内に向けて探し 病業の関を乗り越える
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2023年5月31日】私は2020年に「病業」が現れました。はじめは、呼吸が苦しく、横になることができませんでした。昼も夜も座りっぱなしで、足は大根のようにパンパンと腫れ、お腹も大きくなっていました。ある日、2人の同修が訪ねてきて、そのうちの1人から「こんな状態になって怖くないのですか?」と聞かれました。私は「師父がおられるし、大法もあるし、どうして怖がる必要があるのですか? 私はすべてを師父にお任せしており、師父が決められることです」と答えました。

 数日後、ある同修が訪ねてきました。同修は私を見て「白目を向いていますよ」と言いました。これは地方の表現で、死にそうな人の様子という意味です。その時「また言われた」と思ったのですが、何も言い返しませんでした。同修が去った後、私は「同修たちよ、私を励まさないばかりか、傷口に塩を塗り込むなんて」と思い、耐えられないほどの気持ちでした。しかし、私の心の中にはただ一つの思いがありました。「息がある限り、私は師父の按排にしか従わない。他の誰の言うことも聞かない」と。 

 2020年末には、私は支離滅裂で意味不明な言葉をしゃべったりして、混乱状態に陥り、家族も私の死を覚悟して、死後の用意をしました。

 ある日、義妹は、息子と息子の妻(新婚)を連れて私の見舞いにきました。私はすでに頭が混乱していたものの、甥の嫁がまだ「三退」をしていないことを思い出し、甥の嫁に「三退」すれば安全でいられることを知っているか?」と尋ねました。甥の嫁は「夫から聞きました」と答えました。私は「この叔母が元気なら、あなたに「三退」を勧めさせるのに」と言うと、甥の嫁は「じゃ、私は『白雪』という仮名で三退をしたいです」と言ったのです。それを聞いて「これは師父のご按排によるものだ!」とわかりました。 

 2021年初頭のある日、私は夢を見ました。「大人や子供など多くの人が受験しているようで、その様子を見ていると、みんな精進している大法弟子のようでした。私はその人たちを羨ましく思ったのですが、自分の惨めな姿を見ていると、試験を受ける資格はなく、袈裟と、物乞いをするお椀をもらうしかできないと感じました。すると、試験官が『この人を大きな板で3回叩きなさい!』と叫ぶ声が聞こえました。試験官の方を見ると、まさに私に向かって言ったのです。厚さ1センチ、幅6、7センチ、長さ2メートルほどの板で、私の体を激しく叩き、その結果、体の前面と背中がくっ付き、体全体が一枚の板になったと思いました」。夢から目が覚めて無意識に手で腹部を触ると、やはり膨らんだままでした。当時、それはどういう意味なのかがよくわかりませんでした。

 翌日、ある同修が家に来たので、その夢の話をしました。その同修は「あなたは和尚になるだけのためにこんなに長い間修煉してきたのですか?! それなら、師父は本当に悲しまれるでしょう? あなたがよく修めてできた部分は金色に輝いていますよ。師父は私たちに多くのことをしてくださり、もっとも良いものを与えてくださったのですよ」と言いました。その時、私はやっと、師父が1999年7.20以前の大法弟子全員を所定の位に推し込んだことを思い出しました。師父は私たちの心性がその位まで高まることを願っておられます。そして、そこまで心性を向上できれば、圓満成就して師父について帰ることができるのだと悟りました。しかし、私は魔難の中で、自分を修煉者とせず、大法の教えに従って行わなかったのです。それを思うと、恥ずかしくて、師父に申し訳ない気持ちになりました。 

 それ以来、師父の写真を見る勇気もなく、しばしば悔し涙を流し「一から修煉し直し、一から大法の本を読む」と決心しました。私は大法の書籍を出版日順に並べ、一冊一冊勉強するようにしました。同修は私とよく交流し、切磋琢磨しました。師父はしばしば修煉をしていない家族の口を借りて私を啓発してくださいました。師父に心から感謝しています。 

 しばらくして、私のふくらはぎに針穴ほどの穴がたくさんでき、肥料の尿素のような臭みで黄色い汁が垂れてきました。しかし、その小さな穴は痛くもなく、拭き取りが間に合わないほどの速さで、汁が垂れてきたのです。私は「流せばいいのだ」と思いました。同修も「いいことですよ」と言いました。

 しかし、ある同修から「これは漏れがあることです」と言われたので、私は内に向けて探しました。名利心、嫉妬心、闘争心、恨みの心、欲望、顕示心、歓喜心など、多くの執着心が見つかりました。そこで、私は師父にご加持をお願いし、執着心を一つずつ取り除くことにしました。その結果、3日間でそれらの穴は塞がりましたが、まだ1つ大きな穴が塞がっていませんでした。それで私はさらに、嫉妬心、闘争心、恨みの心を徹底的に取り除くようにしたら、数日後に治りました。

 今回のことで、大法は万能であることが改めて示されました。この「病業」を通じて、私は「修める」ということがわかるようになった気がして、観念を改めることだとわかり、内に向けて探すことの良さもわかりました。魔難に遭遇したとき、自分が修煉者であることを心掛け、大法に従って行動すれば、本当に「柳暗花明又一村」 [1]の結果になるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/5/17/460899.html)
 
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