マイナス思考を無くすいくつかの出来事
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文/山東省の大法弟子  

 【明慧日本2023年7月17日】最近、法を多く暗記しているため、自分の欠点をすぐに見つけて直せるようになりました。

 ある日、夫と饅頭を作っていた時、私は夫が生地を上手にこねているのを褒めようとして「力があるから、生地が柔らかいね」と言うと、夫は「俺はバカだからね。一生懸命やっているんだ。君はお嬢様だから力がない」と言いました。私の善意をこのように誤解する夫に、私は笑ってごまかしましたが、内心少し不機嫌になりました。私は自問自答しました。「なぜ私は不愉快な気持ちになったのだろうか?  私のどんな執着心が現れたのだろうか?  私にも夫と同じ欠点があるのではないだろうか?  夫は私の鏡であり、私の欠点を映し出しているのだ」と。

 私が言い終わらないうちに、夫は私が言ったこと、考えたことを否定的に解釈してしまいました。私もそうだったのではないでしょうか?  私は誰かのことを話すとき、その人のポジティブなところ、良いところ、輝いているところではなく、ネガティブなところを真っ先に思い浮かべます。 また、私は毒舌で、人の欠点ばかり話す人です。これを思いついたときは、本当に冷や汗が出ました。どうしてこれほど長い時間修煉しても、まだこんなに汚れた心があるのでしょうか?

 先日、舅が「あの人には4人の息子がいて、三男は経済条件が最もよくないのに、この息子だけが父親を養っている。長男は一番金持ちなのに、長男が一番恩知らずで、父親を養っていないんだ」と言い終わらないうちに、私は直接口を挟みました。「経済条件が良くないから養っているのではなく、徳が高く親孝行な性格だからですよ」。 ふと、私も舅を誤解していたのではないかと思いました。舅はこのことを私の前で何度も話していました。私は、三男が父親の退職金目当てに親孝行しているのだと舅が考えているのだと思い込んでいました。なぜなら、その家のお父さんも舅も定年後の退職金が高いのですから。夫の実家は3人兄弟で、我が家は一番裕福ではないのに、舅を養っています。私たちも舅のお金目当てだと思われたくなかったのです。

 ここで私は、舅を否定的に考えたことが少し恥ずかしくなり、舅の言葉が終わらないうちに切り上げ、舅の言葉に勝手に結論を下しました。私たちの親孝行が、お金目当てだと思われたのではと思い込むことは、舅に申し訳ないことをしたのではないでしょうか?  もしかしたら、舅は私たちの親孝行を褒めたかっただけなのかもしれません。このマイナス思考を直して、物事を前向きにとらえる必要があります。

 また、夫はよく私に腹を立て、時には子どもたちの前や人前で、あれがダメ、これがダメと言うことがあります。今回もまた「何も考えずに発言するな」と責められました。これは私のどういう執着心を無くそうとしているのでしょうか。理屈がないなんてことはない、いいことのはずです。心性を高めるべきということなのです。 昔のように、憤りを感じたり、尊敬してくれない、面目をかけてくれないと恨んだり、睨んだりして、心性を高める機会を何度も放棄していたのではいけません。私は機会をしっかり掴んで高めなければなりません。そして『轉法輪』で言われていたことを思い出しました。「なぜなら業力が誰かのところに落ちていれば、その人は必ず辛い思いをするからです。これは間違いないところです」[1]

 夫は私の業力を消すのを手伝ってくれているのだと思うと、夫への恨みはすっかりなくなり、面子を保つ心、誰に何も言わせたくない心、普段から毒舌で、人のせいにするなどのよくない心を見つけさせてくれたことへの感謝しかありませんでした。これで「一挙四得」[1]だと思い、私は本当に夫に感謝しなければなりません。

 この段階での理解に限り、法に則っていないところは、慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/7/6/462653.html)
 
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