い暮らしをしている人もいます。
私たちは普通に働いて、ビジネスをして、必要なだけ稼ぐことができます。より多くのお金を稼ぐために頭を悩ませる必要はなく、また、オーナーや上司にプラスアルファを求めることもないのです。(ただし、不当な天引きや賃金不払いを認めず、旧勢力の要因や悪霊などが生み出した経済的迫害を別件とし、否定すべきだ)。自分のお金が他人に横領されたとしても、彼はそれを徳と交換しなければなりません。学法、人を救うことに心と時間を費やしていれば、あるべきものは自然にやってくるので、わざわざ争う必要はありません。
もし、1日1万元を渡され、煉功や学法、発正念を1回でも減らしてくれと言われたら、誰も喜んでやらないと思います。しかし、一部の同修(私を含む)は、毎日学法、煉功することができません。逆に言えば、今日早起きして、2時間の仕事で1万円余分に稼げれば、多くの人は夜中の2時でも起きようと思うはずです。それに対して、修煉の機会を本当に大切にしていますか?
今、あの悪魔は1円もくれなくても、私たちは朝に起きない、また携帯を見る言い訳を見つけ、眠り、噂話をしています。きっとあの悪魔は、私たちがあまりにも買収しやすく、お金を使わずに目的を達成できると考えるでしょう。1日1万元を30年間続けてもらっても(総額約1億元)、修煉者の30年間を買うことができるのでしょうか。
高次元の生命体から見れば、地球も太陽系も塵にさえ見えませんが、土の中に埋もれている名声と富のために、私たちは永遠に天国に戻る機会を失うのでしょうか? あの佛、道、神の偉大さ、大法弟子の神聖さ、新宇宙の将来の主人は、人間の金貨でただ1億元の価値しかないのでしょうか。いくらで私たちの修煉の心を買えますか。
現代の人々は、名声と富に執着しており、個人の尊厳を含め、お金で多くを支払うことができます。しかし修煉者として、流れに流され、来世の使命と責任を忘れてはならず、すべての衆生は私たちの救いを待っています。私たちが仕事と生活の中で修煉し、師父が法を正すのを助けるとき、常人の名声と富に惑わされないだけでなく、常人の中で修煉者としての風采を示し、法輪大法の偉大さを実証しなければなりません。
貧困や生活さえも問題になっている状況については、ただ自分の内面に目を向け、人心を取り除くだけでなく、旧勢力や悪霊による経済的迫害を否定し、解体しなければならないと個人的にそう思います。これまでの迫害による無駄になった時間や精力、被った損失は、より一層前向きに、冷静に否定されるべきです。
この記事で、私の悩みをさらけ出し、同じような経験をされた同修と共有したいと思います。不適切な場合は、ご慈悲に指摘してください。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十二』「世界法輪大法デーの説法」