利己主義への執着を手放す
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年7月6日】私は 1998 年に法輪大法の修煉を始めました。長年に渡り、自分自身の態度に注意を払って来ました。これによって衆生が救われるかどうかが決まると私は考えています。そのため、私は常に自分を修煉者として扱い、自分自身に厳しい要求を持っています。だからこそ、村の仲間たちが私を褒めてくれるのです。私も三つのことを全て行っており、法を正すその時についていけていると感じていました。

 私と親しい二人の修煉者が2016年に不法に連行され、判決を受けました。私たちの地元の多くの同修も迫害されました。その結果、私は恐怖への執着を持ち、常人の持つ執着心で自分を守るようになりました。私は自分の内側を見つめ、自分を磨き、その執着を探しませんでした。まだまだ自分は大丈夫だと思い、三つのことに対しても積極的ではありませんでした。知らず知らずのうちに、私の修煉状態は徐々に悪化していきました。

 しかし、慈悲深い師父は何度も私を目覚めさせ、自分の責任と使命を理解させて下さいました。

 利己主義を手放す

 私たちの小さな学法グループが勉強している最中に連行され、グループは解散しました。それは2016年のことでした。5年後、数人の修煉者達が私たちの村にやって来て、私はある問題点を発見しました。修煉体験を交流する中で、私はこれが正しい状態ではないことに気づきました。そこで翌日、私は同修たちとこのことを話し合い、小さな法の勉強会を二つ立ち上げました。

 私たちの小さなグループは3人で構成されていました。ある同修は法を非常に早く読みました。しかし、彼の発音は明瞭ではなく、多くの言葉を間違って読みました。それを見て、私ともう1人の修煉者は読む速度を落とし、根気強くそれを訂正し伝えました。この学習者は大きく変わって、真剣な姿勢で法を学ぶという利点を実感することが出来ました。

 5カ月が経ったある日、夕方息子が学校から帰る時、親切な近所の人が、私の家の前にパトカーが停まっているのを見たので、私に注意するように頼まれたと話してくれました。私は2008年に明慧週刊誌を取りに学習者の家に行った際に拘束されたことがありました。そのため、この知らせを聞いたとき、少し心が動揺しました。しかし、集団で法を学ぶことは李洪志師父(大法の創始者)が私たちに残してくださった形式であり、悪とは何の関係もありません。また、衆生が大法に反して罪を犯すのを規制する権利もありません。しかし、中国は依然として邪な迫害が存在している環境であり、私たちは依然として安全に注意する必要があります。

 そこで、私たち3人は法を勉強する場所を、私が野菜を植えている野菜小屋に変更することにしました。そして冬が到来して、昼がとても短くなりました。法を勉強するだけでなく、野菜も収穫しなければならないので、時間が足りませんでした。そこで私は、「法が最も重要であり、同修の修煉の向上が優先されるべきである」と考えました。これは、自分の欲求を優先するか、他人のことを第一に考えるかの選択であると言う意味です。そのため、毎日、野菜小屋の毛布を交換した後、ヘッドランプを使い、まだ収穫できていない残りの唐辛子を摘み取りました。

 一年間の集団学法の後、学習者の読む速度は正常に戻り、法を間違って読むこともなくなりました。私たち3人も自分たちの修煉が向上したことを実感しました。

 ある日、唐辛子に優曇華(うどんげ)の花が20本も咲いているのを発見しました。青唐辛子の表面に小さな白い花が咲きました。それは師父が私を励まして下さったのです。

 他人の事を第一に考える

 ある修煉者が、2022年5月に私が危険にさらされるという夢を見ました。彼女はすぐにタクシーで私の家まで来て、すぐに利己主義を捨てて他人の事を第一に考えるようにと言ってくれました。その時、彼女の言葉が私の心に響き、頭が一杯になりました。私は消極的な性格で、自分を誇示するよりも他人と協力することを選びます。いろんなことが怖くて、心配なことがたくさんありました。他人の事を第一に考えることが法に基づいているということを私は心の中では知っていました。しかし、恐怖に思う心と犠牲などを払ってまで、困難を受け入れたくないという思いが私を包み込み、その考えを共有することができませんでした。

 同修が去った後、私は自分自身に尋ねました、「私は本当に修煉したいでのすか?」と。修煉したいなら、前進しなければなりません。私は線香をあげて、「先生、私は他人の事を第一に考えたいと思っています」と言いました。

 数日後、地元の同修たちは邪な妨害を取り除くために正念を発しました。ある同修は、皆が一緒に正念を送るとエネルギーが強いと言いました。そこで、私は地元の5人の修煉者それぞれの家を訪問し、全員が一緒に正念を発しました。また、師父の新しい経文『目覚めよ』を学び、修煉体験を交流しました。

 この5年間で、皆が一緒に座り、率直かつ誠実に修煉の考えを交流するのは初めてのことでした。みんなの心と体が一つになりました。

 その夜、私は夢を見ました。私のズボンの中に大きなシラミが5匹いたので、私は殺しました。私の利己主義がかなり解体されたのを師父が私に見せて下さっているのが分かりました。

 オンラインで法を学ぶ

 ある時、私はとてもはっきりとした夢を見ました。夢の中で私は歩いていましたが、力がほとんどありませんでした。一方、私の隣にいた人たちは、大きな足取りでとても安定して歩いていました。法に基づいて修煉して私利私欲をなくしてこそ、強くしっかりと歩むことができると理解しました。

 隣の村の修煉者は、8~9年前から明慧週刊誌を私たちに届けてくれています。人に頼ったり、望んだりすることは、正しくないとはわかっていますが、以前は問題を招くのが怖くて、積極的に行動することができませんでした。これは私の利己主義によるものだと気づきました。そこで私は、修煉者の負担を軽減するために、明慧週刊誌を読む代わりに小さなメモリカードを使用することを提案しました。

 修煉者たちは非常に協力的で、自発的にノートパソコンを準備してくれました。コンピューターの設置を手伝ってくれる技術者も見つけてくれました。

 この修煉者はとても辛抱強く私に教えてくれました。当初、私はコンピューターに疎かったので、私の心は何かに影響を受けていたようでした。教えられたことをすべて忘れてしまうほどでした。さらに悪いことに、私は修煉していない夫が仕事から帰ってきた時に私たちが何をしているのかを見ているのではないかと心配していました。しかし、ちょうど修煉者が荷物をまとめて帰ろうとしたとき、夫が帰宅しました。修煉者は彼に話しかけましたが、彼は返事をしませんでした。というのも、私が過去に迫害されていた時、夫も警察署に不法に丸一日拘留されたからです。それで、私たちがコンピューターや大法に関係するものを持っていると、彼は非常に怖がりました。

 修煉者が帰った後、私は夕食の準備に取り掛かり、夫は怒ってテレビをつけました。しかし、毎日正常に作動していたテレビの映像が映らず、それで彼はさらに怒り、すぐにベッドに倒れ込みました。彼は内向的な人でほとんど話をしませんでした。テレビの映像の直し方も分からず、修理してくれる人を探そうと思いましたが、何かの拍子に壊されるのが怖かったのです。

 その時、師父が助けてくれました。私は勇気を出してテレビの前に行き、電源プラグを抜きました。赤の表示が青に変わったのを確認して、電源プラグを差し込んでみると、なんと、テレビの画面に映像が映し出されました。私はすぐに夫に言いました。「起きて、もう怒らないで、テレビも映るようになったし、夕食の準備もできているので、夕食を食べながらテレビを見ることができるわ」、彼はベッドから起き上がり、夕食を食べながらテレビを見ました。

 夫に見られるのを恐れた私の邪な思いが問題を引き起こしたのだと心の中では理解しました。師父は説かれました、「一つの心も動じなければ、すべての動きを制することができるのです」[1]

 私の正念もしっかりしてきました。私のやっていることは最も正義なことなので、誰も干渉する権利はありません。衆生にはそうする権利はなく、神聖な存在にもそうする権利はありません。そんなことをする者は犯罪を犯したことになる」

 その後、その同修はさらに2回来て、夫も普通に話してくれました。彼は、時間があればいつでも来て下さいと自分からその同修に頼みました。

 知らず知らずのうちに、法を理解する力が変化していることに気づきました。私は法に基づいて自発的に物事を理解し、しっかりと修煉し、問題に遭遇したら自分を正すようになりました。

  遂行するという使命を忘れない

 私は仲間の修煉者たちと意見を交わすうちに、私は自分の責任と使命を認識しました。そのため、私は村の同修たちと協力し、師父が望まれる、一体となって向上した境地に達するために、病業に陥っている修煉者や修煉を中断した同修を率先して訪れる事にしました。また、「皆に協調する」という概念を、「相手のことを第一に考える」という概念に変えました。

 近くにいる長く修煉している同修は、刑務所から解放されて以来、あまり良い修煉状態では無く、彼女は法を勉強すると少し眠っていました。私は自分の観念を打ち破り、率先して彼女と一緒に法を学ぶことにしました。

 その日私は、野菜小屋で作業があったので、午前中は仕事をして、午後はその同修と一緒に法を学ぶ予定でした。その同修が午前中に『轉法輪』を学び、午後は他の地域で講義を聞きに行く予定だと知り、私は自分の時間を彼女に合わせて彼女を助けようと思い、午前中に彼女と一緒に法を学び、午後は家に帰って小屋で作業をしました。

 その過程で、私は他人のために正念を送りたくない、その古い修煉者の家に長時間、滞在するのが嫌だという執着を取り除きました。その年、私は入院中の高齢の女性修煉者のために正念を送ったからです。正念を発している間、私は大きな瓶と大きな針を持って私を追いかけてくる小さな黒人のグループの夢を見ました。結局、彼らは私を捕まえることはできず、私は目が覚めました。私1人ではその悪に打ち勝つことができず、傷つくのではないかと心配していました。もう一つの理由は、この古い修煉者の同修が自宅で法を勉強中に連行されたことです。数年前に警察が盗聴器を設置したと聞き、私も狙われるのではないかと不安になりました。

 このすべてに気づいたとき、私はそれらの不正な考えをすべて取り除きました。このネガティブな思考は私ではなく、それらの執着はすべて利己主義から生じています。

 師父は説かれました、「本当のあなたは清浄で、それらは全て後天的に汚染されたものなので、それを取り除き、捨てようとしているのです。つまりそれを排斥しているのです」[2]

 たとえどんな悪い考えが浮かんできても、私はそれを拒否します。私たちは30分間正念を送りましたが、その効果は本当にとても良かったのです。その数日間、大雨とともに風が吹き荒れていましたが、私は小さな法の勉強会に遅れたことは一度もありませんでした。大変でしたが、とても気持ちが楽になりました。自分勝手な自分を捨てて、相手のことを第一に考えられるようになりました。

 上記は私の修煉の過程のほんの一部です。実際、師父は私にさらに多くのことを教えて下さいましたし、同修は私を大いに助けてくれました。師父の慈悲深いご加護と配慮がなければ、またその修煉者が適時に思い出させてくれなかったら、私は今でも自分の利己主義に囚われ、自分自身に満足していたかもしれません。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨(二)』「最後の執着を取り除こう」
 [2] 李洪志師父の著作:『ヨーロッパ法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/1/458308.html)
(English: https://en.minghui.org/html/articles/2023/6/26/210055.html)
 
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