文/中国東北の大法弟子 浄心
【明慧日本2023年5月25日】2005年、夫が両側大腿骨頭壊死症で働けなくなり、私が介護することになりました。2人とも仕事がなく家にいて、収入がないままどうやって生活していけばいいのかと悩む中で、私は何度も死のうと考えました。2006年、30歳の私に活路が開きました。
2006年1月のある日、親戚から「あなたたちを救えるのは法輪大法しかない」と、法輪功を修煉することを勧められ、そこから、私は幸運にも法輪大法を修煉する道を歩むようになりました。
法輪大法が私の家庭を救った
修煉前、夫が重病を患うようになってから、姑一家と我が家は犬猿の仲になりました。姑は4000元を払って、夫を憑き物がある人のところに行かせようとしましたが、私は病院に行くべきだと主張しました。また、姑に自分が祀っているものと同じものを祀るようにと言われたことにも腹が立ちました。本当のところ、姑と同じ考えを持つ夫とは暮らしたくなかったのですが、彼の病気を考えてじっと我慢をしてきました。
人間は病気がひどくなると、手当たり次第に何でも試みるもので、その間、我が家には憑き物を祀っていながら、佛像も置いていました。こうして数カ月が経つと、夫は病気はますます悪化し、身の回りのこともできなくなり、170センチの身長で体重が100キロにも達し、診察で家のお金を全て使い果たしてしまいました。その後、長春に腕のいい漢方医がいると聞き、32歳だった夫はそこに行きたかったのですが、お金がなく途方に暮れていたところ、姉から5000元を借りてやっと長春の医者にかかることができました。20日以上の滞在で、少しは効果がありました。しかし、その漢方薬は胃を痛めるので、夫は大腿骨頭壊死症の薬を服用しながら胃薬も飲んでいました。帰宅後、胃痛に耐えられない夫は、薬を飲むのを止めました。
5000元(約9万9000円)で買ってきた薬なので、捨てるわけにもいかず、私が全部飲みました。その頃の私も体に楽なところがなくて、必死で持ちこたえていました。見た目は普通ですが、5キロのものも運べませんでした。帰宅後、私たちは1000元かけて夫の薬を別のものに変え、ほかの薬もあれこれ試してみましたが、病気は治るどころか、どんどん悪化していきました。生活の糧がなくてはならず、私は友人に頼んで仕事を紹介してもらいました。1日しか働いていない私に、夫はこう懇願しました。「働かないでくれ。私は1人では居られない。自分で面倒を見ることができないんだ。お願いだから仕事をやめて。年明けに離婚してあげるから、あと数カ月だけ我慢してくれないか?……」
当時のことを振り返ると、今でも悲しくなります。辛い日々の中で、周囲からは「仕事に行かないでどうしますか? 2人とも家にいて、どう生活していきますか?」と非難されていました。あまりにも苦しんでいる私を見て、姉は「義弟はあらゆる治療を受けて、あらゆる薬を飲んでも治りませんよね。一縷の望みをかけて、もう一つの方法を試してみませんか?」と言いました。「どんな方法ですか?」と私が尋ねると、姉は「2番目のおばは昔、肝性腹水を患い、お腹が大きく膨らんでいたのですが、大法を学んでから治ったのです!」と言いました。「『大法』って何ですか?」と私が聞くと、「法輪功ですよ!」と言いました。
当時、数多くの法輪功学習者が日々逮捕されていて、私は怖かったのです。姉が「今はほかに方法がないので、家でこっそり学んで、体がよくなればいいでしょう」と言うと、私は「この法輪功は(政府に)禁止されているので、一先ず夫と姑に聞いてみなければなりません」と言い、帰宅後夫に伝えました。夫は「やってみよう! 他に方法がないから、他人に聞く必要もない」と言いました。
翌日、私は2番目のおばから『轉法輪』をもらってきて、読み始めました。今まで、外がどんなに晴れていても、私の気持ちは常に灰色でしたが、2ページ目に入った時、私の心ががらりと明るくなり、「この本は私が探し求めていたものだ! まさにこういう人になりたい!」と思わず考えました。その日から、私は法輪大法を修煉し始めました。
大法を学んでから、私は家にあったすべての薬を捨て、祀っていたものや佛像も全部片付けて、大法と大法の師父を堅く信じ、ほかは何も考えず、毎日学法と煉功に励みました。夫は1カ月学んでから「タバコも酒もやめられない」と言い、修煉をやめました。私は無理強いしませんでした。2カ月ほど経ったところで、夫は段々自分の身の回りのことができるようになりました。私は再び働き(すごくきつい仕事)に行きました。
ある日、私は突然、「最近、確かにどこにも痛みや不快感がない。どうしてだろう? 以前なら、早朝に体半分の麻痺で目が覚めて、かなりの時間が経ってからやっと回復する。脳神経の痛みも半月か20日ほど続く。頚椎症が発症すると、吐き気がして気力も全くなかった。五十肩で何も持てず、腕も上がらなかった。心臓もよくなかったのに……。法輪大法を学んでいなければ、私は40歳まで生きられなかっただろう」と、変化に気づきました。自分の病気を意識することなく、半年ほど修煉したところで、師父は私のすべての病気を治して下さいました。
当時、友人や親戚はみな私に離婚を勧め、婉曲に言う人もいれば、「こんな彼と一緒に暮らす必要があるの? 辛すぎる。助けてくれる人を探しなさい」と露骨に勧める人もいました。私は、「私は信仰がありますので、離婚しません。私は大法を信じていて、師父が見守って下さいます。多く稼げば、彼にたくさん食べさせ、稼ぎが少なければ、お粥しか食べられなくても構いません。彼を放っておくことはできません」と答えました。大法を修めてからの私の体の変化と心性の向上を目にして、親戚や友人はみな、法輪大法の超常さにびっくりしていました。
2019年、姪の付き添いの下、夫は健康診断を受けました。医師は夫のフィルムを見ながら姪にこう言いました。「この人は半身不随でなければ、車椅子に乗っているはずです」。姪が「叔父は元気です。運転もできます」と言うと、医師も信じられませんでした。私たちは身をもって、師父がおっしゃっている「一人が煉功すれば、まわりの者に恩恵を与えることになります」[1]の法理を経験しました。これはすべて、慈悲なる師父が守って下さっていたからです!
近所の人や親戚が夫に会いに来たとき、わが家がきれいに片付いているのを見て、びっくりしていました。「重病患者がいるのだから、家もきっと不潔だ」と思われていたのでしょう。師父の慈悲なる保護がなければ、私は生き延びることができなかったでしょう。大法を修めていなければ、家庭が崩壊しただけでなく、私も恐らくこの世にはいなかったでしょう。法輪大法を修煉してから、私は九死に一生を得ました! 私には師父がいらっしゃるので、すべてうまくいきました!
水と火のように相容れない嫁姑の関係が改善した
修煉を始めた当初、姑の表裏二通りの言動に不満を待ち、私はしばしば夫に愚痴をこぼし、夫婦間の喧嘩が絶えませんでした。言い争っているうち、ふと、私は「修煉したのだから、我慢しなければならない」と思い、自分の部屋に戻り、しばらく泣いてから気持ちを収めました。修煉前の私は夫と喧嘩を始めると、彼の行く先々までついて行き、けりをつけるまでやめませんでした。
私は毎日12時間近く働いていて、とてもしんどい思いをしています。ある日、疲れ切った私は夕食後の片付けを夫に頼みました。すると、彼は「私はしない。あなたは死なない限り、やらなければならない」と言いました。「忍耐すべき」という師父の教えを思い出して、私は泣きながらテーブルを片づけました。ときには、職場でつらいことを思い出すと、仕事をしながら泣くこともありました。「我慢しないと」と自分に言い聞かせているうち、心も落ち着いてきました。
1年半後には、私はどんなことに遭遇しても冷静に対処できるようになりました。その頃、夫はまだ働けない状態でした。大雪が降ったある日、仕事(一昼夜の連続勤務)から帰ってきた私は、雪をゴミ置き場(自宅から30メートル以上離れている)まで運び出し、4時間かけて庭を片付けました。近所の人から、「そんなことしたら、倒れますよ。あなたが倒れてしまったら、誰が面倒を見てくれますか?」と、暖かい言葉をかけられました。私は心の中でこう思いました。「私には師父と大法があるから、大丈夫だ!」 疲れたとき、私は「私は神だ。疲れたりしない」と思い、毎日がとても充実していて、元気よく仕事をこなしています。
大法を学んでから、私は「真・善・忍」に従って姑一家と接し、犬猿の仲だった姑との関係も改善されました。修煉前の私は姑に会いたがらず、彼女も同じでした。修煉し始めてまもなく、姑は「あなたは変わったね。以前とは別人のようだ」と言いました。今の私は、姑に何を言われても気にせず、自分の力量に合わせて買うべきものを買って与え、こなすべき仕事をこなし、何も争いません。これまでの私は、夫の実家の親族から格好がつかない存在だと思われていました。今は皆、私が大法を修めてからの心身の変化を目にしています。
姑と姉姑が喧嘩したとき、皆は私に2人の仲直りを頼みに来ました。姑が癌を患ったとき、相嫁たちの誰もが面倒を見ようとせず、姉姑も「腰痛で務まらない」と言いました。姑が寝たきりになってからの2カ月間、私はほぼ毎日彼女の世話をしに行き、足りないものも全部買い足しました。義理の兄は買ってこないだけでなく、私が買ったものまで自分の家に持って帰りました。ある日、見ていられなくなった姉姑は「あなたはバカか? 何でも買ってくる」と私に向かって怒鳴りました。私は「大丈夫です。必要なら買ってきます」と言いました。それを見かねて、姑も「お金がかかるから、もう買わなくてもいいよ」と言いました。私は彼女たちの言うことを気に留めず、依然として買うべきものを買いました。
2日ほど姑の家に行かず、再び行ったとき、義伯母(姑の姉)にこう言われました。「やっと来てくれた。おいしいものを作ってちょうだい。あなたの姉姑の料理は固くて食べられない」。老人たちは歯を全部失っていて、固いものを食べられません。私が善意で姉姑に「姉さん、私がいないとき、もっと柔らかい料理を作ってくださいね」と念を押すと、姉姑は「彼女は柔らかいものが食べたいだけなの。好きなように食べたい? そうしたくないので硬いものを作るわ」と言いました。姉姑は今まで姑にとても親孝行をしていましたが、姑が病気になってから、態度が一変しました。
私が大法の「真・善・忍」の基準に従って行動してから、夫の実家の親戚は皆、私に感心しました。もし私が法輪大法を修煉していなければ、姑に仕えるどころか、とっくに彼女一家と縁を切っていたでしょう。亡くなる2日前、姑は親指を立て私にこう言いました。「私はあなたから恩恵を受けるとは思わなかったし、あなたが私の面倒をみてくれるとも思わなかった」 義理の兄でさえも「まさか、あなたがお母さんの面倒を見てくれるとは思わなかった! 本当にすごいです!」と言ってくれました。私が姑一家の親戚に三退を勧めるとき、姑も横で「三退すべきです。大法はものすごくいいのよ! うちの嫁の変化を見れば分かる。以前の彼女はこうではなかったのよ」と口添えしました。
私を一番見下していた義伯母の1人が姑の死後、家族内の葛藤を私に打ち明け、姑が遺産を姉姑に残していると話してくれました。私は「安心して下さい。私は大法を修めているので、そのお金を争ったりしません」と言いました。義伯母は私を信じているから教えたと言い、さらに多くのことを話してくれました。
修煉を始める前の2カ月間、私は崩壊寸前でした。夫が病気になり、姑は助けてくれないだけでなく、近所の人の言葉を借りて「嫁が息子の病気を理由に離婚したいと言い出したら、訴えなさい」と言い、私に対する脅迫をほのめかしました。我慢できなくなった私は占いに行きました。占い師は「大丈夫です。あと2カ月経てばよくなります。あなたの姑と姉姑はひどい人たちですね。息子が病気なのに、嫁にこのような仕打ちをして、あなたが主人をほったらかすのを恐れているのではありませんか? 心配は無用です。2カ月後には人生が変わっているはずです。まずは借りをきれいに返さないといけませんから」と言いました。2カ月後、私は大法に出会い、修煉し始めました!
私が修煉し始めてから、夫は毎日「法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!」と念じています。その1年半後、夫は働きに行けるようになり、今まで薬を飲んだことがありません。ある日、熱を出した彼に薬を飲むように勧めたところ、彼は「気にしなくていいよ。これは業を滅しているのだ!」と言いました。
今年の初め、中共ウイルス(武漢肺炎)が再流行したとき、同僚から薬を備蓄するようにとアドバイスされて、夫は「薬を置いて病気を待つの? 私は『法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!』と唱えればいいと思う。すべては師父に任せよう」と反対しました。夫は真相紙幣も使っています。何より、今の夫は毎日長時間労働をしていないにもかかわらず、同業者の中でもっとも高い収入を得ています。
師父の洪大な慈悲に感謝し、大法による救い済度に感謝します!
注:
[1]李洪志師父の著作:『轉法輪』
(明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)
(編集責任者:伊文)