【明慧日本2023年8月25日】(江西省=明慧記者)江西省南昌市の法輪功学習者・胡火妹さんは、中国共産党(以下、中共)による法輪功への迫害の中で、不当に労働教養を強いられ、二度の実刑判決を言い渡された。刑務所から解放され帰宅した後も警官や地域の役人から絶え間ない嫌がらせを受け、極度の貧困状態に陥り2023年8月3日午後、胡さんは亡くなった。50歳の若さであった。
胡火妹さん |
胡さんは、1999年2月に家族の紹介で法輪功を学び始めた。その後、崩壊寸前の家庭が救われ、家族から遺伝した重度の高血圧症も回復した。
1999年7月、中共が法輪功迫害を発動した後、胡さんは5回連行され、3回家宅捜索され、洗脳班に1回監禁されたほか、さらに2回の労働教養と2回の不当な判決を言い渡され、5000元の罰金を科された。胡さんは計7年6カ月間不当に拘禁された。当時、幼い息子と娘は親戚の家に預けていた。
一、胡火妹さんが生前に述べた迫害の事実
「2000年9月、私は法輪功の無実を訴えるために北京へ陳情に行きました。北京の陳情部門の入り口に着いて尋ねると、すぐにパトカーに乗せられ、ある公安局で名前と住所を言わせられた後、北京の江西省事務所に送られました。そして、私は南昌市の第二留置場に15日間拘束されました。釈放された後も、朝陽派出所の警官らは頻繁に家にやって来て、嫌がらせを働き、家族に私を監視させ、再び北京に陳情しないよう家族を脅迫しました」
「2001年1月、再び北京に陳情に行った私は、天安門広場で連行され、河北省保定市の派出所に拘束されました。私は名前と住所を言わなかったため、顔を平手打ちされ、腕を電気棒で電気ショックを与えられました。マイナス8度の寒い冬の夜、警官は下着だけの私を3~4時間ほど、外の物干し台に吊るした後、北風が吹きさらす駐車場に翌朝まで手錠をかけました。最後に、私服警官は私を北京から南昌市までの列車に乗せました。私は次の駅で下車し、天安門広場に戻りました。そこで私は再び連行され、北京の朝陽区留置場に1カ月間拘禁され、毎日警官による脅迫と不当な取り調べを受けました。寒い冬、警官は私の襟元に冷水を注ぎ、私の服は冷たく硬い氷で覆われ、まるで氷の穴に落ちたかのように骨の隋まで冷え切っていました」
「地元の南昌市に戻された後、私は直接南昌第二留置場に入れられ、それから、3年間の労働教養を強いられました。労働教養所では、私は独房に監禁され、麻薬中毒者に24時間監視され、法輪功を中傷するビデオを長時間見せられました。3カ月後、私は法輪功を放棄せざるを得なくなり、帰宅しました」
「生活を維持するために、2008年5月から、私は省警察病院で清掃員として働きました。ある入院患者に法輪功迫害の実態を話したところ、その患者に通報され、私は岱山派出所の警官に連行されました。私は一度は逃げ出すことができましたが、再び連行され、拳で頭を強く殴られ、極度のめまいに襲われました。激しい殴打により、私は高血圧症を患いました。同時に、警官は家宅捜索を行い、法輪功の書籍および他の私有物を押収しました。その後、私は南昌第一留置場に1カ月間拘禁された後、1年の労働教養を科され江西省女子労働教養所に送られました。そこでは、私は狭い部屋に閉じ込められ、洗脳による迫害や、長時間の強制労働などの非人道的な迫害を受けました」
拷問の再現:暴力を振るわれる |
「2011年9月、私は数人の学習者と一緒に南昌県幽蘭郷渡頭村に行き神韻公演のDVDを配布していた時、不当に連行され、南昌県留置場に拘禁されました。留置場では24時間、手足に繋がれる手錠をかけられ、断食で抗議してからようやく外してくれました。数日後、警官らは私の家に行き、パソコン、プリンター、CDバーナー、法輪功の書籍など私有物を押収しました」
「2012年4月23日、南昌県裁判所で不当な裁判が行われ、私は懲役4年6カ月の実刑判決を言い渡され、省の女子刑務所に拘禁されました。女子刑務所に入った後、すぐに法輪功を中傷する資料を読むことや、法輪功を中傷するビデオを見ることを強要され、また、毎日十数時間の強制労働をさせられました」
「数年にわたり刑務所で拘禁されたため、私の健康状態は悪化し、目はかすみ視力が低下し、高血圧、重度の貧血、婦人科疾患の出血も止まらなくなりました。息子は口数が少なく、ひとりで苦しんで、幼い娘はよく泣きながら母親を探していました」
二、近年、胡火妹さんへの迫害と嫌がらせ
2018年4月10日午後4時頃、胡さんは友人の家で法輪功の勉強会に参加している最中、青山湖区公安局の警官らにより連行され、地下の取調室で自白を強要された。その後、南昌市西湖区裁判所は裁判をしておらず、家族への通知もなく、秘密裏に胡さんに懲役1年6カ月の実刑判決を下し、罰金5000元を科した。期間中、胡さんはずっと南昌市第一留置場に拘禁されており、コンクリートの床の上で寝させられ、食事も十分ではなかった。
2019年10月、胡さんは不当な拘禁期間が終了し、自宅に戻ったが、警官や地域の役人らによる嫌がらせを受け続け、何度も無理やり写真を撮られた。
長年にわたる拘禁の結果、胡さんの家族は多額の借金を抱え、極度な貧困状態だった。20代の息子は、母親が何度も拘禁されていたためうつ病になり、働くことができなくなった。大学に進学した娘も学費が足りず、学業を継続することが難しくなった。胡さんは重圧の中で、次第に体調が崩れ、目がかすみ、体重が減り、頻繁に転倒するようになった。亡くなる前のしばらくの間、寝たきりになっていた。
2023年7月21日、胡さんは危篤状態になったため、家族は緊急に彼女を南昌市工農病院に送った。そこで胡さんはICU集中治療室で治療を受けた。しかし、胡さんにはいかなる医療保障もないため、高額な治療費を支払うことができず、14日後、自宅に帰らなければならなかった。自宅に帰って5分後、胡さんは亡くなった。