青年同修 「修煉の道では、師父が見守ってくださっている」(二)
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 明慧日本2023年5月20日】前文に続く)

 四、転んだが、悟ったことがある

 私は外見や学業成績が良いため、中学生の頃から、異性に追われることが多かったのですが、自分ではしっかりと把握していました。周りの友人や同級生は皆、思春期に早い段階で恋愛をしていましたが、私もそれなりに同様の立場でありながら、常に法に照らして自分自身を律し、流されないようにしていました。

 大学に入学した後、常人から見ればちょっとした「ネットの人気者」となり、それに伴って異性からの注目度も高まっていきました。その過程で、悪いことをしたわけではないのですが、無意識のうちに色欲心や名利心への欲求が高まり、それを深く隠してしまっていたのです。こうして常人と出会い、友人を作ることも多く、迫害の真相を伝えて中国共産党組織からの脱退も勧めることができたのですが、時には出発点を間違えたために、常人との付き合いに誤解や時間の無駄が生じることがありました。

 四年生の後半、無事に就職が決まりました。授業もなく、卒業設計や卒論も終わっていたので、時間はたっぷりありました。この時間を大切にするどころか、同級生との遊びに明け暮れ、だんだん学法が疎かになり、精進しなくなりました。また、異性と色欲によって過ちを犯したこともありました。

 しかし、長年修煉してきた基礎があるので、私はすぐに自分の過ちを認識し、そして大量に学法をし、内に向けて探し、自分の悪い思いや色欲心を一生懸命に取り除いたのです。しかし、心の奥底にある執着を十分に掘り下げず、旧勢力に隙に付き入れられました。1カ月後、警察署に呼び出された私は、違法行為があったという理由で携帯電話とキャンパスカードを没収され、取調室に監禁され、外界との接触を絶たれました。

 最初はパニックになり、警察から学業や卒業間近のことで脅かされました。徐々に落ち着いてくると、1カ月前に起きたことが原因だと思いました。私は絶えずに内に向けて探し、邪悪と旧勢力を取り除くために発正念をしました。私はこのような旧勢力の按排は受け入れないと堅く思い、師父にご加持と助けを求め、徐々に正念を高めていきました。数時間後、警察に連行されましたが、とりあえず戻るように言われました。

 学校に戻った私は、両親に連絡して事件のことを説明したのですが、両親はとても心配し、同時にとても困惑していました。その日の夕方に発正念する時、天にいる多くの神様が私を見てため息をつき、助けたいのに助けられず、中には首を振ってそっぽを向いている神様もいました。師父だけが一番前に立っておられ、やはり慈悲な眼差しで私を見つめていました。私は自分を恥じて、師父に告白し、神様たちに謝り続けました。

 自分のせいで救われるべき天界の衆生が救われず、滅亡の憂き目にあったことも、ぼんやりとわかっていました。それを見て、私は涙が止まらず、罪悪感と後悔で胸がいっぱいになりました。慎重に内に向けて探した結果、この事件の時、私自身の修煉での欠如と放縦な行動によって、色欲心がどんどん大きくなり、大法弟子としての正念を完全に失っていたことがわかりました。自分の行為は執着に左右され、過ち続けていました。自分の問題に気づき、後で直そうとしたものの、正々堂々と自分の心や根深い執着に向き合わなかったのです。困難な状況に直面したとき、まず頭に浮かんだのは、自分の欠点を見つけることではなく、卒業とその後のことを心配することでした。さらに常人が自分をこのような境地にさせたことまで恨んでいたくらいです。

 私は今日まで大法の中で修煉してきて、大法への信念はとっくに私の人生に根付いているのです。神の道を歩む修煉者として、手放せない物質的なものや執着は何なのでしょうか?  何を恐れているのでしょうか? 何事も偶然ではなく、そのような状況に直面したときこそ、内に向けて探し、自分を正し、執着を手放すことが大切なのです。正しく歩き、正念を十分に持ち、本当に人心を放下さえすれば、乗り越えられない壁はないのです。内に向けて探し、根本的に自分の人心を掘り下げてみてはいかがでしょうか? そう思うと、体が一気に元気になり、それまでのモヤモヤした状態が一掃されました。

 私は、旧勢力からの段取りや干渉をすべて否定し、取り除きながら、絶えず正念を発しました。私は大法弟子であり、師父の守りのもとにあるのですが、うまくいかないことは師父と大法に申し訳ないのです。旧勢力が私にこのような段取りをすることは許せません。だんだん、意識と思考がはっきりし、しっかりしてきました。自分のことを深く掘り下げるようになり、長い間、色欲の問題にはあまり重要視しておらず、法の基準に照らし合わせて測り切れていないことに気づきました。修煉者である以上、はっきりとそれを取り除こうと決意すべきなのに、そうではなく、他の多くの執着でそれを覆い隠し、自分はまだ大丈夫だと思っていました。しかし、実は普段の生活の細部で、気づかないうちにそれに甘んじていたのです。デジタル商品や常人のアプリの悪いところに気を取られ、やはりそれに没頭していました。 

 修煉は厳粛なことです。この点で、私は大法の修煉者としての立場を直視せず、長い間、色欲を根絶する決心をすることなく、心の中で強い欲望を暴走させていました。同時に、私は長い間、色欲のせいで男女の接し方が法の標準から外れており、大法弟子のあるべき姿ではありません。私は法ですべての思いを測り、悪い思いが浮かんだらすぐに取り除き、学法に精進することで、自分を向上しながら執着を認識し、発掘し、取り除くことができますが、私自身の気の緩みから、学法の時間が無駄になり旧勢力が私を迫害するための言い訳として利用したのです。

 母も家で、私の状況をとても心配してくれて、いつも発正念をして助けてくれていました。それからの数日間は、何か重いものを背負わされているような感覚でしたが、発正念をし続け、学法をし、自分の細やかな思いをも修め、色欲心を取り除く過程で、重苦しさは和らいでいきました。父の協力もあり、事態は好転していきました。しかし、これらはすべて外部に現れているに過ぎず、重要なのは自分自身の正念と向上であると分かっています。

 結局、その後警察は、私を召喚することはなかったのです。この事件はなんとか乗り切ったものの、危険な目に遭ったことは、修煉して以来最大の転倒でもあり、完全に目を覚まさせられました。自分の気の緩みと精進しないことが招いた結果だと思うたび、涙が止まりません。私は師父の慈悲に守られて生きてきましたが、師父はもっともっと私のために耐えてくださったのだと思うと、師父に対して深く恥じ入る思いがします。

 私は改めて、大法弟子としての自分の立場と修煉にどう向き合うべきか、特にこの土壇場で、より精進し着実に一歩一歩を進むべきかを真剣に考えました。この数年の修煉で強く感じたことは、時間が経てば経つほどハードルが高くなり、一歩一歩が丸木橋を渡っているようなものだということです。大法弟子はやるべきことをしっかりと行うことが本当に大切であり、人から神への変容がそこに反映されているのです。

 私が初めて法を得た時から今に至るこの十数年間、師父の慈悲に満ちた按排のおかげでここまで来られたことに感謝しています!

 以上は、現時点の修煉状態での個人の認識であり、次元や表現力が限られているため、法に背き不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/24/447723.html)
 
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