再び「7.20」を迎えて
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年7月26日】明慧ネットと聞くと、法輪大法の修煉者はみな心の奥底から温もりを感じるでしょう。なぜなら、中共による24年来の迫害の中で、それが私たち修煉者にとって必要不可欠な交流の場だからです。

 明慧ネットを初めて知ったのは1999年6月です。当時、私はすでに江沢民が法輪功を弾圧しようとしていることを知っていました。その時、大多数の同修はまだ明慧ネットを閲覧できるネット環境を備えていなかったため、明慧ネットに携わっている同修が本土の同修たちに内部で回覧、または配布できる多くの資料を用意していたことを知りませんでした。ある日、ある同修が明慧ネットからダウンロードした資料をくれました。それを読んだ私は、またとない宝物を手に入れたかのように感じ、他の同修にも分けました。私自身も数篇を選んで大量に印刷し、中共の北京にある各機関と関連部門に郵送しました。彼らは体制内の内情を知っておらず、法輪功の本当の状況を知れば中共の嘘の宣伝を見抜き、善悪を見分けることができるのではないかと思いました。

 大量の手紙を送付した後、それらの部門がこの問題を真剣に取り上げるとは予想もしませんでした。私が郵送した90通を超える手紙が地元の警察署に返送され、地元警察はできるだけ早く手紙の差出人を調べ、確認するよう求められました。後に警官からこのような話を耳にしました。「1カ月以上も時間をかけて調べたが、何一つ見つからなかった。それより、それを読んだ皆は大したことではないと思っていて、『法輪功はただ本音を言っただけだ』と言っていた」。私はとても嬉しかったです。とにかく、中央から地方まで、多くの人がその資料を見ました。私たちは師父から遠く離れていますが、師父の法身が私たちのそばにいるため、私たちはまた師父にとても近いと思いました。明慧ネットも私たちの近くにあり、いつでもコミュニケーションを取ることができ、本土にいても孤独ではないと、私は正念がいっぱいでした。

 1999年7月20日、全国各省の法輪功輔導站の責任者が一斉に連行されました。7月22日、省内各地の多くの同修は省政府に行き、不当に拘束された同修の釈放を求めました。

 その日の午前、同修たちは省政府周辺の四つの道路脇の歩道に集まり、選出された7人の同修が省政府関係者に釈放を求める談話の結果を静かに待っていました。1時間ほど経っても同修たちが出てこず、外にいた警官が逮捕を始めたため、一時期、状況は大混乱に陥りました。その時はちょうど出勤ラッシュにあたり、バスで通勤していた人たちは全員バスから降ろされ、代わりに同修たちがバスに乗せられて、体育館や他の場所に連れて行かれました。

 バスから急に降ろされた人たちは乗れる車がなく、どこにも行けなくて、私たちと一緒に歩道に立ち、「法輪功はとても良いのに、どうして急に禁じられるようになったのですか? 子供の頃に老人から聞いた話によると、共産党が弾圧するのであれば、それは必ず良いものだ。これでは、文化大革命の再来ではないか? 恐ろしいことだ!」と口にする人が多くいました。

 まもなく、数台のバスがやってきて、有無を言わさず、私たちは押されたり引きずられたりしてバスに乗せられました。ある警官が私に、「乗るのか? 乗らないなら家に帰れ!」と言いました。

 警官がそう言うのを聞いて、私は「いいえ、乗りません。家に帰ります」と返事しました。警官が私のそばにいた同修にバスに乗るようにと言ったのを聞いて、私は「彼女は私の妹です。もう少しで一緒に帰ります」と言いました。警官は私の後ろの方へ歩いていきながら、一人ずつ尋ねました。通勤者たちは怖くなって、こっそりと避けていきました。そこにある男性の同修が近づいてきて、「姉さん、向こうの同修たちも無理やり車に乗せられています。どうしましょう?」と言い、私は「明慧ネットに連絡しましょう」と言いました。

 私たちは一緒に女性同修の家に行きました。彼女はソフトウェアをインストールしたばかりで、明慧ネットにアクセスすることができ、男性同修はちょうど職場のコンピューター室の主管でした。インターネットに繋いだ途端、別の男性の同修が私たちのところに来て、「自転車を持っているので、何かお手伝いしましょうか」と言いました。相談後、私たちは男性同修に省政府の門前に戻って、大法弟子を乗せたバスの台数と出発時間を調べるように頼みました。同修は承諾して急いで行きました。

 女性同修が紙とペンを持ってきて、「原稿を書き始めましょうか?」と言うので、私は「いいえ、直接パソコンに打ち込みましょう。時間を稼げます」と言いました。男性同修はパソコンの前に座り、タイピングを始めました。間もなく原稿ができ上がって、状況を把握しに行った同修の帰りを待ちながら、私は男性同修に「原稿を送信してから明慧ネットに届くまで、どれくらいの時間がかかりますか?」と聞きました。彼は「3秒です」と答えました。「3秒で明慧編集部が私たちの原稿を見ることができるなんて、すごい」と私はびっくりしました。私たちはみな喜びました。

 その後、状況把握をしに行った同修から聞きましたが、省政府の警官が次々とやってきて、その間18台のバスが同修たちをスタジアムに連れて行き、数時間で1000人余りが不当に逮捕されました。結局、スタジアムが収容しきれなくなり、同修たちは近くの区や県の学校に連行されました。

 原稿を送ってまもなく、私たちは自分の原稿が明慧ネットに掲載されたのを見ました。それは当時、国内で2番目の記事でした。「時間と空間は私たち国内外の同修を隔てることができない。私たちは一つで師父と一緒にいて、明慧ネットと一緒にいる」と、私たちは皆とても喜んでいました。

 それ以来、私は明慧ネットを自分の修煉において欠かせない場だと考え、家にいれば毎日必ず明慧ネットを見て、会うことのできない各地の同修たちと文字で交流し、比して学び比して修しました。明慧ネットを通じて、私と同修たちは多くのシリーズの文章を書いて、拘置所、労働教養所、監獄と関連部門が行なった邪悪な迫害を暴露し、迫害に遭って死に至った同修たちのあまり知られていない悲惨で感動的な事例を書きました。さらには法輪大法の素晴らしさを実証し、法輪大法から恩恵を受けた人々の絵や数十万字が並ぶ感謝の念を表す文章は、一つの時代の歴史検証として世に残りました。

 20年余り明慧ネットと、さらには師父の法理による絶え間ない指導があって、私は修煉において道徳心が絶えず向上し、次元が上がり、法を正す師を手伝い、衆生を救う使者として成長しました。このすべては師父から授かった知恵と特別な栄誉なのです!

 私はよく明慧ネットにある師父が山中で坐禅されている写真に向かって、こう誇らしげに言います。「私は永遠に師父の弟子であり、正邪の戦いでの戦場の記者です!」

 使命を負う身として怠ってはならず、赤い魔が焼かれる中で金剛を煉り、正果を得て師について帰ります。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/7/12/462912.html)
 
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