【5.13応募原稿】 オーストラリア学習者 、揺るぎなく師父を信じる(二)
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文/オーストラリアの大法弟子 

 【明慧日本2023年8月24日】(前文に続く)

 (三)

 ある日、新しい学習者Bさんが慌てた声で電話をかけてきました。彼は自宅近くで交通事故に遭い、自転車に乗っていて車にはねられ、転んで腕を負傷しましたが、骨折はしていないようで、自由に動くことができるそうですが、彼は私に「病院に行ってもいいですか?」と尋ねました。

 私は、彼と彼の妻が難民申請をしていることを知っており、ご夫婦と短い交流をしたことがあります。夫婦は大法の素晴らしさや、大法が人々に良い人を目指すように教えていることは知っていると思いますが、修煉についてはよく知らないようです。私が「病院に行きたいのですか?」と尋ねると、彼は「私が将来ちゃんと働けるかどうか、妻は非常に心配しており、私は家族のために生活費を稼がないといけないのです」と答えました。痛みに耐えられるかどうかと尋ねたら、彼は「腕がとても痛い」と答えました。

 短時間で彼とコミュニケーションをとり、大法の力を理解させるには、自分の力不足を感じました。Bさんは車を持っていなかったので、私はすぐに彼の家に行き、病院に連れて行きました。

 師父は、「しかし、ここでは病気治療はしません。われわれは身体を清めてあげるので、言葉も病気治療と言わず、身体浄化と言います。真の修煉者のために身体を浄化してあげるのです。病気治療が目的で来ている人もいますが、われわれは重病患者を講習会に入れないことにしています。なぜかというと、そういう人は病気治療の心を捨てることは難しく、自分に病気があるという考えを捨てられないからです。重病を患ってとても苦しい時に、そういうものを捨てられますか? そういう人は修煉できそうもありません。たびたび強調しているように、われわれは重病患者を受け入れません。ここでやっているのは修煉で、彼らの考えていることとずいぶんかけ離れています。病気治療なら他の気功師に頼めばいいわけです。もちろん、多くの学習者にも病気があるでしょうが、しかし皆さんは真に修煉する人なので、われわれはこのことをしてあげられるのです」[1]と説かれています。

 病気の重さは個人の許容範囲に左右され、病院に行くかどうかは本人の大法への信じる程度と理解にかかっていることに気づきました。

 (四)

 ある日、夫と休暇に出かけることにしました。突然の大雨に見舞われ、川が増水して出入り口が塞がれた谷間の村で足止めを食らい、初めて使った新しいテント・トレーラーのテントは、特別に防水加工されていたにもかかわらず雨漏りし、2日間凍えてしまいました。

 帰宅すると、夫に急性肺炎の症状が出ました。夫は精進していない学習者だと思うので、自分で判断させることにしました。夫の辛そうな姿を見て、「病院に行きたいの? それとも説法を聴きたいの?」と尋ねました。彼は「説法を聴く」と言いました。横になると息ができなくなり、立つ力もなかったので、ベッドに半身を横たえて法を学び、煉功をしました。一日後、彼は元気になりました。

 「普通なら病院の集中治療室に少なくとも1週間は入院しなければならなかっただろう」と、夫は言いました。私は彼に「どうして病院に行かない決断をしたの?」と尋ねると、夫は「師父が業力とおっしゃったのだから、自分で返さなければならない。人の運命はすでに決まっているのではないか、ならば、いつ死ぬか死ぬべきではないかは、医者が変えられるものではない」と答えました。

 (五)

 何年も前、私も病業を経験しました。2005年のある日、私たちはマーティン通りとフェリーターミナルで署名活動を行い、元オーストラリア外務大臣が中共に協力して法輪功修煉者によるキャンベラの中共大使館前での抗議活動を制限したことに対して、抗議しました。私は当時の抗議活動に協調し、オーストラリア国民に署名してもらうための用紙を用意しました。用紙には元外務大臣のファックス番号も記載されており、オーストラリアの市民は用紙に直接署名して元外務大臣事務所にファックスで送信することができます。

 午前、資料を配布してから数時間後、オフィスビルから出て来たきちんとした身なりの人たちが資料を読み、すぐに同僚たちに配りたいので、さらに数部欲しいと、各場所の数人の同修から聞きました。一部の人はオフィスで資料を読んで、他の人に配布するために、資料をもらいに来ました。当時の署名活動は、非常に良い効果をもたらしたことがわかりました。

 ところが、午後になって家に帰ると、急に手足が腫れてきました。私はすぐに2人の同修にこのことを伝え、発正念に来てもらい、交流するようお願いしました。以前、邪悪は大法弟子の活動によって力不足を感じると、協調の大法弟子を迫害しようとしました。長年修煉してきた2人の同修もこのことを知っており、経験しています。

 しかし、私に漏れがなければ、邪悪は私に触れることはできないと思います。その日何をしたか、自分の考えに何か間違いがないかをすぐに探しました。その日、ある商業経営者に会ったのを思い出しましたが、資料を読んで彼はよく中国に行くと言いました。私たちは中共による宗教や法輪功に対する迫害の実態について多く話しました。ただ、彼の話し方は熱狂的で、私は冗談だと思って一笑に付しました。

 現代の西洋社会では、男女が冗談を言ったり、いちゃついたりするのは普通のことのように思いますが、これは単に社会風紀の低下で、人々がその大波に流された結果にすぎません。それは神が人間を作ったときに残した礼儀ではなく、宇宙大法の真・善・忍に同化したものでもありません。私は自分の観念を正さなければならず、修煉者の一つの考え、一つの念も正されなければなりません。

 私は師父の教えをもう一度思い出しました。師父は「しかし、人類の道徳基準がどんなに変わろうとも、この宇宙の特性は変わることはなく、それが良い人と悪い人を量る唯一の基準です。ですから、修煉者としてはこの宇宙の特性に照らして、自分を律しなければならず、常人の基準で自分を律してはいけません。返本帰真を願い、上の次元へ修煉しようとするには、この基準に従って行動しなければなりません」[1]と説かれています。

 当日の夜、手足のむくみは知らず知らずのうちに消えていました。

 師父に感謝いたします!

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

  (明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/5/28/460954.html)
 
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