『精進要旨』「警告の言葉」から悟ったこと
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文/中国の大法弟子 慧通

 【明慧日本2023年8月15日】私は、2002年に大法を得た大法弟子(女性)です。ここ2年ほど、自分が『精進要旨』、「警告の言葉」を学んで悟ったことを書き記して、同修と交流したいと思っていましたが、様々な観念の影響で延ばし延ばしにしてきました。しかし、最近、同修たちの中にはまだ個人修煉から抜け出せずに、消業や病業を受け入れ、耐えて、さらに肉体を無くしてしまうことさえもあります。そのようなことを見聞きしているうちに、悲しみと心痛を感じ、この文を早急に書くことを決心しました。個人修煉の中に立っており、魔難に苦しんでいる同修の方々に何らかのご参考になれば幸いです。

 ある日、下記の内容を学びました。

 「いつもわたしが皆さんのために業を消しているばかりで、皆さんが真に法の上で向上するのではなく、人間の認識、人間の観念から抜け出さないようではいけません。わたしと大法に対する皆さんの考え、認識、感謝の仕方はみな常人の考えの現れです。しかし、わたしはまさに皆さんに常人から抜けだすことを教えているのです! 理性から真に大法を認識してください」

 「修煉の中で、皆さんは自ら真に着実に向上することによって、内面に巨大にして本質的な変化を生じさせているのではなく、わたしの力に頼り、外在する強大な要素を頼りにしています。これでは永遠にあなたの人間としての本質を佛性に変化させることはできません。もしも、みな一人一人が心から法を認識することができれば、それこそが威力無辺の法の体現であり─強大なる佛法のこの世での再現なのです!」 [1]

 この二段落の法を読み終えてから、ショックを受けました。じっくりと振り返って再度読み返し、考えました。特に師父がおっしゃっている「いつもわたしが皆さんのために業を消しているばかりで、皆さんが真に法の上で向上するのではなく、人間の認識、人間の観念から抜け出さないようではいけません」 [1]という言葉がずっと頭の中に響き渡りました。

 自分自身がどこか痛んだり、苦しんだり、気分が悪くなったりした時、それを病業だと思うなら、それは個人修煉の視点からの問題の考え方です。

 法を正す時期の大法弟子として、私たちは師父が望まれる通りに圓容すべきであり、人間の認識や観念を超え、本当に法に則り向上すれば、突破することができます。これには、法や法を正すことや、師父が法を正す時期の大法弟子に対して求められることを真に理解する必要があります。それを実現することで、人間の認識や個人修煉の限界から飛び出し、真に法を正す時期の修煉に入ることができます。どんな魔難に出会っても、必ず師父の加持を得て昇華し、その魔難は解消されるのです。

 師父はこのようにおっしゃいました。「新しい学習者以外、師父は1999年7.20以降、いかなる個人修煉の関も皆さんに与えたことがありません。なぜならば、皆さんの個人修煉は全面的に衆生を救い済度し、大法を実証することに切り替えられたからです」 [2]

 「実は迫害が始まる前の古い学習者を私は全部到達すべき位まで押し上げました。後からの新しい学習者をも含めて、正念を持ち、正しく行うことができれば、自分を守ることにまったく問題はありません」 [3]

 上記の法の中から、私は悟りました。師父は正念を持ち、正しく行うことができる新しい学習者を含め、私たちを皆到達すべき位まで押し上げてくださったのです。つまり、我々は既に師父によって生命の生まれたところの最高の位置まで押し上げられており、生命の境地と神通はその次元の法に合致し、しかも純粋です。すべての細胞は高エネルギー物質で構成されており、神の状態です。それなら病気はどこにありますか? 私たちの個人修煉はすでに衆生済度、大法を実証することに全面的に移行しました。現れるすべての病業の症状、さまざまな干渉、さまざまな魔難はすべて幻影であり、私たちに法を正す修煉の道を正しく歩むよう警告しているものです。

 一部の人心は本当に根が深くて容易に変わらないのです。例えば、私は胆嚢炎を患っているので卵を食べられない、胃が弱いので辛いものは食べられない、冷たいものは飲めない、足が痛いので押すと窪みになっていて、怖くて不安になる。身体に不調があると病院へ行ったほうがいい、今回人道(人間世界)的な道を行こうなどなどあります。師父は私たちに神になることを達成するように導いてくださっていますが、どうして人道を歩むのでしょうか? 何度も向上すべき素晴らしい機会を見逃してしまってすごく残念です。実際には、その幻影を見抜いていないだけで、自分をまだ人間の立場に置いていて、真に法を理解していないのです。もし私たちが人間の認識から脱却し、観念を変え、それに従わないのであれば、新たな転機が訪れるかもしれません。

 ある同修は車酔いの幻影が非常に深刻で、車で外出するたびに吐きそうになり、黄色い液を吐き出しそうな気分になりました。また車に乗って出かけようとしていたので、数口食べただけで食べるのをやめました。私は彼女になぜそんなに食べる量が少ないのかと尋ねました。彼女は車酔いが怖いからだと言いました。私は「それを認めないでください。その恐れはあなたではありませんし、あなたの言葉でもありません。普通に食べてください、むしろたくさん食べてください。行動的にそれを否定してください。あなたは車酔いではありません、あなたのすべての細胞は高エネルギーの物質で構成されています、どうして車酔いするのでしょうか?それは幻影です」と言いました。同修は納得し、満腹で出発しました。結果、途中何事もなく、それ以降車酔いの症状はなくなりました。

 2022年の秋、ある同修が秋の収穫が忙しく、三つのことにすべて追いつくことができなくなりました。ちょうど私は2日間の休暇を取ることができたましたので、もう一人の同修と一緒に手伝いに行くことにしました。しかし、朝早く起きたとき、脇腹の下が火傷のように痛く、上着を下ろすことができず、ズボンもきちんとに上げることができませんでした。見ると、5、6個の小さな赤い水ぶくれがあり、帯状疱疹だと分かりました。どうすればいいのでしょうか? 同修は今すぐ助けが必要であり、私たちは一体となっており、誰も置き去りにはできません。このお手伝いは必ず行かなければなりません! そこで、私は強力な正念を発し、師に随って法を正す私たち全体を妨げるすべての生命が正常に戻ってください。そうしない場合は取り除きます。そして、上着を離し、ズボンを引き上げ、ワンステップで完了です。痛みや違和感に思いを巡らせる暇もありません。同修と笑いながら畑に行き、トウモロコシを収穫し、トラックに積み込み、トウモロコシの茎を切り、すべての作業をやり遂げました。それについてはすっかり忘れてしまっていました。家に帰って初めて思い出しましたが、その時見てみるとその帯状疱疹はもうすっかり乾いていました。

 もし、私たちが本当に師父が私たちを最高の神の位置に押し上げてくださったことを理解し、法に基づいて法を理解し、個人修煉から脱却し、師にしたがって法を正す基点に立って物事を考えるならば我々は師父によって選ばれた生命であり、師にしたがって人々を救うための存在であり、神の使者であり、大法によって造られた生命です。一切の正しくないものを正し、如何なる関、難、トラブル、病業も私には関係ありません。ここには邪悪な干渉や計画の余地はありません、正しくないものを正すことと邪悪を取り除くことだけがあります。もしさらなる魔難に出会った場合、それ(邪悪)はまだあなたに手を出せますか? 出せないと思います。

 以上は私個人の理解です。もし法に沿っていない点があれば、同修の慈悲深い指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「警告の言葉」
 [2] 李洪志師父の著作:『2003年元宵節での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『2005年サンフランシスコ法会での説法』

 (編集担当者:于悦)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/8/11/463923.html)
 
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