若い修煉者:法を書き写す中で執着心を取り除く
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2023年7月10日】 ここ一年近くの修煉において、私はしばらく精進しては怠り、またしばらく精進してはまた怠ってを繰り返してきました。 精進しているときは、毎日5式の功法学法を続けることができ、 精進していない時は、携帯電話や動画を観たり、ニュースを読み、アダルトサイトさえ見ることがありました。そんな時、朝起きて煉功ができなくなり、学法にもついていけません。それがしばらく続いて行くうちに、体に悪い影響が起きて来るので、また精進するようになります。 その過程で執着心も探していたのですが、いつも表面しか見えてないような気がしていました。

 その後、明慧ラジオを聞いていますと、同修が、大法の本を何度も読み慣れているので、法を読む時、文頭の言葉を見ると、無意識に次の文の内容を頭で追ってしまい、心から法を学んでいなかったと言っていました。同修の話に自分を照らし合わせて、長い間自分にもこのような状態があり、時には学法の量を求めていたのでした。 法を学ぶとき、私はざっと読んだだけで、心に入っていなかったのです。

 問題点が分かりましたので、私は法を書き写すことに決めました。法を写すときは雑念を抱くことがなく、法に集中しなければならないからです。そうでなければ、気が散るたびに、間違った言葉を書いたり、書き落としたりします 。今、『轉法輪』の第四講を写しています。 書き写すのは読むよりずっと遅いのですが、書き写すことによって、法からより多くのものを読み取ることができ、時には一行、一文字からでも師父の慈悲なる啓示を感じます。法を書き写す過程の中で、自分の様々な執着心が目の前で明晰に映し出されるのです。怨恨心、利己主義、食べ物に対する執着心、せっかちな性格、色欲心、嫉妬心、恐怖心などの人心が映し出されます。これまでに、この一つ一つの執着心がこれほどはっきりしたことはありませんでした。

 いくつか例を挙げたいと思います。

 利己主義と怨恨心についてです。 もう長い間、私の心には時折、特に妻と3歳になる娘に対する怨恨心がありました。 私が何かをしていると、妻が頼みごとをしてくることがあります。 私は妻を助けるためにやっていたことを中断するものの、心の中では妻が私の考え事を邪魔していると微かに不満を抱いていました。 娘も同じで、ときどき私のところに遊びに来ます。娘の相手をしてあげますが、心の中に苛立ちの感情が生じ、面倒だと思いました。 以前からそのことに気づいてはいましたが、表面的な感情を認識していただけで、今ほど深く認識してはいませんでした。

 実際、妻は子どもの世話をするため毎日一生懸命働いていて、私が安心して働けるように、家ではいろいろな家事を心配させないようにしてくれています。 私は長い間、妻の立場に立って考えることをせず、自分勝手に自分のことだけに固執し、怨みを募らせてきました。 そのような強い執着心を持つことは、なんと大きな妨げなのでしょう。

 娘に対しても同じです、仕事帰りや週末に娘を遊びに連れて行かなければならないとき、私はいつも法の勉強をする時間を無駄にしたと感じ、心の底では娘を怨んでいました。 でも、娘が寝ているときは、自分は寝ているか、インターネットでアニメを見ている時間がほとんどで、積極的に法を勉強することはあまりしていなかったのです。 実は、娘に時間を取られたのではなく、私自身が勤勉ではなく、時間を大切にしていなかったのです。

 食べ物に対する貪欲、時間を惜しみなく動画を見る執着心もそうです。時折、私は 週末になると、スナック菓子を買ってきて、食べながらアニメを観て、夜中の2時、3時まで観てから寝ることもあります。 妻に「もう寝る時間ですよ」と注意されることもありますが、無視していました。 いけないことだとはわかっているのですが、たまにこういうものに惹かれ、無意識にサイトを開いて見てしまいます。 一つだけ観たらおしまいにしようと思いますが、ひとつ観たらまた別のものを観て、気がつけば1時間、2時間......と時間が過ぎていきました。 こういうものを観た後の数日は、いくら寝ても寝足りないような感覚に襲われます。

 色欲心ですが、 ネットでアニメ動画を観るだけでなく、ときどきポルノ動画を観ることがあるのです。見終わるたびに後悔するのですが、次からは誘導されるようにまた無意識にクリックしてしまいます。 何度も何度も繰り返してしまいます、この執着心を取り除くことができませんでした。

 法を書き写すようになった後、これらの執着が突然自分の目の前にくっきりと現れただけでなく、それらが断ち切られたように感じられ、もはや自分に影響を及ぼしていないことがはっきりと感じられました。 あのアニメの映像に引きずられることがなくなりました。食べ物に対する貪欲がなくなり、満腹になるともうほかに食べたいものがありません。妻と娘に対し、もっと彼女たちの立場に立って、彼女たちのことを考えられるようになりました。妻のために自分は率先して家事をし、世話を焼くことが多くなり、娘を率先して遊びに連れて行くようになりました。 実は、これらはすべてごく当たり前のことなのですが、多忙な日々の中で、私はこれらから遠ざかっていました。 今日まで、再びこれらを見つけ取り戻したため、意図的に何かをしようとしたわけではなく、心からそうしたいからなのです。

 最近、風邪の症状が出ているのですが、それは今まで自分に注いでいた雑念が一掃されたのだとはっきり感じられます。 法を書き写すとき、心の中は空っぽになり、法の一言一言が頭をよぎるだけで、心の中に雑多なものが留まる場所がなくなるからです。

 実は数年前、法を書き写そうとしたことがあるのですが、なかなか続かず、わずか十数ページで断念してしまいました。 今回は、もう1カ月以上も続いています。

 もちろん、法を書き写す過程では、以前法を読んでいた時と同じ問題点が現れました。学法の量を追求する問題点です、30分で何ページ書き写すか、1時間で何ページ書き写すか、およそ一講を写し終えるのにかかる時間を数え、書くスピードを速めるという問題が生じていました。 この問題が分かった後で、私は自分を反省し、書くスピードを落とし、時間があれば1文でも書き写し、書き写し終わるのにどのくらいの時間が罹るのかを考えるのをやめ、一筆一画ずつ書き出すようになりました。

 わずかな修煉体験ですが、間違っていたところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。 

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/24/462265.html)
 
関連文章