文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年10月4日】師父は、『険悪を遠ざけよう』と『大法修煉は厳粛である』という2つの経文を連続して発表されました。最初は、自分は「怨恨心」を持っていない、特に問題がないと思いました。しかし、心を静めてこの二つの経文を暗記した後、その怨恨心は非常に大きく、かつ根深いことを認識しました。ある時、私は強制連行された後、真剣に内に向けて探し、師父が私を助けて険悪から抜け出すことができたのでした。
最初に強制連行されたのは、2008年の初冬で父親が亡くなった時でした。私は父の死に不満や心のバランスが取れず、怨恨の心を抱いていました。「亡くなったのはなぜ、彼ら(私の父親より劣る人々)ではなく父親なのか」と疑問に思いました。二回目の強制連行は2015年の中秋節の後、母親が病業で亡くなった時でした。私の心はますます恨み、不満、不平感に満ち、「亡くなったのはなぜ、彼ら(私の母親より修煉ができていない修煉者)ではなく母親なのか」と思いました。その時の私は、自分自身が険悪な状況に引き込まれていたので、気づいていませんでした。
そのため、2015年11月初め、地元で法輪功学習者による「江沢民告訴」運動に関連して、私は迫害を受けました。家にある1万元以上の私物が略奪され、朝食を取っていない状態で派出所に連れて行かれました。一日中拘束され、一切の飲食も提供されず、夕方6時前に兄が保証人になって保釈されました。
空になった部屋を見つめながら、私は声を失い泣きました。自分の修煉において大きな問題が生じていたことは分かっていましたが、その時、正念が足りない私は、問題の根本的な原因を見つけることができませんでした。
これまでは、周りの人たちから見れば、私は精進しているように見えていました。休むことなく法を学び、書き写し、暗記し続け、法に対する理解が明確で、冷静で理性的な思考を持っており、他人や状況に左右されることはほとんどありませんでした。しかし、私はこの表面的な現われが、実際の自分ではないと分かっていました。自分と法の間に隔たる膜があるように感じ、法を得ていないようにも感じました。法はその隔たる膜に阻まれており、本当の自分は空中にぶら下がっており、恐れ、焦り、不安、無力感……、途方に暮れていたのでした。
派出所から出た後、私は心の中で誓いました。「問題の根源を見つけ出すこと」を決意しました。
私は誰にも会わず、物事を行うのをやめ、そして心を落ち着かせて法を学び、暗記し、書き写し続けました。2017年の初め、自分は突破口を見つけたように感じました。世界法輪大法デーに師父の誕生日への祝辞を明慧ネットに投稿した後、自分の問題がどこにあるのかが分かりました。真に内に向けて探していないこと、確実に修めず真に大法に入ってきていないこと、そして表面的にとどまり、表向きは堂々として体裁がよく、極めて美しい皇帝の新しい服に夢中になっていたということです。その後、夢の中で、自分が深い冰河の底から這い上がり、骨のように冷たい空気を振り払っているのが見ました。私は寒さで身震いをしていたのです。
「九評編集部」が2つの長い社説を発表した後、私はその録音をダウンロードし、絶えず聞いていました。私の思想は絶えず更新され、突破し続けました。2018年初めに見たある夢の中で、私は2つの青い石を見ました。1つは拳ほどの大きさで、もう1つは少し大きくて四角い形をしていました。私がその石を持ち上げると目を覚ましました。私は分かりました。その2つの石は、私の「執着心」であり、切っても切れない情が石になったのです。小さい石は父親の死後に生じた「怨恨心」であり、大きい石は母親が亡くなったときに現れた「恨み」でした。母親が機会を大切にしなかったことに対する恨みであり、母親が修煉に精進していなかったことに対する恨みでした。母親が私に対して、不公平だと感じたことに対する恨みであり、そして、なぜ母親が亡くなったのかに対する恨みです。実際には、これらは自我が打撃を受けた後、心に生じた傷害と動揺に過ぎないことでした。私はそれらを取り除きました。
秋の終わりのある日、私は夢の中で、多くの書類に似たようなものを廃棄していました。最後に母方の祖母の家に私が書いた紙が1枚あることを思い出し、急いで祖母の家に行ってその紙を見つけ、それを四つ折りにした瞬間、厚い書類が突然現れました。私はすぐにそれを焼き捨てて廃棄しようと考えました。しかし、振り向いた時、母方のおじの次女が乱れ髪で敵意をもって私の進路を遮りました。そこで私は正念を発しました。そして5、6歳に変わった彼女を抱き上げながら一緒に叫びました。「邪な悪魔や腐った鬼、立ち去れ!」。私はついに、古い(旧宇宙の)按排から抜け出したのです。「師父が按排してくださった神聖な道を歩むことができるようになった」と理解しました。
私は、もう自分の人心に動かされたり、左右されることはなくなりました。静かに法を学び、修煉をし、周りの人々と物事に対しても穏やかな心理状態で接しています。自分が真に神聖な道を一歩一歩、確実に歩んでいると感じています。今は法を読んだり暗記したりする際、時々、ほどなく涙が溢れ出て、師父の巨大な慈悲と無限のご恩に感激しています。