【明慧日本2023年10月3日】修煉してから今日まで、様々な魔難を乗り越えられたのは、その全ては師父の心血が注がれ、師父の苦労の賜物なのです。師父の宏大なる慈悲と恩恵を受け、師父への無限の感謝をどんな言葉でも言い表すことができません。
師父が発表された三つの新しい経文を読んだ後、私は心に強い衝撃を感じ、これは師父の棒喝であり、一言一句の言葉が私を目覚めさせてくれました。独りよがりな考えや自分は出来る、すごいと言う気持ちは、一瞬にして消えてしまいました。師父の法に、私の修煉は遥かに悪く、師と法を信じること、師と法を敬うこと、感謝すること等に問題はありますが、法への認識が不足しているため、自分の問題を感じなかったのです。
二十数年の正法修煉で嵐を通り抜け、多くの魔難に遭遇しましたが、乗り越えることができたのは師父のご加護のおかげです。プロジェクトを完成して成果が表れた時、本当の救いは師父であることは知っていますが、それでも自分自身に凄さを感じています。その理由は、私が正念を強く持っていることを感じたからです。実際、私たちは正念で関門を乗り越えられると常に考えていました。師父の助けにも感謝していますが、しかし心の中では自分の正念ばかりが強調され、関門を乗り越えられた背後の原因に何があるのか、よく考えていませんでした。
今、やっと理解できました。私たちが遭遇した全ての魔難は、私たちの業力と威徳の樹立のためにあります。特に、業力が正念で魔難を乗り越えられた原因として、師父は私たちの歴史上で作り出してきた業力を多く引き受けて下さったので、ほんの少し背負うだけでした。師父の助けがなければ、自分一人ではそれに耐えることができず、人生をかけても数世にわたっても返済することはできません。借りがあれば、必ず返済しなければいけません。今世で修めるとはどういうことでしょうか。師父が私たちのために巨大な業力を背負ってくださっているからこそ、私たちの人生と修煉が継続され、関門を乗り越える機会を得ることができるのです。
法を実証することを思い出し、衆生を救う中で私は、何度も良くできなかったため、旧勢力に隙に付け入られて、幾度となく乗り越えられない魔難に直面し、私たちが作った業力の殆どは師父が背負って下さり、残りは自分で関門を乗り越えるためのものです。ほんの少しの関門でも、乗り越えようと思うととても難しい事であり、しかし私たちが強い正念を持っていれば、師父はそれを取り除くのを助けて下さいます。今まではこの理を理解できず、関門を突破した時は、何も知らずに自己満足に浸り、自分は偉いと思い込んでしまいました。今にして思えば、当時の私は、いかに表面的であったかが分かります。
私たちにとって、正念で関門を突破し、大法を実証するのは当たり前であり、必ずやらなければならないことであり、私たちの責任であり、私たちの承諾であり、余計なものを一切与えず、大法と師父の為にするのではなく、私たち自身の圓満成就のために行ったのです。
私たちは、魔難や嵐からここまで来られたことにまず感謝すべきなのは、限りなく慈愛に満ちた師父です。弟子はどんなに酷いことをしても、師父は決して私たちから離れず、私たちにチャンスを与え、再びチャンスを与えて下さいます。私たちはこの一回一回のチャンスを必ず大切にし、逃すことなく、内に向け探して、人情や観念を取り除き、師父の慈悲なる済度に背かないことです。