人心を放下して 病業の虚像から抜け出す
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年9月25日】同修Aさんと一緒に法を学び、人々を救うために真相を伝えに出かけていました。私たちは互いに歩調を合わせて、打ち解けている仲です。 どう進めばいいかわからないことがあれば、彼女に相談します。 私が彼女に毎日家に来て法を勉強するように頼むと、彼女は賛同してくれました。学法する時刻に 彼女が数分遅れて来ることもあれば、長く遅れて来ることもあり、私は待っている間、心の中で焦りや不満を持ち始め、Aさんに不満を抱きました。

 時間が経つにつれて、私は恨みを感じ、不満が表れてきました。 彼女と約束をしたとき「人を待つということがどういうことなのか、あなたにも知ってもらおう」と思い、わざと遅刻していました。 時々、彼女が遅れて来たとき、私は心の中の不満を発散するためにAさんに「時間厳守」、 「自分自身に厳しく」などのいくつかの文句を言いましたが、彼女は何も言いません。 こんな状態が2年以上続きました。

 ある日、彼女は私の家の前で、突然「今日からこの家にはもう来ない」と言い、「用事があるから」と言って去っていきました。 あまりに突然のことで、私の心は空っぽになり、頭の中は真っ白で、精神の支えを失ったかのようにどうしていいかわからなくなりました。 人々を救うために真相を伝えに行く思いもなくなり、ベッドに座ってしくしくと泣き、朝からずっと苦痛に耐えていました。

 これは依存する心なのだと気づきました。 午後、私は無気力に家を出て通りに出ました。大法の真相を伝えることに集中できず、人混みの中から同修Aさんの姿を探し、彼女に会いたいと思いました。 この時、私が考えていたのは、彼女のことと、彼女と別れることの苦しみだけでした。私の心はすべてこの苦しみに包まれ、数日間続けてこの苦しみの中で過ごしました。

 その苦しみの中で、私は次第に我に返り、2年以上、一緒に法を学び、真相を伝え、交流し、切磋琢磨し、知らず知らずのうちに、同修に対する情、依存心、崇拝心、嫉妬心、強引に押し付ける心、独り善がり等の人心が生じたのです。自分の修煉に問題が生じ、これらは良くない心だと知っていながらも、Aさんのことに言及すればやはり不平不満や、恨みに思う言葉を吐き出し、数多くの業を作りました。

 その後、私の体に病業の虚像が現れ、発正念するときの威力が大幅に減りました。同修と一緒に法を学び、一緒に正念を発し、私の健康は良い時もあれば悪い時もありました。 時々、同修の家に泊まり、同修が私の為に発正念を手助けしてくれることを期待しました。 私は「迫害だったら迫害を崩壊させよう」と考え、発正念を重視しましたが、内に向け、人心を取り除くことを怠りました。結局、同修と一晩中正念をしましたが、私の全身は冷たくなったり、同修は疲れて眠りに落ちてしまいました。

 朝早く、私は協調人同修の家に行き、協調人同修は一緒にグループ学法する何人かの同修を見つけて、私に正念を送るのを手伝わせました。邪悪な要素がたくさん解体されたと感じました。身体の冷たい状態は改善されたものの、身体に現れた虚像は依然そのままでした。

 その時、私は2人の同修と一緒に法を学び、正念を送り、夜、他の学法グループに行き、法を勉強し、正念を発しました。 身体の正しくない状態が一年以上続き、それに私は身体の虚像が消えることに執着し、毎日、身体が楽になることを願って、虚像に集中して正念を発し、人を救うために真相を伝えに出かけることが少なくなり、そのため、身体に対する執着が形成されました。

 体で感じ取ったことを捨て、体のことを考えず三つのことをしっかり行い、人を救うために出て行くことを同修に助言されました。同修の指摘は適切であることは十分認識していましたが「私を理解してくれない、私を助けてくれない」と同修に対する怨恨の心が生じ、その心を抱きながら悟らずひたすらに同修の正念を求めました。自分の利己的な心を満たされれば喜び、失望すれば、心に不満が現れ、そして愚痴をこぼし、同修を非難しました。

 私は数人の同修に助けを求めました。その中で同修の慈悲なる助言、無私の援助だけでなく、更に同修の善意なる棒喝もありました。 一連の葛藤を経て、まずどこにも行かず、家で心を静めて法を学び、正念を発し、衆生を救うために真実を伝えに出かけると心に決めました。すると身体で感じた虚像はだんだん薄れてきて、時折再発することにも気にせず、すべきことをして、何も考えず、法を心に留めて、法の暗記を堅持し、怨恨心、依頼心、同修に対する情、嫉妬心、利己心等の人心に対して、取り除くために正念を発しました。すると、知らず知らずのうちに、体が正常に戻り、すべての病業の虚像が消えました。

 本来、このようなことはあってはならないことですが、私自身の修煉は実修できておらず、人心にしがみつき、自我に執着し、他人のことを考えず、恨み、依頼心、嫉妬心、それらの人心が災いをもたらし、魔難の中に陥る原因となり、全身全霊で衆生を救うことができず、同修の正法修煉の邪魔をしたのです。 大法の無限の法力によって、迷える弟子たちは霧を晴らし、自らを正し、真我に属さない人心の執着を断ち切り、師が法を正すことを手伝い、衆生を救い、清らかに堂々と返本帰真の道を歩むことができるようになりました。

 私の心は非常に後ろめたい気持ちでいっぱいでした、自分の考えや計画に執着し、同修を気遣って、学法する時刻を調整することも思いつかず、頑なに自我に執着したため、同修に時間の余裕を持たすことを考慮しませんでした、本当に申し訳ないと感じました。傲慢かつ身勝手な私に、同修Aさんは常に寛容で損得に拘らず、黙々と非難の言葉に耐えていました。 しかし、私はA同修の視点に立って物事を考えることができませんでした。彼女の夫は単身赴任で、めったに家に帰って来られません。彼女は一人で姑(90歳)の世話をするために、毎食、単独で姑に野菜料理を作り、何十年も姑のためにそのような細心の献身をしていました。彼女の愛情のこもった姑を呼ぶ声がとても親密で自然で、まるで自分の母親を呼んでいるかのように感じました。

 同修Aさんは、とても寛容で親切で、私のわがままや不親切を我慢し続け、私を傷つけることはありませんでした。 しかし、私が幼い頃から身についた闘争心、無愛想、相手に対して寛容な気持ちを持てない心理が時折、同修を傷つけていました。私は反省し涙を流しながら、尊敬する同修Aさんに謝罪する決心をしました。自分の面目を捨て、謙虚に誠実に同修Aさんの前で「あなたを大いに傷つけてしまったのは、すべて私のわがままのせいです。許してください。 私たちは互いに自分の心の不十分さを知り、自分を正し、一から一緒に法を学び、人々を救い、真相を伝え、手を携えて、師が法を正すことを手伝い、法を正し、衆生を救い、使命を全うしましょう」と心の底から謝罪しました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/7/24/463309.html)
 
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