新しい学習者:嫉妬心を修めた体験
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文/中国本土の大法弟子

 【明慧日本2023年7月2日】最近、私は同修である母親と協力する際に何度か不快な思いをしました。母親の資料の纏め方や折り方がよくないと感じ、「工事の監督をする人」のように母親を見張るようになって、さらに母親がすでに折り終えた資料を再び広げて確認したこともありました。何度か続いた後、母親は不満げに「みんなもあなたみたいに思うのなら仕方がないけれど、もう何でも自分でやりなさい。他の人がやったら信用できないんでしょう?」といいました。。当時、私は自分の言動が間違っていないと思っていました。それは責任ある態度だと考えていたのですが、結果としては理解されず、自分が冤罪に遭ったような気持ちになりました。

 実際のところ、真逆で、私は間違っていました。私の嫉妬心が作用していたのです。慈悲深い師父は何度も私が悟らないことをみて、後に次の一言を私の頭に打ち込んで下さいました。「私は申公豹のようであり、母親は姜子牙のようだ」ということでした。なるほど、母親を私はずっと年配の人だと思っていて(実際、母親は60歳をこえていますが、若々しく見えます)、仕事が遅く、段取りができていません。私自身はとても有能だと思っていて(実際には私の「有能さ」はすべて、法輪大法を修煉した後、師父が与えてくださった知恵なのです)。できることが多く、分かっていることも多く、だから後天的な観念から母親を見下してしまっていたのです。

 以前、私は自分より優れた人を妬んでいることだけが嫉妬心だと考えていましたが、最近の経験から、母親の行動に不満を抱き、お節介を焼いたり、物事を選り好みしたりすることも嫉妬心の表れだと気付きました。その晩、私は集団学法の時にまた同じ過ちを犯し、母が法を読み上げる時の口調が間違っていると指摘し、それは母のためになっていると思い込んでしまいました。その結果、母は「自分で読んで」と言い残し部屋を出て、別の部屋に行ってしまいました。

 母は私よりも修煉がよくできており、迫害が始まる前から現在まで、ずっと修煉を続けてきました。迫害の中でも、師父と大法を信じる心は動揺したことがなく、家庭内の資料拠点も母が行っています。一方、私は最近1〜2年間で再び法を学び始めたばかりの新しい学習者ですので、母との差は大きいのです。しかし、自分の観念や党文化に支配されてしまい、母の修煉の中の不足点にばかり目を向け、法をもって自分の正誤を判断することができませんでした。

 愚かな弟子を悟らせてくださり、このような環境で私の嫉妬心を露呈させてくださり、私を向上させてくださった師父に感謝します。母は、私の低い心性、激しい言葉、嫉妬心から生じた不公平や傷つけを何度も受けてきました。私はここで深く謝罪の意を表します。

 煉功者として、返本帰真こそ修煉の目的であり、嫉妬心は修めなければなりません。

 (編集責任者:ウ悦)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/22/462231.html)
 
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