文/山東省の大法弟子
【明慧日本2023年9月13日】師父は、2023年8月31日と9月1日に明慧ネットで『険悪を遠ざけよう』と『大法修煉は厳粛である』という二つの経文を続けて発表されました。経文を読んでとても辛く感じ、恥ずかしい思いでした。これらの説法は以前にも説かれたものだからです。もし私たちが説法に従ってしっかりやり遂げたとすれば、師父にこの二つの経文を続けて発表していただく必要があるのでしょうか?
このことから、「事態が非常に深刻な局面を迎えていることを示しており、一部の人だけの問題ではなく、すでに多くの人が非常に危険な状況に置かれているからだ」と思いました。法を正す最後の時期、最後の終点までたどり着けるかどうかが最も重要なことです。
師父は、『険悪を遠ざけよう』の始めに「大法は末後の時期にやってきて人を救っており、大法は修煉なのです。一部の人は大法弟子の環境に身を置いたのですが、真に修めておらず大法に入ってきていません。肝心な時、いつも人心、人間の念、人間の情をもって物事を量っています」と説かれました。師父は、「『人間』が邪悪に迫害されたりするとき、あなたを守っているのは師父であり、同時に師父があなたの罪業を肩代わりしています。師父はあなたに借りなどありません!」[1]を読んで、心を強く突かれました。
私は落ち着いて、自分の内に向けて探しました。「師父がこの二つの経文の中で厳粛な言葉で説かれていますが、私の不足は何だろうか?」と考えてみました。一昨日の夜、はっきりとした夢を見ました。「目の前に大きな山があって、とても高く直立して、しかも滑々しており行く道を阻まれました。その下は海になっているので、山を登ることはできません」。驚いて、ぱっと目が覚め、何が起こっているのかわかりませんでした。師父のこの二つの経文を読んでから、その夢の意味がわかるようになりました。
今年の夏のことを思い出しました。今年の夏は以前より特別に暑いと感じました。家で真相資料を印刷していると、暑い中、プリンター5台とパソコン2台を同時に使っていたので、特に暑かったのです。学法の時、一講も学ばないうち、体は蒸し器に入ったように、心が落ち着くことができなかったのです。エアコンをつけると寒すぎ、つけないと暑すぎて、いずれにしてもよくなかったのです。そのうち、「いつになったら終わりになるのだろう」と思ってしまい、時間への執着や安逸心が出て、苦を嘗めたくない心が生じました。そして、師父は、私のたくさんの執着心を見て、前述した夢の中で私の状態を見せてくださいました。
師父が「この空間ではわれわれの肉身という身体を人間に与えられました。この身体を持っているから、寒くても駄目、暑くても駄目、疲れても、お腹が空いても駄目で、とにかく辛いのです。病気に罹かかったら苦しいし、生老病死もあります。それはほかでもなくこの苦しみの中で業を返させるために、上へ戻れるかどうかを見るために、もう一度あなたに機会を与えました。というわけで、人間は迷いの中に堕ちて来たのです」[2]と説かれました。
「師父がおっしゃったのは私のことではないか?」とわかり、自分のことをとても恥ずかしく思いました。師父は私のために多くのことを受け持ち、私はその恩に感謝しなければなりません。
振り返ってみると、20年修煉してきましたが、3、4回大法の資料を配ったり、ステッカーを貼ったりしたとき、見張りの警官や大法の真実を知らない人に通報されたことがあります。彼らは私の乗っている電動自転車を止め、行くのを阻止したりしましたが、すべて師父の慈悲深い保護で危険を免れました。そして、大法を学び始めたばかりのとき、師父が私の体を浄化してくださり、10日以上、まるで重病のように飲食をしませんでした。もし修煉をしていなければ、10日間飲み食いをしなかったら餓死していたでしょう。私は師父と大法を固く信じたからこそ、難関を乗り越えることができました。
この20年の修煉の中で、私は師父の慈悲深い保護とご啓示のおかげで、ここまで順調に来ることができました。夫と息子は車の運転で何度も大きな交通事故に遭いましたが、無傷でした。家族全員が師父に感謝しています。
師父は「この数年の修煉の中で、わたしは皆さんのためにあまりにも多くのことを受け持っただけではなく、同時に、皆さんの向上のため、絶えず皆さんを悟らせ、皆さんの安全のために皆さんを見護っていて、皆さんが圓満成就できるよう、皆さんが異なる次元で造った借りを片づけているのです。これは誰に対してもできることではなく、常人にしてあげられることでもありません。ただ、それらの人はあまりにも理智を失っており、大法と修煉の機縁を大切にすることを知らないだけです」[3]と説かれました。
師父は私たちのために多くを受け持ってくださいました。私たちは幸運にも、すべての神々から羨ましがられる「法を正す時期の大法弟子」になることができました。これは千年に一度もないチャンスで、万年に一度もない機縁です。私たちは本当に幸せです。私たちは少しの苦を嘗めるだけで、なぜ、耐えられないのでしょうか。常人はもっと苦しんでいます。もし私たちが修煉しなければ、常人と何が違うのでしょうか? 常人は生老病死があり、物質的な富は、生まれるときに持ってこられないし、死ぬときも持って行けないのです。とても虚しいことです。周りの人々を見てください。病気のない人がいるでしょうか? 私たち修煉者の体は軽やかで病気がないのです。師父は私たちを地獄から救い出してくださっただけでなく、私たちの体も心も魂を浄化し、宇宙大法の修煉を教えてくださいました。私たちは心から大法を大切にしなければなりません。
それなら、どうして大切にしないのですか? 師父は「もし、修煉がとても良くできている大法弟子が、理性的に大法とは何かを認識することができれば、きっと力を入れて行ない、この面において緩んでしまうことは決してありません。逆から言えば、精進していない弟子も法を勉強しており、法がとても素晴らしいと分かっていますが、法に則っておらず、正念も足りないので、認識はやはり高まらないのです。つまり、本当に法の貴重さを理解することができないから、なかなかやる気が湧いてこないのです」[4]と説かれました。
法を正す時間がもう残り少ないのですが、私は師父のご恩に報いるために、努力して三つのことをしっかり行いたいと思っています。師父により多くの喜びを与えられ、師父について自分の本当の家に帰ります。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『険悪を遠ざけよう』
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨(二)』「妨害を排除せよ」
[4] 李洪志師父の経文:『ロサンゼルス市法会での説法』