文/山東省の大法弟子 善縁
【明慧日本2023年9月18日】(前文に続く)
三、法輪大法は私と家族との恨みを解消
2番目のおじの妻
私の2番目のおじの妻は、姑にそそのかされて、私ともう4年間会話をしていませんでした。大法弟子は他人に対して善意を持つべきで、敵があってはいけません。私は2番目のおじの妻と和解する決心をしました。2番目のおじの妻に法輪大法の素晴らしさを実証しようと思いました。
ある日、私は勇気を奮い起こしておじの家に行き、入るとすぐに「おばさん、おじさんはどこにいますか?」と訪ねました。妻は私を見て頭を振り、一言も言わずに無視しました。そんな状況下で、私は引き下がるしかありませんでした。そして、涙が流れました。私は師父を思い出し「私は諦めずに、また機会が訪れるでしょう」と自分を鼓舞しました。人前での面子や誇りは大切かもしれませんが、師父の教えに従うことが最も重要だと思いました。
次の機会は、春節(訳注:旧正月)の前に起きました。街でどんぶりを売っている人がやって来たので、私はどんぶりを選んでいました。ふと上を見ると、おじの妻も来ていました。私は微笑みながら「おばさんも、どんぶりを買いに来たのですか?」と言いと、おばさんも「うん」と答え、私が選んでいるどんぶりの前にしゃがみ込みました。私が「そのどんぶりは私が選んだものです、あなたが持って行ってください、それは素晴らしいどんぶりですよ」と言うと、おばさんは「分かりました、私は自分でもう一度選んでみます」と言いました。その時、私は本当に嬉しく思いました! やっとおしゃべりができました。師父の按排に感謝申し上げます。
3回目の機会は、他の家の新婦のために毛布を作った時のことで、私たちは6人で午前中いっぱいかけて作業しました。それぞれペアを組み、私とおじの妻はペアで配置されました。毛布を作るこの活動は、2人の協力がうまくいかないとできませんでした。そこで、私は積極的に協力しました。私が積極的に協力したことによって、私たちは和解しました。おじの妻との和解は私の希望であり、師父が私に機会を与えてくださったのだと理解していました。
姑
6年間、私と姑は冷戦か熱戦のどちらか(訳注:常に対立的な状態にあること)で、怒りや憎しみ以外の感情はありませんでした。よく考えましたが、私は姑のことをもう気にしないことに決めました。姑が生きているか死んでいるかは、もうどうでもいいことで、もはや姑を母と呼ぶこともありませんでした。
一緒に煉功している同修からの助言で、私は姑と仲良くするべきだと言われ、法輪大法の素晴らしさを実証するべきだと言われました。私は「それでは、まず最初に『お母さん』と呼ぶことから始めよう!」と思いました。しかし6年も経ってしまい、どうやったら口にすることができるでしょうか? しかし、私が法輪大法から学んだことは、姑とのことは生々世々にできた因縁から生まれたもので、どの世で誰が誰に対して何をしたかに関係なく、私がしっかり行えば、師父は私たちが善意で解決できるように助けてくださる、ということでした。そして、善意で解決できるかどうかは私の行動次第でした。
6カ月間、私は勇気を奮い起こし、自分を鼓舞し続け、姑のことをどう呼ぶべきか、そして姑がどのように反応するかを考えながら、練習しました。しかし、姑を「お母さん」と呼ぶその一歩を踏み出すことはまだ難しかったのです。師父の教えに従うには、善の心を修め、姑との関係を改善し、姑に大法の素晴らしさを見せる必要があると思いました。私は決心し、姑の家に行き、心を込めて「お母さん」と呼びました。
そのとき、姑は少し困惑し、気まずそうで、私が何を考えているのかを理解できなかったようでした。私が何を考えているのか理解できなかったというのは後で姑が他の同修に話したことでした。その後、私は姑に「お母さん」と呼びかけるようになり、姑はとても喜んで受け入れました。
姑が、本当に師父に感謝し大法に感謝した理由は「ある年、小麦を干した後に畑は使用されず、ピーナッツを収穫するまでは再び使われなかった」ということに関してのことでした。姑は、3人の息子たちの農地が空いているのに、なぜか私たちの農地で大豆を植えることに執着していました。私は「お母さん、あなたが大豆を植えてもかまいませんが、私が予定通りに農地を使えるようにしてください」と言いました。姑は私が予定通りに農地を使えることを保証し「予定通りに使えるようにします」と言いました。結局、ピーナッツを収穫しなければならならないのに、姑が植えた大豆は緑色でも黄色でもありませんでした(訳注:通常の予想と異なっていた)。豆が割れないと、農地を使用することが妨げられました。しかし、無理に割ったたら割ったで、その場所で育てた豆が無駄になりました。
この時、私の気持ちは不安定になり始めました。そして、私は「あなたに親切にしてあげたら、あなたはますます元気を出します。他の二つの家の農地には種をまかないで、私たちの農地にだけ種をまくのは、どうしてですか? 私をいじめるつもりですか?」と考えました。私は「師父は偶然のことはないと説かれました。これは師父が私の向上のために姑を按排してくださったのです。私は寛大である必要があり、彼女を問題にすべきではありません。姑が大豆を収穫できるように、私は別の方法を考えなければならない」と考え直しました。
偶然にも、隣人の家はその年にピーナッツを植えなかったので、その場所は空いていました。そのため、私もピーナッツの収穫に影響はありませんでした。この出来事は、師父が以前から私のために按排してくださっており、姑は私の心性を向上させ、善の心を修める手助けをするためのものだったのだと思いました。以前のように人を許すことができない、ということはできませんでした。大法を修煉することは本当に素晴らしいのです、師父に感謝申し上げます! 大豆の収穫の事で、姑は自責の念を感じていました。私が変わったと言い、姑は「師父と大法にとても感謝している」と言いました。
その後、以前私たちが激しく対立していた多くの問題について、私は大法に従って判断し、自分が修煉者であることを思い出し、内に向けて探し、対立を平和と調和に転じるように努力しました。師父の教えに従い、私は徐々に変化していました。
その後、姑は自分から「大法があなたを変えたのよ。あなたが良くなったので、私も良くなったのよ」と言いました。姑は本当に師父に感謝申し上げました。姑は私に「師父があなたを救ってくださり、私をも救ってくださったのよ」と言いました。私はその姑の言葉を聞いて、本当に師父に感謝申し上げました。姑とのことはすべて大法の威徳でした。私は心の中で「私は師父の弟子であり、姑はもう私の怒りに耐えたり、私の叱責を我慢する必要はありません。『百善のうち孝を第一とする』です。私は両親を大切にし、家族との調和を保ちます」と言いました。
2018年の冬、舅が病気で入院し、2人の伯父が看病に行きました。夫は遠くの街で仕事をしており、家に帰ることができませんでした。寒さが厳しく、姑がストーブに火をつけることができなかったため、私の家で暖かく過ごすことを提案し、姑を迎えました。このようにして、私は夫に代わって親孝行を全うし、夫が仕事に行く時に心配しなくて済むようにしました。
姑は私の家に来て非常に喜びました。毎日、私は母の好きな料理を作り、母と楽しく過ごし、母が孤独を感じないようにしました。夜、私たちは師父の説法の録音テープを聞きました。朝、私は煉功をし、母も私に従って煉功し、私が煉功を終えるまで続けました。
最初の1、2日、母は頻繁におしっこをしたくなり、おしっこでズボンが濡れるのではないかと心配しました。私は「年を取ったらどんな風になるかは誰にもわかりません。だから気にしないで、あなたは自宅にいるようにくつろいでください。おしっこをしたら、私が洗ってあげます。大丈夫ですよ」と母を安心させました。大小便を、私は母が屋内でできるようにしました。母が用を足したら、私はそれを外に持って行って捨て、便器をきれいに洗いました。母は耐えられなくなりました。母は私が便器を捨てに行くのを許可しませんでした。母は便器は自分で捨てに行けると言い、私が納得しないなら母は「ここに住まなくてもいい」と言いました。そこで、私は便器を捨てに行くのをやめました。
ある夜、母は食事が美味しかったので、普段よりも多く食べました。空が明くならないうちに、母は起き上がり、大便に行こうとしましたが、失禁してしまい、ベッドから始まり、ベッドの周り、靴、椅子、床に至るまで、汚れてしまいました。母は申し訳なく思い、ずっと自分を責めました。私は母を励ましながら、同時に慰め、迅速に拭き取り、掃除し、そして水で徹底的に洗いました。母にベッドで待つように伝え「何も心配しないでください」と言いました。私は朝食を作りながら忙しくしていました。そして、母に下りてきて食事をとるように伝えました。母は「母さんを、あなたがこうやって甘やかすから、私はもう自分の家に帰りたくありません」と言いました。私は笑顔で「家に帰りたくないなら、ここに住んでください」と言いました。母は「入院しているおとうさんが帰ってきたら、どうすればいいの?」と言いました。私は「ここに住めばいいですよ」と言いました。母は笑顔になりました。
母は私の家に9日間滞在し、舅が退院後に家に帰りました。
師父に本当に感謝申し上げます。法輪大法の修煉をしていなかったら、真・善・忍が私の心に根を下ろさなかったでしょう。真・善・忍がなければ、私は母を大切にすることができませんでした。
夫は、私の身体と心の変化を通じて法輪大法の素晴らしさを理解し、夫も変わりました。この数年間、夫は新唐人テレビの番組を見て、真相を理解しました。夫は大法の師父の偉大なる慈悲、大法弟子の善の心、そして中共の邪悪さを認識しました。夫は親戚や友人と集まった時、時々大法の真相を伝え、法輪大法を紹介することを手伝ってくれました。
(明慧ネット第24回世界法輪大法デー入選文章)
(完)