内に向けて探し執着を捨て 魔難から抜け出す
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2023年5月14日】私は田舎の大法弟子で、20年以上修煉しています。 この二十数年間、修煉の風雨とつまずきを経験しました。師父の慈悲に守られながら、ここまで歩んできました。ここでは、私がどのようにして病業の魔難を乗り越えたのか、そして子供への情を取り除いた過程を話したいと思います。

 一、4カ月間流れていた鼻血が止まった

 2020年の秋、畑仕事中に突然鼻血が出てなかなか止まらないので、仕事ができなくなり、帰宅しました。それ以来、毎日に5~6回鼻血が出て、毎回1時間以上流れていました。ある日、鼻血が出て、家のバケツで鼻血を受け止めたら、流れていた水と血がバケツの半分以上溜まっていました。私の顔は青白く、目はうつろでボーとして何もできませんでした。

 ちょっと怖くなって、同修を呼びました。同修が来たので、自分のことを話したのですが、同修は何も言わずに帰ってしまいました。私は、「自分の問題は自分で解決すべき、私には師父がおられ、何も怖くない、全ては虚像だ」と思いました。そして、旧勢力に向かって「あなた達はただ私を殺したいだけではないか? 私を恐怖に陥れようとしているのではないか?  私は大法の弟子だから、師父が按排して下さる道だけを歩み、あなた達の道は認めません。すべてを師父にお任せして、行うべきことを行います」と言いました。

 ある日、鼻血がたくさん出ていたとき、まったく力が入らず、ベッドから起き上がれなかったので、末っ子に「ご飯を作ってくれる? ママはもう無理だ」と言ったのです。よく考えてみると、間違っていると分かりました。これは病気を認めていることであり、旧勢力を認めているのではありませんか。私はすぐ末っ子に「明日はママが料理を作るからね」と言いました。翌日、私は本当に起きて料理ができるようになりました。

 私は毎日多く法を勉強し、発正念をして、同修と一緒に出かけて人を救いました。あるとき、ステッカーを貼り付けているとき鼻血が出たのですが、気にせず鼻にティッシュを詰めて、引き続き貼りました。

 ある日、長男(離婚したとき、父親と暮らすようになった)が帰ってきて、私がこんな状態になっているのを見て激怒し、病院に行くように言い、「病院に行かないなら、親子関係を断ち切る」と言い出しました。私は「大丈夫、私は死なない、師父がおられるから、心配しなくていい、数日で元気になる。私のために『法輪大法は素晴らしい』と唱えて下さい」と言いました。息子は私を説得できないので、怒って帰りました。

 私は、「自分の何処が大法に符合せず、邪悪にすきに乗じられたのか」と、心を静めて自分自身に向けて探しました。

 自分を探してみると、怨恨心、嫉妬心、色欲心など、たくさんの心が見つかりました。色欲心にすぐに気づきました。1年ほど前にある男性と知り合い、その男性が私のことを気に入り、私も男性に対して好印象を持ち、付き合いを始めました。これは色欲心ではないか、と思いました。なぜこのような仮相が現れるのか、まさにこの色欲心が招いたのです。すぐに、断ち切りました。そう思っただけで、4カ月間流れていた鼻血が出なくなり、私はとても嬉しかったのです。命を救って下さった師父に感謝いたします!

 それから間もなくして、その男性が他県のバイト先から帰ってきて家に来たのですが、私はちょっと心が動揺し、また鼻血が出ました。私は、これは情と色欲心を徹底的に放下できていないからだとはっきりと分かりました。私は座って発正念をし、色欲心を取り除きました。そして男性に「今後もうここに来ないで下さい、私は付き合いはできません。結婚相手を探すつもりもありません」と言いました。すると、男性は去っていき、二度と来なくなりました。私は完全に色欲心から解放されました。以来、私の鼻血は二度と出ることなく治りました。

 二、法を多く学び 子供への情の束縛から抜け出す

 2021年8月のある日の夜10時頃、「あなたの息子が死にそうなので、早く見に来てください」という電話がかかってきました。私は急いで家族や友人と車で省都に向かいました(息子は省都でバイトをしている)。そこに着いたら、息子はすでに亡くなっており、この突然の訃報は青天の霹靂のようでした。私は茫然として何も反応できませんでした。皆が葬儀の手伝いをして、終えてから家に帰りました。

 帰宅後、私は悲しみにくれ、ひたすら涙を流し、何もせず、息子のことをばかり考えていました。私は息子が3歳の時に離婚し、息子を連れて苦しい生活をしていました。息子が11歳のとき、私と母(今は他界)は留置場に不当に拘禁され、11歳の息子は家で認知症の祖父の面倒を見ていました。息子は私に会いたくなると、家から30キロほど離れた留置場まで歩いて来ました。留置場の所長は、幼い子がこんな長い距離を歩いて来たのを見て、20元を渡し、息子にバスで帰るように言いました。

 近年、息子は心臓病を患ってどんどん悪化していました。医師は「あなたの息子の状況はとても深刻で、心臓のステントを入れなければなりません」と言いました。私は「お金がないから、手術はできなません」と言いました。息子は毎日苦痛に耐えて生きていました。耐えられなくなると、私に見えないようにこっそり風船の空気を吸っていました(風船の空気には毒があるので、私はそれをさせたくないから)。ある日、息子が風船の空気を吸っているところを見た時、危ないことはもう二度とさせたくないので、息子を一発殴ってしまいました。息子は怒って、「もう二度と帰って来ない」と言って出て行ってしまいました。その3日後、その子は亡くなりました。

 私が邪党に迫害されていた時、息子には恐怖心を抱かせ心配ばかりかけました。まだ20代なのに、死んでしまった我が子が本当にかわいそうだと思いました。考えれば考えるほど苦しくなり、何もしたくなくなり、気力もなくなりました。

 数日後、「これではいけない、自分を立て直さなければ。これはすべて旧勢力の仕業だ。それらは情を利用して私を引きずり降ろそうとし、圓満成就できないように私を駄目にさせ、自分の使命を果たすことを許さないのだ。旧勢力の罠に入ってはいけない」と思いました。私は多く法を勉強し、妨害が来たら、発正念をして取り除き、師父の法だけを考えました。

 師父は、「人間は迷いの中にあって、どうしてもそういうことにしがみつきます。亡くなった子供がどれほど可愛かったかと言って、どうしても忘れることができない人がいます。あるいは亡くなった母親がどんなにやさしかったかと言って、悲しみに暮れ、残りの人生を捨てて後を追いかねない人もいます。よく考えてみてください。それはまさにあなたを苦しめるためのものではありませんか? そういう形で、あなたを楽に暮らさせないようにしているのです」[1]と説かれています。

 人心を放下し、これらの情を完全に取り除き、何も私を邪魔することはできません。私はひたすらしっかり修煉し、より多くの人々を救い、大法と衆生のために責任を負わなければなりません。師父は私たちのために多くの苦しみを経験され、私たちを地獄から救い出し、浄化し、私たちを本来の佛の世界へ導いて下さっています。私は誓いを守り、師父の慈悲深い救い済度に応えるよう、自分の使命を果たします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/27/458476.html)
 
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