文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年5月29日】私は生まれた時に「この子は育てても生きられない」と言われましたが、今、80歳を過ぎても元気いっぱいです。今日、「世界法輪大法デー」をお祝いするため、私と親族たちが法輪大法の恩恵を受けたことを皆さんにお伝えしたいと思います。
一、「育てても生きられない子」から「麻幹な青年」に
私は小さい頃、母から「あなたは病気を持って生まれてきたのよ」と聞かされました。 その当時、助産師は母に「この子は育てても生きられない子だ」と言ったそうです。物心ついた時から、食欲がなく、ご飯を食べるのがとても苦痛でした。私は一日中フラフラして、しゃがむのも座るのも立ち上がるのも大変でした。目眩がして立つことができず、胃痛が常にあり、いつも横たわっていました。
8歳のとき、学校は生徒を募集していましたが、ベッドの上で弱々しく横になっている私を見て、家に来た学校の先生は私を入学させなかったのです。そのため、私は9歳になって学校に行くことができたのです。小学校に通う間、私は病気で一年間に半年以上休んでいました。
成年になってから、目眩は良くなったものの、胃の痛みや神経衰弱、不眠症、五十肩、アレルギー性鼻炎、婦人病、便秘などの症状が深刻で、苦しんでいました。身長が169㎝もあるのに、体重は50キロもない状態でした。あまりに痩せ細っていることで同僚から「麻幹」と呼ばれていました。
1997年10月、56歳で定年退職になって、病院へ行く時間はできましたが、病院が家から遠いので、1人で行く力はありませんでした。
二、二十数年法輪大法を修煉したおかげで若い時より元気になった
1997年11月末のある日、地元の工場がイベントをやって、家のすぐ近くの道路に出店をしていると聞いたので、見に行きました。
そこで、ある化粧品売りのおばあさんが私の顔を見て、「お姉さん、病気なんですか? 病気なら、煉功すれば良いですよ。その功法はどんな病気でも治りますよ」と話しかけてくれました。 私は「どんな功法なんですか」と尋ねると、「法輪功です。佛を修める功法です」と教えてくれました。私はそれまで、気功を学んだことがなかったので、おばあさんに「その功法の本がありますか?」と尋ねると、「ええ、あります」と答えました。そこで私は、おばあさんに連れられ、ある法輪大法の輔導員の家に行き、『轉法輪』と『大圓満法』を買いました。
『轉法輪』を読み始めたとき、自分がすでに大法弟子の一員になったような気がして、本に書かれている法理に従って、行動するようになりました。特に、「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり」[1]「真に修める人には病がなく」[2]という師父の説法は、当時の私の心に深く根付いたのです。
私は『大圓満法』の動作の図解を見て真似をし、煉功動作を学びました。基本の動作ができた後、煉功場へ行きました。そこで功法を煉っているとき、とても素晴らしい体験をしました! 師父の号令を聞きながら動作をしていると、耳元で疾風のような音がして、体中に波打つようにエネルギーが電流のように流れました。煉功が終わると、普段冷たい手が温かくなりました。
毎日学法グループに通って法を学び、毎日煉功場に通って煉功をしているうちに、知らず知らずのうちに何の病気もなくなったのです。大法を得て1カ月も経たず、私は心の底から「人生の中での一番は法輪大法を修めたことだ」と感激しました。
二十数年が経ちましたが、大法を信じ、師父を信じ、師父のご加護の下、私は一度も薬を飲まず、注射もせず、心身ともに健康な状態で、師父が法を正すことを手伝う道を歩んできました。80代になった今、私は若い頃より活力に溢れています。
三、佛光が普く照らし 親族たちが法輪大法の恩恵を受ける
法輪大法の佛光は私の親族を照らし、奇跡が起き続いています。以下に一部の例を話します。
1、二十数年の不眠症が治った妹
私の家系は不眠症が遺伝しており、一番深刻な症状があるのは5番目の妹でした。妹は中学生の頃から睡眠障害の症状が現れました。結婚してからは、2時間でもいいから眠れるようにと、義弟(妹の夫)が毎日妹に背骨をマッサージしていました。しかし、やがて手でマッサージしても効かなくなったので、ペンチを使ってマッサージすることに切り替えました。
妹の息子が大きくなり、妹は息子を海外に留学させようと決意し、美容院を開き、金儲けをしようと思いました。しかし、睡眠不足で体力がない妹は毎日ほぼ横になって仕事をしていました。各部署から送ってきた報告書なども横になったまま読み、意見・指示を添えて返答しました。社員たちが野外活動を行うときは、妹のためにベッドを持って行かなければなりませんでした。妹はいつも、体力の限界だと感じたとき、病院へ行き、体力をつける薬を注射してもらっていました。当時、私はよく妹に法輪大法のことを紹介しましたが、妹は「法輪大法が良いものだとわかっても、学ぶことはできない、嘘をつかずに商売することは無理だから」と言っていました。
2004年以降、妹が「元気になれる」と依存していた注射も薬も効かなくなりました。ある日、妹は義弟に「早く私を姉さん(私のこと)の家に連れて行って!」と言いました。家に着くと、妹は待ちきれずに、「早く私に法輪大法の功法を教えて」と、言いました。当時、妹は立って煉功する体力がなかったので、煉功の音楽を聴かずに、私と一緒に床に坐って、煉功の動作を学びました。妹は煉功動作を早くに覚えました。私は功法の基本的な注意点を伝え、煉功の音楽のカセットテープを渡し、義弟が妹を家に連れて帰りました。
翌日、妹は、「夕食後に煉功のテープをセットして、自分の動きが音楽に合わせられるかどうか確認した後、ベッドに入って横になったが、驚いたことに、すぐに眠ってしまった。本当に奇跡だ!」と話してくれました。
その翌朝、気持ちよさそうに目を覚ました妹は義弟に「昨夜はマッサージをしてくれなかったよね?」と聞くと、「そうだよ。でもよく眠れて、すごいじゃないか!」と言いました。妹夫婦は言葉では言い表せないほど嬉しかったのです。
その日、妹は用事で労働局に行こうとしました。以前は、妹がどこへ行くにも義弟に車で送ってもらったのですが、今回は「今日は送らなくていい。自分でバスで行く」と妹は言いました。
夕方8時、妹は電話で私に、「今日は1人でバスに乗って労働局に行ったけど、全然疲れを感じなかったよ。妹(7番目の妹)を電話して呼び出し、ショッピングモールに一緒に行ってもらって、2000元以上の服を買ったわ」と話しました。5番目の妹は以前、ショッピングモールに入って多くの人を見ると、めまいを起こし吐き気がするので、もう何年も自分で服を買うことができず、これまで、義弟や7番目の妹に買ってもらっていました。
それ以来、妹は大法の修煉に精進しています。大法の資料を作り、資料を配布し、大法の書籍を作り、大法の文言が書かれた紙幣を作り、大法のすばらしさを電話で伝え、江沢民告訴にも参加し、人々に大法の真相を伝えています。義弟も心から大法に感謝しています。義弟は外向的で、知り合いが多く、知人に会うと、「妻は一錠の薬も飲まずに元気になった」と言うのです。
義弟はよく大法弟子を車に乗せ、大法弟子と一緒にいろいろなところへ行き、大法の資料を配布したり、横断幕をかけたり、真相資料を作る機械を運んで修理に出したり、消耗品の購入に行ったりなど、大法弟子の一員のように行動しています。
2、顔のイボが消えた嫁
2004年のお正月(旧暦)に、海外にいる次男から電話があり、嫁が赤ちゃんを連れて帰国し、しばらく滞在すると言われました。次男はまた、「嫁の顔にイボができた。授乳中なので薬も飲めず、医者からハトムギの実を食べるように言われたので、ご飯にハトムギの実に入れるように」と言いました。それで、私たち夫婦はハトムギの実を大量に買いました。
お正月の14日、私たち夫婦は、次男の嫁を迎えに空港へ行きました。家に着くと、嫁親子がコートを脱ぐと、下に厚手の服を着ていました。私は外側のコートを脱ぐと、細い糸で作った薄いセーターだけを着ています。嫁に「お母さん、寒くないの?」と聞かれ、「私は法輪功を学んでいるから、寒くないよ」と言いました。嫁は、「お母さん、お母さんが読んでいる本を貸して、読みたい」と言ったので、『轉法輪』を渡しました。
その晩、嫁は『轉法輪』をほとんど読み終えました。翌日の朝、嫁は「お母さん、この本はとてもいいよ。共産党の宣伝と違う」と言いました。しばらくして、「お母さん、この子の口が治ったわ!」と嫁の叫び声が聞こえたので、「赤ちゃんの口がどうなったの?」と聞きました。嫁は、「赤ちゃんの口の中に鵞口瘡(がこうそう)が二つもあったの。2カ所の病院にかかっても治らなかったので、授乳が終わるたびに薬を塗ってあげたの。でも、今見たら治ってた!」と言いました。
嫁は、「大法の本を読んだおかげで、赤ちゃんの口が治った」と理解しました。嫁は、「お母さん、私にも功法を教えて!」と言ってきました。帰国したばかりで、功法を学ぶなんて、嫁は大法と縁があるに違いないと私は思いました。
2日後、嫁の顔が赤くなり、かゆいと言いました。私は「気にしないで、いいことよ」と言いました。1週間後、嫁の顔のイボが消え、きれいになったのです。嫁は「私の顔がこんなにツルツルになったのは何年ぶりだろう」と嬉しそうに言いました。そして、嫁は電話で、そのことを実家の家族や友人に話しました。
私たち夫婦の安全と隣人からの監視を避けるために、次男夫婦は別の地区に家を購入し、学法グループの学法用に使わせました。私たちの学法グループは10年以上順調に続いており、大法弟子が衆生を救う歴史的な使命を果たす作用を発揮できました。
3、迷子になった孫娘が私の後ろに立っていた
私の家は、商業地域にあり、周りにデパートやショッピングモールがたくさんあります。孫娘はまだ11カ月で、両親は海外にいるため、昼も夜も私が面倒をみています。こんな小さな子供がいるので、私は真相資料を配るのも、対面あるいは電話で大法の真相を伝えることも、ショッピングモールで行いました。
孫娘がもうすぐ3歳になる夏のある日の朝、孫娘を連れて定期的に子供の服を買いに出かけました。そこにある写真館のオーナーの子供(孫娘より2歳年上)と孫娘はおもちゃ屋でお絵かきをしていました。
10時頃、オーナーの子供が母親に連れられて服を試着しに来たので、私も孫娘のための服を選ぼうとしましたが、孫娘が1人でおもちゃ屋で絵を描いているのを忘れてしまいました。しばらくして、オーナーの子供が試着を終えておもちゃ屋に戻ると、孫娘がいないことに気づき、「孫がいなくなった!」と叫びました。
子供服の店、おもちゃ屋さん、写真館のオーナーや従業員たちは、みんな外へ出て孫娘を探しました。この時、私はかなり冷静になっており、「大丈夫だ! 迷子にはならない」と考えました。しかし、いつも孫娘を連れて行く場所をすべて探したのですが、見つかりませんでした。しばらくすると、孫娘を探しに行った人たちが走って戻ってきて、誰も孫娘を連れて帰って来ていないと気づきました。
この時になって、私は落ち着かなくなり、最後の望みをかけて周囲を見渡し、「師父、孫娘はどこへ行ったのでしょう?」とつぶやきました。ふと振り向くと、私の後ろに孫娘が固まって立っていました。私はすぐ、孫娘を抱きしめました! 孫娘を助けて下さったのは師父だとわかりました!
翌日、次男から電話があり、「昨夜、子供が迷子になった夢を見て、冷や汗をかいたよ」と言われました。こんな偶然があるでしょうか! 私は心の中で、この大きな難を解消して下さったのは、師父の法身だと確信しました。
4、大法に対する態度を改め 呼吸がスムーズになった息子
2020年、中共ウイルス(武漢肺炎)が世界中に広がり、多くの産業が停止し、次男のレストランも閉店しました。その年の6月のある土曜日の朝、私は発正念をした後、次男一家とビデオ電話をしたとき、次男の嫁は「彼(次男のこと)が最近、具合が悪くて、特に喉のほうが……」と言ったので、私は「大丈夫、『 法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と心から唱えれば、すぐに元気になるよ」と言いました。しかし、次男は、「僕は全然信じていないのに、どうやって心から唱えればいいんだ?」と言いました。それを聞いて、私はとても気分が悪く、「どうして息子の悟りはこんなに悪いのだろう?」と思いました。
翌日の未明、嫁からビデオ電話があり、次男のことを話してくれました。昨日、私との通話の後、次男は呼吸困難になり、横になれず、座れず、眠れず、枕を持ち歩き、「このまま息が出来なければ死んでしまうんじゃないか」と、恐れていました。次男の友人たちも、「本当に危険だから早く手術しなければならない」、「心臓バイパスをしなければならない」といろいろと言ったそうです。私は嫁に「早く明慧ネットで厳重声明を発表し、大法師父に自分の過ちを認めて謝り、師父に救って下さるようにお願いしなさい」と話しました。
嫁はすぐに息子に相談し、息子も同意しました。そして、息子が長年にわたって、師父や大法を軽んじるような言動を少しずつ思い出し、「厳重声明」を書き、明慧に送りました。その直後、息子は呼吸が楽になり、体調も良くなりました。師父が息子を救って下さったのです! 息子も大法の素晴らしさを体験しました!
それから、息子一家3人は毎日、一緒に功法を煉り、大法の本を読み、本の暗記をしています。
2022年、嫁は重い病業に遭い、大法の本を読む力さえなかったのです。その期間、息子は毎日『轉法輪』を読み聞かせ、嫁の世話をしました。十数日後、師父の慈悲深い保護の下、嫁は病業を乗り越えたのです。
奇跡的なことが、次々と私や私の親族たちの身に起きているのに、どうして神様はいないと言えるのでしょうか!
法輪大法を学ぶ人は世界中に1億人もいて、大法弟子なら誰でも素晴らしい体験があります。古代中国では、佛や道を修める人が多くいたではありませんか? 西洋人も信じている神に祈るのです。長い歴史の中で無神論は人間の世の一瞬の災難に過ぎないのに、どうして無神論を信じるのでしょうか!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『法輪大法義解』「長春法輪大法輔導員のための説法」
(明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)