【明慧日本2023年7月11日】
動物と人間の相互転生において、典籍などで最もよく見られるのは、人間と豚との間です。中国では豚は食肉の主な供給源であり、豚として生まれることは当然ながら屠殺される運命にさらされます。したがって、豚として生まれ変わることは悲惨な運命であるだけでなく、「善悪の報い」という意味も含まれています。
遠い昔のこと
戦国時代、秦の将軍、白起(はく き)は「長平の戦い」の後、趙の非武装の兵士40万人を残虐に殺しました。言い伝えによると、人々が豚を殺す時、毛を取り除くと、豚の皮に「白起」という文字があるのをよく見かけたそうです。これは、白起があまりにも多くの人を殺したため、趙の兵士を殺した代償として、40万回も豚に生まれ変わって、人に殺されなければ、その罪を償えないからだと言われています。
中国の歴史の古典『東周列国志』にも似たようなことが書かれています。「唐の末期に、一頭の牛が空からの雷で殺されたが、その牛の腹には白起という文字があった。解説者によれば、白起は多くの人を殺したため、数百年経った今も動物に生まれ変わって、雷震の報いを受けているという。 これは将軍にとって非常に重要な教訓である!」
悪人が悪行を行うと豚になるという1920年代に中国の山東省で起きた昔の話があります。人を殺して金品を略奪するヤクザがいましたが、他の人と闘った時、その人に殺されました。ヤクザの魂は肉体を離れ、夜の闇の中、荒野を走りましたが、ヤクザはまだ自分が死んでいるとは知りませんでした。その時、後ろから二人の男が追ってきたので、ヤクザは全力で走って逃げようとしました。 二人の男が追いついてきて、彼に黒い服を着せたので、彼はそれを脱ごうともがき、また全力で走りました。 しばらくして、二人の男が再び彼に追いつき、また黒い服を着せたので、彼はそれを脱ごうともがいてまた走りました。 このようなことを何回も繰り返しながら走り続ける中、ついに目の前に家が見えると、ヤクザは、明かりの灯った家に向かって突進しました。 右手以外の黒い服をほとんど脱いで、部屋に駆け込んだその瞬間、泣き声とともに、部屋にいた女性が赤ん坊を産みました。 赤ん坊は全て正常でしたが、ただ一つ、右手だけが豚足でした。この赤ん坊はヤクザの生まれ変わりだったのです。 ヤクザは多くの人を殺したので、本来は豚に生まれ変わって、人に殺され、自分が犯した罪を報うべきで、後ろから追ってきた二人の男がヤクザに投げたのは豚の皮でした。ヤクザは記憶を消すことなく、直接生まれ変わったため、前世の記憶を持っていました。彼は豚のひづめの形をした右手と共に歩き、人々に善悪の報いを説き、善行を積んで徳を積むように説いたといいます。
人間が豚に生まれ変わる物語は、聞いていてぞっとしますね!
ほかにもある似たような物語
宴会で、国会議員の董氏の夫人と相席になり、雑談していると、董氏夫婦は若い頃からベジタリアンであることを知りました。なぜそうしているのか気になって聞いてみると、夫人は、伯父が何世も前の出来事を覚えていて、何世も豚に生まれ変わり、屠殺される苦痛を覚えていて、彼女に語ったからだと言いました。
伯父の話によると、豚が殺される時に感じる痛みはそこで終わるのではなく、その後も肉体に敏感な感覚を持っており、豚肉が市場で買われ、刻まれたり調理されればされるほど痛みは増し、特にハムにされる場合は、肉に塩をつけ、太陽と風にさらされますが、その過程で感じる痛みは一般の人では想像できないほどのもので、その痛みは人間が豚肉を完全に食べ終わって初めてなくなるもので、一匹の豚が耐える痛みは殺される時だけでなく、人に完食されるまで続くのです!
夫人の伯父は数えきれないほど豚に生まれ変わり、豚だった頃の痛みを思い出すたびに、今でも身震いするそうです。本来は現世でも豚になれと地獄の王から宣告され、それを聞いて怖くなって逃げ出しましたが、裁判官が豚の毛を一掴みして背中に投げつけたので、現世でも背中には豚の毛が一つまみ残っており、言い終わって伯父が服を脱いで彼女に見せると、本当に背中に豚の毛が残っていました。
その後、董氏夫婦は肉を一切食べなくなった
また、ある人の話によると、彼らの故郷では過去2年間にとても不思議な事件が何度も起きたそうです。政府が情報を封鎖していたので、人にはあまり知られていなかったそうです。例えば、村人で姑を虐待する嫁がいましたが、ある日の朝、布団をめくってみると、嫁の下半身は豚の体になり、上半身は人間のままでした。 ほかにも上半身が豚で下半身が人間の体になっていた人もいれば、下半身が牛などの動物の体になっている人もいました。いずれも半人半獣で、完全に動物にはなっていませんでした。 なぜそうなっていたのでしょうか? 村の人たちはみんな知っていますが、もし完全に動物になったら、誰でもそれが元々人だったということを信じないでしょう。従って、半人半獣に変身することは、人々の目を覚まさせ、善には善の報いがあり、悪には悪の報いがあることを知らせる最良の方法だったのかも知れません。
哲学者のヒュームは、動物は多くの点で人間に似ていると言いました。 人に魂があるのなら、動物にも同じく魂があるはずで、同じ意味から、人間が輪廻転生をすることができるのであれば、当然動物も人間も輪廻転生をすることができ、人間と動物が互いに輪廻転生をすることは極めて可能性があるのです。