我が家の新しい学習者、古い学習者の物語
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  【明慧日本2023年6月30日】私が法輪大法を学んでから3年半が経ちました。我が家では一番古い学習者なのです。なぜ一番古い学習者なのか、そのわけは、私が法輪大法の修煉を始めた時のことから話したいと思います。

 2019年9月、私の人生はどん底に転落していました。夫は急死し、私もさまざまな病気を患っていたのです。白血球減少症、8歳のときから高血圧症で49年間降圧剤を飲み続けており、徐脈、五十肩、頸椎痛、椎間板ヘルニア、鼻炎、皮膚のアレルギー(年中)、長期的な不眠症もあって1日中頭がはっきりしていませんでした。しかも顏は黄色くて黒く、目の下にはパンダのような大きなクマがありました。顔のシミはまるで顔についた黒い泥のようでした。私の両親は医者だったので、私に薬や注射での治療を指導をしてくれましたが、両親は共に80歳で、自分の孫の世話もほとんどできないのに、こんなにも病気が多い娘の世話などできるわけがありませんでした。私は元々、老後は夫に面倒を見てもらうことを期待していたのですが、その望みは絶たれてしまいました。

 そんな絶望の中で、私は希望の光を垣間見ました。かつて有名な「林黛玉」(『中国四大名著』の『紅楼夢』のヒロインの1人。美少女で病弱)のようだった私の同級生は、法輪大法を修煉しているため、20数年間一錠の薬を飲まず、とても健康で活力が溢れていました。彼女は同年代の私たちと比べると、15歳くらい若く見えます。彼女は夫が病気を患っている間、いつも私を助けてくれました。その時は絶望的になっていたのですが、ある時、「法輪大法を試してみよう!」と思ったのです。

 エリートと呼ばれていた私でしたが、修煉と信仰に関する知識はゼロに等しかったのです。しかし、『轉法輪』を拝読した後、大法の師父は私にひらめきを与えてくださいました。師父は、宇宙と生命の奥深い意義、人間と神との関係、人間がなぜ修煉するのか、人間がどのように修煉するのかなど、平易な言葉で説かれていたからです。

 しかし、自分の観念を変えるのは難しく、修煉は容易いことではありませんでした。それでも、私は少しずつ、無神論的、進化論的な考えや、人間の身体や生命に対する現代的な狭い理解を排除していきました。私の身体に非常に強い反応があったり、不快に感じることもあったり、それと同時に家族からのプレッシャーもありました。両親と息子は、私が薬を飲まなくなったのを見て、「このままでは命を失ってしまう」と、とても心配しました。中国共産党による法輪大法への誹謗中傷に影響され、親戚や社会の人たちが法輪大法を誤解しており、嘲笑する人がたくさんいました。教育に携わっている私にとっては大きな試練であり、親族に対する情の関、名利の関、病業の関というハードルを乗り越えなければなりませんでした。

 先ず家族や親戚から、中国共産党による法輪大法への迫害の事実から話し始めました。暫くして、大法の素晴らしさを伝える資料のほうが、私の話よりも優れていることに気づき、「天安門焼身自殺事件」、法輪功とは何か、世界での大法が広まる状況、大法の素晴らしさ、修煉の物語などに関するビデオを家族に見せ、そして音声も聴かせました。

 私は時間を無駄にしたくなかったので、夜中に起きて法を勉強したり、煉功したり、同修の修煉体験のラジオを聴いたりしました。動功を煉るだけでなく、痛みをこらえて1時間半の静功もしっかりとやりました。さらに多く発正念し、人々に大法の素晴らしさを伝えて三退を勧め、3年間で数百人を脱退させました。苦難を耐え忍び、正しい信念を堅持する修煉の過程を身をもって感じました。

 しっかりと学法と煉功して3カ月後、私の体に変化が現れました。以前患っていた病気の症状はすべて消え、重かった体も軽くなりました。長い距離を歩いても疲れを感じることもなく、寒がりで暑がりの私だったのが、寒さも暑さも平気になったのです。かつて不眠症だった私は、横になるとすぐに入眠できるようになりました。私は、本当の生命は死ぬのではなく、輪廻転生に過ぎず、修煉の過程で自分の生命が昇華されたことを知りました。たまに辛い時もありますが、楽観的で明るくなり、明るい未来が見え、目はキラキラしてクマが消え、シミが消え、肌は白くなり、唇もきれいな色になりました。

 一昨年から、冬になると、年老いた両親の面倒を私が見ることになりました。面白いことに母は私を見ると、「きれいな顔をしているね。見れば見るほどいい顔だね」と褒めてくれるのでした。母も睡眠障害があったので、「法輪大法は素晴らしい」と唱えるように言いました。すると母は、誠心誠意に唱え、よく眠れるようになりました。生涯医者だった父は、実証科学的な考え方が強く、目の前にいる私の変化がわかっても、心の中では「修煉で病気が治るのか」という疑問を持っていました。

 昨年11月、両親が我が家にやってきました。父は84歳で、帯状疱疹で足全体が赤くなって水ぶくれで覆われ、一日中ずっと痛いと言いました。数日経ったころ、父は、1人でトイレに行けなくなり、2人に支えられて行くようになりました。私は父に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を唱えるように、いかに誠実に唱えるかを伝えました! 1週間唱え続けると、父は1人で車椅子を押してトイレに行けるようになりました。

 ある夜、父はベッドから降り、立ち上がって間もなく仰向けに倒れたのです。母は大きな音で目を覚まし、父の姿を見た母は驚き、直ぐに駆け付けた私は父を抱き起こしました。「どこが痛いの?」と尋ねると、父は「後頭部と坐骨を打った」と言いました。私は父に、「心からの九文字を唱えれば大丈夫です」と言いました。父は骨粗しょう症がひどく、腰も弱いのですが、あんなに激しく転んでも何ともありませんでした! 奇跡的です!

 それ以来、父は心からの九文字を唱えるだけでなく、『轉法輪』を真剣に読むようになり、現代医学の限定的な考えから少しずつ抜け出しました。佛家の素晴らしさや、さまざまな次元にあるさまざまな生命の状態を理解し、煉功の動作を学び始めました。両親は毎日法を学び、功を煉り、身体も精神もどんどん良くなっています。 そして今では、母は1人で料理ができるようになり、父は床のモップかけの手伝いもできるようになりました。

 妹のことも話します。お正月前、妹は両親の様子を見るため、我が家に泊まりました。新型コロナが蔓延していましたが、私はスーパーに買い物に行きました。家族からは「出かけたら危ないよ」と言われていたので、少し動揺してしまいました。その一念で、結局、その日の夜10時に発熱し、吐き気もありました。妹に血圧を測るように言われ測ってみると、やはり高かったのです。しかし、その時、私の正念が出てきました。私は横になり、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と繰り返し唱えました。2時間後の、夜中の12時過ぎには熱が下がっていました。

 朝3時過ぎ、煉功の時間になり、腰が痛くて寝返りが打てなかったのですが、何とか頑張って起き、5式の功法を煉り終えました。朝食を作る時間になるころには、どこも痛みを感じませんでした。少し倦怠感はあったのですが、朝食を作り、家を掃除しました。その後、食材の買い出しに出かけ、コロナにかかった家族の世話をし、いつも通りに過ごしました。

 コロナにかかった家族たちは症状がひどくて、回復に時間がかかりました。妹の熱と咳は数日経ってもも良くならず、悪化する一方でした。私は妹に、心からの九文字を心から唱えるように言いましたが、なかなか信じてくれませんでした。そのため、妹に何度も何度も、心からの九文字を唱えることによって奇跡的なことが起こった例を話し続けました。その夜、耐えられないほど辛くなった妹は、布団の中で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱え始めました。妹は、唱えながら眠ってしまったのですが、朝起きると酷かった咳が全く出なくなっていました。

 衝撃を受けた妹は、『轉法輪』を手に取ると直ぐに読み始めました。 妹はとても利口で、すぐに法理を理解し、「法輪大法は本当に素晴らしい!」と叫びました。 暫くして、師父は妹に法輪を授けられました。妹は、法輪がお腹で時計回りに9回回転し、逆時計回りに9回回転したのを感じたと話しました。

 また家族の3人の新しい学習者以外にも、大法修煉の道に入ろうとする人がいます。

 先日、数年ぶりに義姉が、私の家の近くの病院に入院したので、お見舞いに行きました。義姉は、私の顔を見て大泣きしながら「もう絶望的なの!」と言いました。しかし、姪も義姉も私の大きな変化に驚いていたのです。私はその経緯を詳しく話しました。義姉は「今すぐにでも、大法の本を読みたい、大法を学びたいです!」と言い出し、姪も「学びたい」!と言いました。また同じ部屋にいる患者の人たちも、心からの九文字を唱えるようになりました。

 師父が人を救うためにさまざまな機縁を按排してくださったのだと、つくづく感じました。「創世主はなぜ衆生を救い済度しているのでしょうか!  彼が衆生を愛しているからです!  衆生の命は全て、彼によって与えられたからです」[1] 

 私たちは創造主の使者として、より多くの人々を救い、より多くの衆生を大法の道へ導かなければならないのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『なぜ衆生を救い済度するのか』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/5/17/460850.html)
 
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