文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年10月12日】師父は新しい経文『険悪を遠ざけよう』と『大法修煉は厳粛である』の中で、怨恨心について言及されています。最初は、私は師父を恨んだことはないし、経文にあるような人と自分とは関係ないと思っていました。しかし、ここ数日、新しい経文二つを何度も何度も勉強しているうちに、実は私は師父を恨んでいるような人間なのだとだんだん分かってきました。ここで私自身の認識について話しますが、同修たちが新経文に自分自身を照らし、自分の不足を見つけることができればと願っています。
私はずっと、自分自身が人とトラブルに遭うとき、法で量ることが少なく、習慣的に不平不満を抱き、恨みから憎むようになってしまったこともあります。表面的には周りの人や物事を恨んでいるものの、実際には、師父に按排された修煉の道を不満に感じていたのです。深く掘り起こせば、師父を恨んでおり、表現形式の違いだけです。
私たちは皆、慈悲深い師父が弟子たちの大きな罪を背負ってくださっているとわかっています。私たちは、師父がわずかな業力を私たちに残して、私たちの心性を向上させ、天に帰る道を舗装されているとわかっています。私たちが出遭ったトラブルは、師父が私たちにこの世から抜け出せるようにと周到に按排してくださったものです。師父は説法『大法修煉は厳粛である』の中で「このような人は恩に感謝するのではなく、ひたすら執着を掴んで離そうとしません」と説かれました。なのに、私たちはいつも、周りの人に不満を感じ、恨んでしまうのです。
怨恨心は女性同修に多いのです。例えば、姑が憎い、夫が憎い、子供が憎いなど、とにかく恨みがあるのです。しかし、前世と前世以前の自分のことを見てみれば、そのすべてに理由があるのです。
私は、長期にわたる怨恨心を取り除かない修煉者は、やがて師父を恨み、悪魔のような存在にさえなると悟りました。
修煉者は、正しい法理で物事を見ることができず、常人の概念を根本的に変革することができず、常人の目に映る悪いことを、自分の修煉を向上させるために良いこととして見ることができず、人や物事に対する恨みを師父に対する感謝に変えることができなければ、修煉はできません! しかし、修煉して成就できるかどうかは簡単なことではありません。
師父はすでに『大法修煉は厳粛である』の中で「修煉が成就できなかった人、誓約に違反した人、大法に罪を犯した人は、必ず命と引き替えに交わした約束を果たすことになるのです!」と警告してくださいました。
私たちは弟子として、全員が注意を払わなければなりません。