【明慧日本2023年6月14日】私は1997年に法輪大法を学び始めました。仕事は高齢者の面倒を見ることです。私は一つの固執的な観念があり、それは目で見たことこそ真実だということでした。しかし、私が面倒を見たある老人が私のその観念を変えました。
その老人は、教育を受けたことがありませんが、大法の素晴らしさと師父の偉大さをとても信じています。以前、老人は紅斑性狼瘡(こうはんせいろうそう)に罹ったことがあり、常に薬を飲んでいました。「一日も薬を離してはいけない。さもなければ命が危険」と医師は言いました。私は「常に『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!』を念じるようにしてください」と老人に言い聞かせました。老人は私の話を素直に信じており、常に念じています。その後、老人は薬をやめました。老人が薬をやめたことで、老人の家族はびっくりしました。しかし、老人は薬を飲まないことを堅持し、大法を信じているので、時々難に遭ったとしても結局何事も起こりませんでした。
ある日、私は老人をトイレに案内しました。用を足した後、老人を助けて便座から立ち上がらせました。しかし、便器の中を目にした時、私はショックを受けました。便器の中は血でいっぱいでした。私はその時に「まずい! 老人はもう危険だ!」と思ってしまいました。私の声を聴いた老人は「どうしたの?」と聞きました。私は「便器の中は全部血ですよ」と返事しました。老人は「流れ出て良かった」と淡々と言いました。結局、その後、老人は何事もなく無事でした。老人と比べて、師父を信じ大法を信じることの差に私は気づき、目で見たものこそが真実だという観念を見つけました。
またある日、老人の耳の中には血の塊がいっぱいで耳が詰まりました。私はその様子を目撃して再びびっくりしました。老人は「何があるの?」と私に聞きました。私は実情を告げた後「掘り出してください」と老人に頼まれました。私は沢山掘り出しましたが、気持ちが大変悪くなりました。「耳の中は細くかなり狭いのに、切りがないほどあり、これほど多くのものはどこから来たのか。もしかしたら、大脳の中から流れてきたものなのか?」と私は疑問に思いました。やっと掘り出し終えると、耳から血が流れ始めました。「まずい! 老人は五官が出血しており、もしかしたら寿命の期限なのか」と私は思いました。しかし、老人は少しも動じず「大丈夫ですよ」と淡々と言いました。結局、本当に無事で、逆に聴力が以前より良くなりました。
三度目は、私が老人のお世話をして、すでに7、8年が経ち、老人はかなり年を取りました。ある日、老人は紅斑性狼瘡が再発し、お尻や大腿、股の両側の筋肉にも潰瘍ができ、しかもますます悪化してきて、部屋の中は腐臭でいっぱいになりました。老人の身体は血まみれで、お尻のほうに大きな穴ができました。老人の親戚も私も怖く感じ「今回は本当におしまい。もう死ぬでしょう」と思っていました。
私は師父の説法を思い出しました。「人間の意念が一カ所に長く集中していれば、エネルギーがそこに固まって、丹ができるようになります」 [1] 私は意念を老人の潰瘍の部位に集中して「大法の真・善・忍に同化しよう」と繰り返し念じていました。老人も心が動じず、九文字を引き続き念じていました。ある晩、老人の面倒を見にきた親戚が老人のお尻を見て「奇跡です! 不思議なことが起きました! 新しい筋肉が生えてきました!」と言いました。数日後、新しい筋肉が確かに生えてきて、潰瘍は治りました。
老人のこれらのことを通して、私は固執的な観念が徹底的に変わりました。大法は超常的で、以前、大法のことについて非常に反感を覚えていたその親戚も、大法の奇跡を信じるようになり、大法のお守りを求めるようになりました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』