法を師とし、外に向かって探すという執着をなくす
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年8月21日】私が初めて大法を学んだとき、『轉法輪』を携えて、何かを探しているように歩き回る夢を見ました。目の前に演壇があり、みすぼらしい服装の人が話していて、数人がその話を聞いているだけでした。そこで目が覚めました。私は、師父が私に「法」を師と仰ぎ、常に外に向かって助けを求めてはならないとほのめかしていることに気づきました。しかし、私は外を見るという過ちを犯し続け、つまずき、ついに大法こそがすべての問題を解決できると知りました。

 私は迫害されないように自分を守ることを過剰に考えていました。私は以前、拘禁されたことがあるので、いつもこの角度から考えていました。そのため、私はこの考え方に留まってしまい、前に進むことができませんでした。

 私は家を所有しており、それを人に貸していました。しかし、2015年に江沢民(中国共産党元リーダー)に対して告訴をしたときに、その住所を使いました。そして2年前、そこに引っ越しました。

 パンデミックのとき、うちの近所はPCR検査を受けるために登録が必要でした。それがきっかけで、当局が私の連絡先を使って迫害するのではないかと心配し、恐怖に執着するようになりました。娘は「PCR検査はお母さんだけではない、どうして心配ばかりするの? また迫害されるのではないかと妄想しているんでしょう」と理解しがたい様子でした。

 共産党は非常に邪悪ですが、師父はこう説かれました。

 「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです」[1] 

 修煉者たちの経験を聞いてから、私は、多くの修煉者たちが共産党に関連するすべてのものを正念で処理することを知りました。迫害は彼らの思考の中にないのです。

 ある同修が長い間、正念を発し、危険な状況を脱したことを知りました。私はその人のところに泊まりに行き、その人の影響を受けて自分もそうしたいと思いました。しかし、彼女の隣で正念を発したとき、私の掌はずっと傾いていたのです。何度も訂正されたのですが、また同じことが繰り返されました。結局、彼女は私に去っていくことを望みました。

 私が彼女の家にいた最後の日、師父の経文を読んでいました。

 「法を勉強している過程で、皆さんは絶えず自分にある良くない要素を消滅し、まだ変化していない最後のこれらのものを変えることができます」[2]

 法を学ぶ過程で、私たちは変化しており、同修と交流を通して、私は正念を強めることを実感しました。修煉者同士が分かち合うことで、より正念を持つことができるのです。私は家に帰り、法を学んで本当に自分を変え、向上させようと決心しました

 私は問題が起きると、その修煉者の家に行って助けてもらっていました。それは彼女にとって邪魔なもので、いつも他人の問題を解決してあげたいという執着が大きくなっていたようです。今回、私は問題にぶつかったとき、他人に助けを求めるという執着を完全に捨てました。

 外に向かって助けを求める執着を捨てた私は、家で落ち着いて法を勉強しました。一句、一文が私の心の中に染み込んでいました。師父は私が勉強するとき、関連する法を指摘し、私の正念を強くしてくれました。そして、師父は私の執着をなくし、私のために功(エネルギー)を変化させ、私の問題をすべて解決してくださいました。

 私は以前、これらの現象をすべて信じていました。しかし、長年受けた無神論的な教育により、これらの概念は普通の考え方と変わらないと感じていました。そして、師父の「法」に触発されて行動することもなく、何気なくやり過ごしていました。

 私は次第に、師父が私のすぐそばにおられることに気づきました。師父は弟子たちが何を考えているのか、いつでも知っておられるのです。ただ、私はそれをどのように悟ればいいのかが分からなかったのです。

 大法の修煉者は正念を固めなければなりません。正念とは何でしょうか? 大法に基づいて何でも実行し、信じることです。ただ、この一念にしがみつけばいいのです。大法と相容れないものは排斥します。正念が強ければ、このようなことができるのです。

 私は正念を堅持しています。「私は李洪志師父の弟子であり、私の人生は師父が安排してくださるものです。私は漏れがあっても、法に基づいて正し、執着を取り除き、日常生活のあらゆる考えを評価し、大法に合致しない考えを排除するつもりです。旧勢力は、私を試すために苦難を手配する資格はないのです。それをする者は罪を犯すことになり、排除されることになります」

 師父はこう説かれました。「人心を捨て去れば、悪は自ずから敗る」[3]

 私は自分なりの悟りはできましたが、実践にはまだ時間がかかります。例えば、私は自宅近くの団地でチラシを配ろうと思いました。しかし、監視カメラは団地内のあちこちに設置しています。数日前から、正念を発しました。そして、団地で何度かチラシを配り、人と逢うことがなかったので、落ち着くことができました。ところがある日、門を出たとたんに2人来たのです。怖くて、すぐに家に帰りました。今思えば、そこまで被害妄想に囚われてはいけなかったのだと思いました。

 ある広場で法輪功迫害の事実を明らかにした同修の体験談を聞いたことがあります。警官はその付近をパトロールしていましたが、彼に迷惑をかけることはありませんでした。天目が開いている修煉者は、この修煉者と警官が異なる次元にいることを見たのです。悪はこの修煉者のいる空間場に入ることができなかったのです。

 天安門広場で横断幕を掲げた修煉者の話も聞いたことがあります。2人の警官がこの修煉者に向かって走っていましたが、とても小さく見え、いくら走っても近づけないのです。実は、この2人は次元が違うのです。しかし、この修煉者は人間の観念が生じるとすぐに人間の次元に落ち、警察もすぐに到着するかもしれません。

 ある修煉者は、同修を助ける過程で、師父が赤い絨毯のある道を歩いていることを示し、そのおかげで直接目標にたどり着くことができました。私は師父の言葉を実感しました。「大法弟子には大法弟子の道があります」[4]

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での讲法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「哀しまないで」
 [4] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/15/428147.html)
 
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