邪悪を排除すると同時に、法への理解を深める
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年8月18日】警察は最近、私の地域で頻繁に法輪大法学習者に嫌がらせをしています。私は法輪大法の教えを学び、正念を発し、警官らの背後にいる悪質な要素を排除することの重要性を認識しました。

 私の家にも何度も警官がやってきて、嫌がらせをしました。師父の啓発で、私はいつも彼らが来ることが分かっていたので、前もって長い間、正念を発し続けました。その結果、警官らの行動はあまり激しくなくなり、あるいは全く私の家に入ってこなくなりました。

 正念を発するだけでなく、自分も他の面でも改善しなければいけないと思いました。すると、師父から何度もヒントをもらい、自分の考えを正す必要があることを悟りました。それは、警官と修煉者の関係についての考え方だと感じました。正念を発し続けていると、ある日突然、新しい理解に至りました。

 一つの思考がもたらした変化

 正念を発し、邪悪を排除するのは、衆生を救うためなのだと自分に言い聞かせています。だから、正念を発する前に、自分の心の中で衆生と対話するのです。私はただ師父の按排に従うだけなので、師父の教えを思い出し、大法弟子の邪魔をしないようにお願いしています。

 師父はこう説かれました。

 「あなたは大法からの制約しか受けていません」[1]

 「誰も私の弟子にかまう資格はないからです」[2]

 「あえて試した人がいたら、それはその人の罪です」[3]

 私は「誰も私の弟子にかまう資格はないからです」[2]、「あえて試した人がいたら、それはその人の罪です」[3]を何回も繰り返していました。

 正念を発する時、私は心の中で衆生にこう伝えました。「皆さんは『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』という心からの九文字を唱えてください。もしあなた達が大法を貶めることに執着するならば、私が正念を発することで排除されます」

 ある時、私は「誰も私の弟子にかまう資格はないからです」[2]と言った後、私は自分の地域を担当する派出所をターゲットにして、正念を発しようと思いました。そのとき、ふと、派出所は私を扱うに値しないし、私の担当でもないことに気がついたのです。

 警官と修煉者の関係を新たに理解した私は、異次元でのさまざまな束縛が解かれたように、身体が軽くなっていくのを感じたのです。その日、正念を発する前、私は少し疲れていたので、単に時間だからという理由で正念を発することに参加しました。でも、今は、空を飛べるくらいにリラックスしています。610弁公室や警察も私をコントロールできないのです。この日常社会は、私が自分を育てるための一時的なシェルターのようなものだからです。そう理解すると、正念を発するときに強大なエネルギーに包まれ、体は心地よく、全く疲れません。

 この「正念の場」を経験した後、私はさらに考えました。警官と修煉者の関係が明確でないために、旧勢力がいろいろな面で邪魔をすることが多いということに気づきました。例えば、2人の同修がこんな風に会話することがあります。

 Aさんはこう言いました。「私の住んでいるところは、この派出所が管轄しています。あなたのところはどうですか?」

 Bさんはこう答えました。「私の家の近くにも確かに派出所があります。しかし、私はその派出所に管轄されていません」

 両者の考え方の違いは、人間と神の違いを示しています。Bさんの理解は、Aさんの考え方から大きく飛躍しています。大法弟子たちは、どこの派出所の管轄にもならないのです。むしろ、師父と大法だけが私たちのために按排してくださるのです。

 また、たとえ警察から嫌がらせを受けなくとも、私たちはより頻繁に正念を発し、警官の背後にある邪悪要素(低次元の霊、卑しい鬼)を排除する必要があります。そうしないと、これらの邪悪要素が警官を操って悪事を働かせ、人々を傷つけ、警官自身にも重大な結果をもたらす可能性があるのです。だから、そうさせてはいけないのです。

 正念を発する力

 ある時、私は「誰も私の弟子にかまう資格はないからです」[2]、「あえて試した人がいたら、それはその人の罪です」[3]と何十回も唱えてから、正念を発しました。その結果、とても良かったです。派出所や留置場などにこの正念が爆弾のように飛んでいき、悪質なものが大量に駆逐されたような感じです。

 私の天目は開いていませんが、最近、正念を発するとき、師父は私に異次元で邪悪が破壊されるのをよく見せてくださいました。

 師父はこう説かれました。

 「功は法であり、法は功でもあり、精神はそれ自身が物質です」[4]

 今、私はこの言葉について、また正念を発することの効果について、より良く理解することができました。

 おそらく私が最近、正念を発するとき、私自身の神通力ではなく、師父の法の力を証明することだと考えているからかもしれませんが、大法はその力強い光景を表して励ましてくださいました。

 以上、私の現段階の浅い理解ではありますが、適当でない所があれば同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDCでの説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『導航』「北美五大湖地区法会での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『ヒューストン法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/3/426526.html)
 
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