【5.13応募原稿】姑の介護をめぐって
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年9月5日】姑には5人の息子と1人の娘がいて、夫は長男です。姑は大法を数カ月間修煉したことがあり、大法を支持しています。姑は84歳になってから自力生活できなくなり、家政婦を雇いました。86歳になると、夜も介護が必要となり、一人で介護するのが難しくなりました。弟たちは仕事が忙しく、姑は我が家に来て、私たち夫婦が世話をすることになりました。

 姑は来たばかりのころ、朝起きる時にいつも体が右に傾いて、倒れたりします。私は「お母さん、左に少し傾けば倒れなくなりますよ」と注意しますが、姑はいつも右に倒れて改善が見えません。ある日「姑も真っすぐに座りたがっている、真っすぐ座れないのは彼女のせいではない、姑に私の要求に合わせてもらうのではなく、私が姑の現状に合わせて世話をするのだ」と自分の考え方を正しました。それから最大限に姑の体の状況を配慮しながら世話をすることを心掛けました。

 姑が来たばかりのある日、トイレに行った時、私は姑を便座に座らせたらドアを閉めて、外で姑に呼ばれるのを待っていました。物音がしてドアを開けてみると、姑はすでに地面にこけて、左目の眉と上部が赤く腫れていました。それ以来、大でも小でも姑にドアを開けたまま済ませてもらいました。最初は少し「汚いな」と思ったのですが、すぐに、汚いと思うのは私心であり大法の要求に合わないと気づきました。

 私の妹も修煉者です。ある日、私が姑を支える動作を見て、その動作には善意を込めていないと妹が指摘しました。ちょっと驚きましたが、内に向けて探してみると「善意を込めていない」ところが見つかりました。私は、自分の立場からどの体勢で姑を支えやすいかしか考えておらず、姑の立場に立って、どんな姿勢で支えられると姑が歩きやすいかを考えてもいませんでした。また焦る、汚いと思う心も放下していません。こんなに多くの私心を持っていては、善が行えないのも当然でした。

 姑をお風呂に入れるのは私の仕事で、手を怪我した時も例外ではありません。毎回お風呂に入る時に姑は感動的な言葉を言ってくれますが、私はいつも「法輪功を修煉していなければ、こんなに良くできません。感謝するなら師父に感謝してください」と言います。

 姑が夜中にトイレに行きたい時は、ベルを鳴らして私か夫を起こします。私が熟睡して聞こえない場合は夫が行きますが、全然良い態度ではないので姑を怒ったりします。特に姑を支えて便座に座らせたのに姑が排便しない時、夫はさらに怒ってしまいます。起きた私はトイレに駆けつけて、姑を理解するようにと夫を慰めます。

 ある冬の深夜2時過ぎに、姑がベルを鳴らしました。私は起きて服を着ているうちに姑はまたベルを鳴らしてので、何か急用があると思って、服を着ないで急いで姑の部屋に駆けつけました。焦ってドアが閉まっていることを忘れて、ドアに頭をぶつけました。姑のベッドの前に着いて聞いてみると、何も急ぐ必要はありませんでした。私も何も言わず、ただ善意を持って姑に「服を着るには少し時間が必要なので、ベルを鳴らす時、少し待ってから2回目を鳴らしてくださいね」と言いました。

 姑は物忘れをし、ご飯を食べたことさえも忘れて、深夜1時~5時の間にベルを鳴らして、夕食を食べたか私に聞いたり、ご飯を食べていないと言ったりします。最初、私はいつも「食べましたよ、〇〇を食べたこと、忘れたのですか?」と言うと、姑は黙り込んでしまいます。数回経験した時、姑はきっと何かを食べたいのではないか? と気づき「何か食べたいのですか?」と尋ねて、姑に食べ物を渡しました。

 臨終までの数カ月間、姑はほとんど毎晩夜中にトイレに行きました。連日、私は夕方8時頃に帰宅して姑の世話をし、夜中の発正念をしてから寝て、翌朝4時に起きて、そして出社のため6:25前に家を出ないといけません。本当に大変だと思う時もありましたが、苦しいことはかえって良いことなので、そのように考え直そうと心に決めました。夫はとても感動して「ちゃんと寝て休んでください」とよく言ってくれました。

 姑の痰を吸引することも、最初は嫌で、人がいると私は遠く離れた場所に立って、その仕事から逃げました。しかし、いつまでも嫌な気持ちで対処するわけにはいかない、汚い仕事を嫌って逃げたい心も除去しなければならないと思い直して、やるべきことを積極的にやるようにしました。

 最初、妹を雇って姑の介護をしてもらうことに夫は同意しませんでした。私は利害関係を分析し夫に説明して、やっと夫はしぶしぶと同意しました。妹は私と同じく法輪大法を修煉していて、妹も義兄(私の夫)の激しい気性を配慮して、最初はこの仕事を受けたくなかったのです。私が何回も頼んだので、妹は私のためにこの仕事を引き受けてくれました。

 初めの頃、夫はよく妹に厳しい口調で指示をして、本当に使用人扱いをして呼びつけたりしていました。ある日、夫は妹の姑と義姉妹の前で妹を怒って、妹のメンツが丸潰れにされました。夫に怒られる回数も多くて、何回も涙を堪える妹を見かけました。妹は「姉さん、もし修煉していなければ私はきっとすぐにこの仕事を辞めます。あなたの家に来たからには、ここを修煉の環境と思い、自分の人心を除去したいと思います」と正直に言いました。私は「妹はきっとできる」と思いました。妹は経済的に困ってはおらず、我が家の仕事を引き受けたのは、お金のためではないと私にはわかっていました。

 天気が変わるたびに、姑は痰が多くなったり、頭痛がしたり、お腹が張ったりしました。姑は痰を吐き出す力がなくて、ある日、痰がのどに詰まり息ができなくなり、顔色も変わりました。妹は素早く姑の口に手を入れて痰をほじくり出して、姑はやっと息を吹き返しました。その痰は黄色くて少し硬いものでした。姑の痰をほじくることも時々あるのですが、妹は嫌がることはありません。それが夫の目にも映って、妹に対する態度も変わりつつあります。

 私が家にいる時は、妹と一緒に姑の介護をしますが、妹がいつも先を争ってやっています。妹が姑を起こす時、まるで子供を起こしているように姑を腕に抱いて服を着せ、本当に暖かくて親切です。姑の髪をとかす時、顔を洗う時も同じく細かく気配りをします。それを見た私は感動しました。姑がズボンの中で尿と便をすると、妹はすぐに姑の身体を拭いて下着とズボンを交換し、姑が冷えないようにしています。姑が寝てから妹は汚れた下着とズボンを洗います。何度か、妹が洗濯を終えて家に帰ると、自分の袖に便が付いているのを発見したことがあります。しかし、妹は一度も愚痴をこぼしませんでした。

 美味しいものがあったら、私たちは妹に少し冷蔵庫に残しますが、妹は一向に食べません。どうして食べないのかと聞いたら、妹は「私は食べものに欲がなく、給料をもらう以上、あなたの家のものを食べるつもりはありません」と言いました。3年近くの介護の中で、妹は一度も自分の好きな料理を作ったことがなく、いつも残り物を食べていました。家にある果物やお菓子もまったく食べませんでした。

 本当に心から師父と大法に感謝しています。妹は修煉する前はギャルっぽくて、機嫌が悪い時は自分の母親も睨みつけていました。法輪大法は実に偉大で、妹を善良で賢く、他人を優先的に考える修煉者にさせました。特に姑の最期の介護では、妹はいつも姑をおんぶして寝室やダイニングルーム、トイレに出入りしていました。姑も感動して妹を祝福する言葉を多く言いました。

 姑の最期の時期に、妹は姑の実の子供たちもできない役割を果たしました。妹の一挙手一投足と、日頃の姑への細やかな心遣いは夫を感動させました。最後の1カ月分の給与を妹は何を言ってももらわず、姉(私)を助けるためだと言っていました。これも夫の妹に対する見方を一変させました。

 姑の葬儀の費用は、兄弟たちが競って金を出そうとし、私たち夫婦は「出さないでくれ」と頼んできました。私たちはもちろんこの好意を受け入れることはせず、みんなと同じ金額を出しました。夫の従姉からお悔やみの電話があり「あなたとあなたの妹さんの介護を受けることができ、おばさん(姑)は本当に恵まれています。おばさんはよく寝て、少し食べて他界したのです。本当に天寿を全うしましたね」と言いました。

 葬儀の後、兄弟姉妹が集まって姑の遺品を整理しました。姑が残した、子供たちに均等に分配するお金を、妹にも皆と同額であげると夫は提案して、兄弟姉妹全員が快く同意しました。姑の介護をする時間がなかった兄弟4人は、妹に感謝の気持ちを表すために貴金属を買ってくれました。私は長男の嫁として兄弟たちに尊敬されています。年老いた親の介護をめぐって喧嘩したり断交したりする常人と比べて、大法弟子は師父の要求に従い良い人になって、穏やかで平和な家庭を築いています。

 (明慧ネット第24回世界法輪大法ディー入選文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/5/17/460153.html)
 
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