文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年7月17日】師父が私たちに常に要求されている三つのことの一つは「正念を発する」ことです。 修煉者の中には、発正念することの効果や、正念を発することが自分に対しどれくらい重要なことなのか、よく疑問に思う人がいます。 私が個人的に経験したことを2つお話しし、正念を発することの重要性に注目していただければと思います。
私も、正念を発することを疎かにしていた時期がありました。 子供を学校に送っていく途中の地下鉄の中でのことでした。地下鉄に乗っている多くの人々は大法に対する悪党の嘘、偽りや誹謗中傷が頭に満ちていると思いました。 私は目を閉じて座り、電車を降りるまで(公共の場では立掌をしない)正念を送り続けました。 その夜、私はとても鮮明な夢を見ました。あれは古代の情景のようで、春の景色が美しく、たくさんの人があちらこちらで道を急いでいました。 私は空を飛び、彼らの頭の上にたどり着くたびに、手を合わせて言いました「法輪大法は素晴らしいということを忘れないで」と。 彼らは皆嬉しそうに「ありがとう、全部わかったよ 」と返事をしました。 私は道中、多くの人に告げました。朝、 目が覚めた時、私が昨日、正念を発していましたので、彼らが理解した一面は、心の底から喜び、感謝していることと、同時に、私がもっと正念を発し、たくさんの真実を伝え、もっと多くの人を救うように師父が励まされていたことに気がつきました。
またある時、友人と鄭州市27区の裁判所前で会う約束をしましたが、彼が到着するまでまだ30分もありました。 入口の前で彼を待ちながら、明慧ネットにこの裁判所が大法弟子を不当に有罪にしたと報道していたことを思い出し、その背後にある邪悪の黒い手と卑しい鬼を根絶し、共産党という邪悪な幽霊のすべての要素を一掃するために正念を送り、友人が来るまで30分以上正念を送り続けました。 その夜、私はまたとてもはっきりとした夢を見ました。私は空を飛んでいて、山や野原を横切り、最後に、流れがとても緩やかで両岸に緑の草花が生い茂る大きな川に差し掛かかりました。 川の両岸には、仏教徒や道教徒の黄色、赤、白の服を着たたくさんの人が集まっていて、頭に光り輝く光輪を持つ人もいて、表情は穏やかで厳粛な雰囲気でした。 「ここで何をしているのですか?」と尋ねますと「今日は偉大な仏陀の誕生を記念するために来たのです」(彼らの言う仏陀が何十億年も前に生まれたことは、頭ではわかっていたようだった)と答えました。ほかのいくつかの群れの人たちに聞いても、同じ答えでした。 目が覚めた時、この夢はあまりにもはっきりしていましたので、圧倒的な衝撃を受けました・・・。
これは、私を目覚めさせ、より多くの正念を送るよう、師父が再び励まされ、私を啓示されていたのです。こちらの空間で私たちが知っている一面と知らない一面は、別の空間で正念が法を正す過程において果たした役割が想像を絶するものであり、同時に、私たちは師に従い、法を正される中で修煉できることは幸運なのです。修煉全過程内のすべての向上と昇華は、師が説かれた法に対する信仰の度合いを徐々に深めていく過程であり、後天的な異なる「自我」を放下し、完全に法の中の一粒の粒子にまで同化する過程でもあります。
以上は、私自身の修煉経験でありますが、 間違いがあればご叱正お願いします。