文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年10月3日】9月1日の朝、明慧ネットで師父が発表された新経文『険悪を遠ざけよう』を拝読しました。ひそかに、今日明慧ネットを閲覧してよかったと思いました。(ウェブトラフィックを節約するため、これまでは週一度しか閲覧していない)。その時、待ちきれず、むさぼり三回続けて読みました。一言一言が重いハンマーのように私の肉身や心が打ちつけられる感じがし、私はしばらく言葉を失って驚きました。しかし、心の中で自己を慰めていました。少なくとも私は法輪大法に不平不満を言ったことはなく、偉大な師父に不平を言ったこともないと思いました。
翌日、ある同修が我が家に来ました。私は彼女に新経文を拝読したかと尋ねました。彼女は、「新経文があることは知っているけれど、娘が産後の肥立ち中なので娘婿のお世話で忙しくてまだ読んでいない」と言いました。その同修は、「あなたはそれを暗記したのでは?」と聞いたので、私は、「いいえ、私もまだ三回しか読んでいません」と言って、私たちは一緒に経文を一回読みました。
同修が帰った後考えました。同修が私をこんなに信じているのなら、新経文をできるだけ早く暗記すべきで、同修の励ましに感謝しなければならない、と思いました。なぜなら、同修の視点では私の記憶力が優れており、法を早く覚えることができると思われ、以前にも『洪吟二』を2週間で暗記し、その後、暗唱しながら書き写して収容所で迫害を受けている同修に渡しました。また、新しい『論語』を2時間あまりで覚えました。しかし、たった1100文字の新経文を覚えるのに、私は4、5日の朝の時間を使いましたが、まだ一字も間違いなく暗記できていませんでした。
この経文を暗記する過程で、何度も涙が目に浮かび、悔しさ、後悔、罪悪感、感謝が入り混じり、何度か声を失い悲しくて泣きました。幸いなことに、子供たちは一緒に住んでいないので、家には私と夫(同修)しかいませんでした。
自分が歩んできた修煉の道を振り返り、修煉の道はなぜこのように険しいのか、なぜ魔難が次から次へと現れてくるのか、それは自分の悟性が悪いからであり、人心が多く、師父と大法を真に理性から認識できなかったために、自分が多くの回り道を歩むことになったからです。毎回の魔難は、師父の保護と加持のもと、そして師父が私の罪業を肩代わりしてくださったことで乗り越えてきたものであり、弟子が今日まで魔難を乗り越えることができたのは、慈悲に満ちた偉大な師父が弟子のために、多く、多く背負ってくださったからです。感じ取れたことも感じ取れていないことも、師父のご恩は山のように重く、天のように大きく、弟子は人間の言葉を尽くしても、師父に対する無限の感謝を表現することはできません!
1999年、邪悪に不当な拘束と拷問に遭った時、私は尋問で同修を裏切るように強要され、酷刑である「縄刑」をかけられました。その時、私は心の中で師父の詩 「生きて求めるもの無く 死しても惜しまず 妄念を蕩尽すれば 佛を修するは、難しからず」(『洪吟』「無存」)を繰り返し暗唱しました。すると奇跡が現れました。身体は大きな空の筒に変わり、両腕も空の筒に変わりました。(腕や胸にしっかりと締め付けられていた縄を感じなくなった)。その素晴らしさと快適さは、以前に経験したことのないものでした。私は師父が私の近くにおられることを知り、感謝の涙が知らず知らずのうちに流れ出ました。
収容所で邪悪の不当な拘束に抗議し、17日間ハンストをした際、体は少し痩せましたが、かえって精神的には明晰で、法を暗記する声は気力に満ちていました。歩く姿勢は軽やかで、顔色も良く、警察官らも法輪大法の非凡さに感心せざるを得なかったのです。
弟子はよく知っています。これらすべては師父から授かったものです。師父の慈悲による済度がなければ、弟子は今日まで生き残ることはできなかったでしょう。弟子の心には師尊への感謝しかありません。もちろん、後ろめたいことも多くあります。なぜなら、多くの場面で弟子は根深い自己中心の「私」を放下することができず、真に法に則って修めておらず、修煉中のすべてを法を正す基点で考えていなかったからです。その結果、魔難が重なり、多くの回り道を歩むことになり、師父はだらしがない弟子のために多くのこと背負われることになったのです。
最初は、自分は自己を慰め、少なくとも師父に不平を言ったことはないと感じていました。しかし、法を暗記する過程で、内に向けて探してみると、実際には不平がなかったのではなく、それを覆い隠していたのです。これがわかった瞬間、私は冷や汗をかくほど驚愕しました。以前、自分が師父に対してこれほど申し訳ない行為をしていたとは、本当に気づかなかったのです。
それは去年の年末、海外で中国人の同修が亡くなったというニュースを知った時、最初は信じたくありませんでした。それは邪悪なデマだと思いました。しかし、この情報が事実であることを知った瞬間、私は感情を抑えることができませんでした。涙が止まらず、何度も心の中で繰り返して師父に尋ねました。「なぜこんなことになったのですか? なぜこんなことになったのですか? あの同修は大いなる影響力を持っていました。私たちは中国国内で真相を伝える際にも、彼について何度も触れました。なぜこんな結末になったのでしょうか?」。師父は私がまだ愚かで悟りが足りないとみて、一言を啓示して下さり、「法外開恩(法外に恩恵を施す)」と言われました。弟子は突然悟りました。どんな人であっても、たとえ師父の側近であっても、どんなに規模が雄大で勢いのすさまじいことをしても、大法の要求する基準を真に達するためには、法の中でしっかりと実修しなければならないということです。なぜなら、師父は宇宙の法を正しておられ、どんな生命に対しても「法外開恩」はできないのです。ここまで考えると、私の心がすぐに釈然となり、修煉の厳粛さをより深く理解しました。私の現れはまさに『険悪を遠ざけよう』で述べられているように、問題を人心、人間の念、人間の情で量っているのではないでしょうか? そして、疑問の中には師父に対する「怨み」が覆い隠されていました!
師父はおっしゃいました。「宇宙で法を正すことも末後の時期に入り、この時期が終わったあと、厳しい選別と淘汰の過程があります。しっかりと自覚をもって行なってください!」(『険悪を遠ざけよう』)
ここまで暗記した時、私は心の中で「師父、弟子はまだ多くの不足がありますが、しかし弟子は大法を永遠に信じ、師父を永遠に信じています。弟子は砂になりたくありません。淘汰されないように、弟子は法の中の一粒子となり、神々に羨まれる法を正す時期の大法弟子になります!」と言いました。