神韻のポスター貼りをする中での修煉
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 文/カナダの大法弟子

 【明慧ネット2023年9月5日】私は20071月にトロントで法輪功の修煉を始めて16年になります。今日は神韻を広める過程で、私の修煉体験を分かち合いたいと思います。

 1、10年以上の頑張りは大法に対する固い信念によるもの

 ポスター貼りは、2007年に私が大法の修煉を始めてから、初めて参加したプロジェクトでした。ポスター貼りの一番忙しい時期は、毎年1月と2月で、最も寒い時期でありマイナス30度とか、みぞれを伴う暴風の時もありました。小さな街まで、車で片道3時間以上かかることもあり、往復で一日7時間運転することもありました。

 では、どんな力によって、私が今日までやり通すことができたのでしょうか? それは「固い信念」です。私たちが推進プロセスの中で払った毎回の努力は、平凡なように見えますが、実際は衆生に大きな作用を働き、さらには他人の一生さえ変えることができるのです。以下に、いくつかの例を挙げます。

 

  一つ目の例です。私は大法を始めたころは、ずっと師父の講法ビデオを見る、つまり個人で「独修」する状態にありました。いかなる大法の活動にも参加せず、半年以上このような状態でした。ある日、トロントのウォルマートで買い物をしていた時、入口で若い中国人女性が、神韻の資料を配っているのを見かけました。2007年当時は、今ほど立派な神韻のチラシではなく、新聞紙に印刷された明慧特集号のようなものでした。

  私は彼女の側を通りながら、何も言わずに資料を受け取って立ち去りました。しかし、実は嬉しさと驚きで、家に帰るとすぐにチケットを予約し、中秋節の夜の公演で2番目に高価なチケットを購入しました。

 幼い頃から党文化の下で育った私なのですが、劇場の1階の比較的前方の席に座って神韻の美しさに圧倒され、何度も感動して涙をこらえることができませんでした。私が神韻を鑑賞したのはその時が初めてでした。

  その後、私は少人数の学法グループと、大人数の学法グループの両方に参加するようになりました。そして「独修」の状態をやめ、法を正す時期の本物の大法弟子になりました。もし、あの時神韻の資料を受け取っていなければ、本当に歩むことができるようになるまでは、さらに長い年月を待たなければならなかったかもしれません。ですから私は、資料を配っていたその同修にとても感謝しています。今でも彼女の名前を知りませんが、ただ彼女の大きな瞳と私に微笑んでくれた穏やかな印象が残っています。

  もう一つの例は、2019年の私の結婚式での披露宴で、夫の姉夫婦がイギリスから結婚式に出席してくれた時のことです。神韻を宣伝するために、私は披露宴にいくつかの演出を加えました。1つ目は披露宴会場の入口のテレビで神韻の予告編のプロモーションビデオを流したことです。2つ目は私が壇上で、神韻公演のおかげで夫が中国の伝統文化を理解し、私たち2人が一緒になることができたと話せたことです。そして3つ目は、招待客が食事中に神韻交響楽団の音楽を聴くことができたこと、4つ目は、招待客が帰りの際、神韻のチラシが入った小さな贈り物を受け取ることができたことです。

  夫の姉夫婦は、イギリスに戻って数か月後、ドイツへ神韻を観に行き、劇場で撮った写真を私に送ってくれました。これは、私の期待を遥かに超えました。なぜなら、彼らがトロントに来ていた当時、私はとても忙しくしていたので、彼らに神韻を系統的に紹介していなかったからです。このようにして、若い2人の命が救われたことをとても嬉しく思っています。

  その後分かったことは、義理の兄はイギリスではちょっと有名なようで、大勢の人の前で講演をしたり、本も出版しています。彼の本は多くの言語に翻訳されているそうです。夫の姉夫婦が神韻のファンになったことで、周りの親戚や友人が次々と口コミで神韻の素晴らしさを知りました。

 2、観念を取り除くと神韻の宣伝効果が高くなる

  師父は、「子供が生まれたとき、いかなる常人の観念もありません。6歳以下の子供の場合、私の一言で天目を開かせることができると話したことがあります。なぜでしょうか?こどもには常人社会のいかなる観念も形成されていないからです。純粋で清らかで、宇宙の真、善、忍という先天的な基準に符合しているからです。一旦常人社会でいわゆる経験を積んでしまい、頭に枠ができてしまった時、老練で経験豊富であるなど聞こえの良い言い方をしますが、実は既に自分を非常に悪くしました」[1]と説かれました。

  ですから、ポスターを貼りに行くたびに、私は自分に「あらゆる観念を放下しなくてはいけない」と言い聞かせています。表面的には店主に許可を求めていますが、実際は店主に正法の時期にチャンスを与えているのです。差別する心を持ってはならず、衆生一人一人に同じ機会を与えるべきです。もし私が観念を抱いてしまい、非常に主流な商店なのに「ポスター貼りが難しそうだ」と思ってその店をスキップしたら、店主が神韻の宣伝に協力するチャンスを奪ってしまうかもしれません。

 師父は、「大法弟子だけがこの世に来るために師父と約束を交わしたのではありません。全てのこの世に来た人、生命、天上から降りて来た神はみな私と約束があったのです。宇宙はあまりにも大きくて、生命も非常に多いので、小さい地球には多くの生命を収容できません。選ばれたのはかつて私が法を正し、衆生を救い済度することを手伝うと誓った衆生で、このような衆生だけが地球に生まれることができます。ただ、私はあらかじめ歴史上、大法弟子が具体的にこのことを行うよう按排したのです」[2]と説かれました。

  私が観念を放下できた時、予期しないちょっと驚くようなことに遭遇しました。ここ数年、トロントのダウンタウンでポスター貼りの際、挫折感を味わうことがよくありました。車で2、3時間かけて小さな町にポスターを貼りに行った方がむしろ良いと思い、トロントのダウンタウンへは行きたくないと思いました。なぜなら小さな町の人はわりと話好きで、ポスター貼りもそんなに難しくないからです。

  しかし、2022年末以降、新たな現象が現れました。トロントのダウンタウンではほとんどの店主がみな神韻をとても受け入れるようになりました。例えば、国内最大手のドラッグストアチェーンでは、10年以上ずっと、従業員の休憩室だけ、貼らせてもらっていたのです。そのため、通りかかった買い物客は、ポスターを見ることができませんでした。2023年の初め、トロントのダウンタウンにあるこのドラッグストアの支店を訪れた時、インド系のマネージャーがポスターを見ると、目を輝かせながら私に言いました。「とても綺麗ですね!」。彼女は、神韻のアーティストをとても素晴らしいと思っているようでした。「入口と出口付近のカウンターの2か所に、ポスターを貼って欲しいですね。そこが一番目立つ位置だからです」と言いました。確かにそこはとてもいい場所で、来店客のだれもが神韻公演の情報を知ることができます。マネージャーは、神韻のチラシを受け取ると心から喜びました。

  また、もう1つの例は、あるレストラントで起きたことです。周知のとおり、過去3年間で、外食産業は大打撃を受け、物価の高騰も相まって多くの飲食店が閉店に追い込まれました。しかし、2023年の初めに通常とは異なることがありました。ある朝、私はトロントのダウンタウンの目抜き通りで、最初に入った店はタイ料理のレストランでした。私は、「タイ料理のフォーは大好きですよ」と言いました。すると、カウンターにいた女性マネージャーはとても嬉しそうに、「昨年は男性2人がポスターを貼りに来ましたね」と言いました。

 その女性マネージャーは、交通量の最も多くて大通りに面している、レストラン全体で一番良い場所であるエントランスのガラスに貼らせてくれました。しかも、プレゼントまでくれたのです。私は「ありがとうございます。でも、頂くわけにはいきません。おいくらですか?」と聞くと、彼女は「お金はいりませんよ」と言いました。私がポスター貼りを終えてレストランを出て、次の店に行く用意をしていると、思わぬことに彼女が走って来て、私にタイ料理のフォーを渡してくれました。私は、「本当にありがとうございます」と返すしかありませんでした。このようなことは、今回だけではないからです。

 3、個人修煉の状態がポスター貼りの効果に影響を与える

 2022年末のある日、私がポスター貼りに行った時、平均2時間で23枚しか貼ることができませんでした。これはおそらくこの数年の中で、最低の効率でした。当時、私はいつも一日中携帯を見ていました。なぜなら、最近いくつかの真相ビデオを作成し、それをガンジンワールドに公開した後、一般の人に見てもらうためにソーシャルメディアで精力的に宣伝する必要があったからです。複数のプラットフォームに投稿して「いいね!」ボタンを押し、ボイスメールに応答しなければなりませんでした。そのため、心が静かではありませんでした。

  一週間後、またポスターを貼りに行きましたが、外出する時、「もうツイッターもフェイスブックも見るのをやめよう。一日が終わって、話す必要がない時は、自分の空間場をきれいにし、発正念し、すべての妨害の要素を解体し、さらに多くの衆生が神韻のトロント公演の情報を見ることができるようにしよう!」と自分に言い聞かせました。それからは、暗くなっても夜の1人歩きでも暗闇を恐れず、ポスターを貼れば貼るほど元気になりました。多くの商店主からポスターの掲示を快く依頼され、広い駐車場に面した入口のガラスに貼らせてもらえました。その商店街を通行する歩行者もドライバーも、神韻のポスターを見ることができました。

  表面上から見れば私のこの2回のポスター貼りは、店主に話した話もほとんど同じで、店に入ってからの行動も基本的には同じなのですが、効果は大きく異なりました。なぜでしょうか?

  それは、私の心の状態が大きく異なっていたためです。私たち煉功者はみな分かっていることですが、本当に効果を発揮するのは、この表面の空間ではなく、別の空間なのです。私の心の状態が正しければ、師父と神々は、大法弟子を助けてくださるのです。

  真相ビデオの宣伝が、できないわけではありません。心の状態を正しく調整できず、中途半端な気持ちでポスター貼りに行けば、自分の空間場がきれいでないため、ポスター貼りの際、発した正念も弱まり、常人の次元の空間に影響するのです。そのため、多くの商店でさまざまな理由などで、ポスターを貼らせてもらえないのです。マネージャーが留守だったり、「次回来てください」、と言われたり、「うちはチェーン店ですので本店に行ってください」、「ドアに貼る所がありません」、「うちの店は中国系のお客さんはほとんどいません」、「中華料理店に行った方がいいですよ」等々、と言われてしまうのです。

  ポスター貼りも座禅と同じように、何も考えず、純粋で清らかな心で行ってこそ最も良い効果があると悟りました。

 再度師父の慈悲なる済度に叩頭し感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地の説法十四』「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」

 

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/8/6/463530.html)
 
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