——師父の新経文を読んで悟ったこと——
文/米国の大法弟子
【明慧日本2023年9月4日】師父は2023年8月31日と9月1日に、明慧ネットで二つの経文を続けて発表されました。経文を読んで深い衝撃を受け、自分が感じたことを書き、同修と交流したいと思います。
大法修煉者の様々な執着によって生じた「怨恨」や「不満」が、非常に顕著に表れてきています。明慧編集部が発表した「通告」に記載された事件が発生したのは、旧勢力がそうした人々の人心や居場所をとっくに見抜いて、このような事件が起こるよう仕組んだからだと私は理解しています。ある人は迎合し、様々な人心が現れて来ました。彼らはまだ修煉したいと思っていますが、しかし長い間真に修めていないため、どうやって修煉するかも分からず、旧勢力がその隙につけ入り、彼らを淘汰しようとしています。
師父の二つの経文のタイトルは「険悪を遠ざけよう」と「大法修煉は厳粛である」です。私は、ある学習者はもうすでに危険な境地にあり、乗り越えられるかどうか、法から問題を見ることができるかどうか、間一髪のところまできていると思います。
二十数年という歳月は決して長くはありませんが、大法学習者はどうして初心と修煉を始めた理由を忘れ、執着に左右され、人を救わないばかりか師父や大法に対して不満を抱くのでしょうか。崖っぷちに向かって歩き、ダメになったのはあなただけではありません。学習者が代表している宇宙体系、無数の天体、無数の衆生がすべて極度の危機的状況にあります。
個人的な悟りですが、その理由は人間の中の人心を手放すことができないからです。つまり払った努力から得られる利益はあるのか、人として目に見える利益はあるのか、肯定され認められたのか、苦しみを嘗めた後に人としての幸福を得られるのかなどです。
修煉者は物理的にこの社会の中に身を置いていますが、しかし心はここに在りません。修煉の基本は人心を取り除くことであり、「目に見える利益」は修煉者が求めるものではありません。たとえ一生苦しく、善行しても人に非難され、認められなくても、私たちは自分が最も栄光ある生命であり、最も特殊で創世主に見守られる生命であることを知っています。たとえ普通の人が耐えられないような苦しみを味わったとしても、それは自分の業力の結果であり、現世で返さなければならないことを知っています。
師父は『洪吟』の「法輪大法」で「功は修めるに路有りて、心を徑と為す。大法は無辺、苦を舟と做す」と説かれています。大法修煉は苦しみを舟とし、苦しみに耐えなければ修めることができないと悟りました。人間の「逆境」は修煉への階段です。このような逆境と苦しみは予期せぬもので、自分が耐えるべき苦しみなのか、修煉の範囲内にない苦しみなのかを自分で区別することはできません。様々な逆境や苦しみの中で、大法弟子は執着をなくし、法に同化するために修煉しており、私たちの修煉と法に同化する過程で、無数の生命が救われています。
私たちは旧宇宙から新宇宙に入ろうとする生命であり、このような巨大な変化は全く自分たちでできるようなことではなく、師父は私たちと宇宙のすべての存在に対して想像を絶することをして下さいました。この機縁に感謝し、自分の約束に責任を持つべきです。そして、師父が弟子を大切にされる恩恵と、弟子が負うべき責任を理解するには悟性が必要です。
大法と師父が衆生や自分を救い済度するために来ていることを知っている限り、私たちは自分の言動、考えに対して非常に真剣にかつ理性的になり、人間の損得で物事を見てはいけません。人の名声、地位、繁栄は何ひとつを持って行けないのです。私たちが行うことの全ては、自分をよく修め、師父に手伝って人を救い、自分の世界を圓満し、私たちに希望を託した衆生を救うことです。
私たちのそれぞれの宇宙体系の衆生が大法弟子を代表として選んだのですが、それは宇宙体系全体が生きるか滅びるかの運命を私たちに託したことを意味しており、これはなんと重い責任でしょう。当初、私たちは神の命と引き換えに誓いを立て、契約を結び、三界に降りて来て、世々で苦しみに耐え魔難を受ける中で、自分と自分の天国の衆生を救うことを行っており、最後の世で、最後の瞬間で、世間のことや人の執着に惑わされ、神聖な誓いに背くようなことがあってはなりません。
師父はこの二つの経文を続けて発表されましたが、これは非常に緊急で重要な時期に来ていることを示しています。たとえ困難の中で先が見えなくても、自分をはっきりさせて、舟は流れに逆らって航行しており、前進しなければ後退してしまいます。皆さん努力して精進しましょう。