色情への執着を取り除く
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  文/外国の大法弟子

  【明慧日本2023年10月15日】私が23年間の修煉の中で、取り除こうと努力したことがあります。未だに完全には取り除かれていない執着は男女の愛への憧れです。

 私は、幼いころから乙女のような夢を持っており、「素敵な家庭を持ちたい」という願望が常にありました。そんな願望がいつもあるので、頭の中で物語を作ってしまうのでした。今は修煉しているので、この過程は、思想業力を形成することだとわかります。こうした物語を考えていると、心も体も疲れるのです。18歳で法を得る前でも、本心では「この考えは汚れている!」と分かっていました。そのため、クラスメイトのみんなが恋愛小説を読んでいるとき、私はいつも読むことに抵抗がありました。それを読んだら、妄想が更に酷くなることがわかっていたからです。母はいつも、結婚についての伝統的な道徳概念を教えてくれていたので、私たち姉妹の誰も、早くから恋に落ちることはありませんでした。そのため、「考えを空想から解放しより純粋になる方法」をずっと探していたのでした。

 1997年に私は法を得ました。師父はすぐに、私の悪い考えを取り除いでくださいました。突然、私は身軽になり、かつてないほど幸せな気持ちなりました。

 悪党による迫害は、私が20歳のときに始まりました。一般の人の、正常な人生の軌跡は学校で勉強し、卒業し、働き、結婚することですが、迫害の中、中国大陸で修煉の決意を固めた若い大法弟子には、正常な人間社会の軌跡で歩んできた同修はほとんどいませんでした。全てを失いながらも、この試練を乗り越えてきました。1999 年の迫害後の日々の中、それは人間から神への渡る過程でした。当時、私たちの一歩一歩が生死を賭けた試練であり、決断に迷いはありません。真実を明らかにし、迫害に抵抗し、世の人々を救うことに専念していました。自分の人生は完全に大法のものだと感じており、結婚する気もなく、今考えただけでその清らかさに感動しています。しかし、私の修煉状態が良くない時には、まだ愛への憧れが反映しており、それは私の少女時代に頭の中で描いた完璧なイメージでした。

 海外に行った後、私は姉とずっと一緒にいました。迫害が始まった当初、姉は結婚後わずか1カ月で北京に陳情に行き、迫害を受け、強制労働収容所に不法に送られ、結婚生活はそのまま終焉を迎えました。ヨーロッパに住んでいた7年間は、姉と一緒に楽しく煉功し、法を実証し、人々を救い済度してきました。私たちの周りには同年代の若い男性同修がいなかったため、家庭を築くことができず、迫害の最も困難な時期を姉と一緒に経験しました。私たちは修煉の厳しさをよく知っているので、一般の人と親しくなることなど考えもしませんでした。

 また夢の中で、叔父が私に聞きました。「なぜこの年になっても、結婚しないのか」、 私は「自分の好きな人が見つからなかったから、結婚はしない」と答えたのです。自分の色情心は軽いものではなく、とても深刻なもののようです。結婚しないのは、自分が憧れの男性が見つからないからです。目が覚めた後、姉に話しました。

 そして、この色情心を取り除かないと迫害につながります。私が3回目に連行されたのは、長春テレビのインターカット放送後の7月19日でした。私は7カ月にわたる迫害を経験した後、ハンガーストライキで迫害に反対し、私に科そうとしていた裁判の迫害を打ち消しました。その時、明慧ネットの交流文章を読んで、皆が「執着の根源」を探しているのを見て「今度は、自分もよく内に向けて探さなければならない、何があっても再び迫害されるわけにはいかない」と思いました。その時、物事を行おうとする心、自分を実証する心など、多くの執着を見つけることができました。しかし、学法に専念することができておらず、逮捕される前から状態は良くありませんでした。インターカット放送後、長春市は大規模な迫害を受け、周囲の同修も次々と逮捕されました。安全ではなかったので、私ともう1人の同修は、資料拠点の設備とインターカット放送で使用した残りの放送用機材を持って何度か引っ越しをしました。

 当時の私は、恐怖心が強く、身心とも恐怖に包まれ、精神状態もすでに不安定でした。思想に正念がなければ、人間的なものに支配されてしまいます。そのとき、また理想な家庭を持つことを妄想しましたが、現実的にはもう実現できないことです。2000年11月ころから、私たち3人の若い同修は、学習者を組織して法会を開催するという口実で、吉林省に指名手配されていました。仕方なく、身分を隠しながら資料拠点で働くことになりました。思想の中にあるこの執着は、邪悪が私を迫害する口実になっており、大法弟子が法を実証する過程で、この執着を取り除かなければ、必ず基準に達したとは言えないのです。逮捕される前から師父は、すでに自分の思想業力に従わないように教えてくださいました。2003 年に迫害され、解放されてから初めて、この世の男女間の愛に憧れていることが私の根本的な執着だと気づきました。そのときから、この執着心を取り除けないことの深刻さを知りました。

 2016年に渡米したあと、私は現実の愛の試練を本当に経験しました。相手が私に好意を持っていると錯覚しました。結局はそうではなかったのです。私は長い間、その痛みと闘っていました。愛に突き動かされた内心の痛みは、修煉者の意志を破壊するのに十分でした。そして、妹は私に冗談を言いました。「お姉ちゃん、経典的な広告スローガンであなたの経験を説明できますか」、「『始まったの?』、 答えは『終わった』」。そして妹はユーモアな言い方で「実際にはとても小さなことだから、気にしなくていいよ」と言おうとしていました。妹の言葉を思い出すと、その事はどうでもいいような気もするのですが、時々、言いようのない悲しみが襲ってきました。まだ始まってもいないこの恋の試練が、こんなにも長くかかってしまうとは、また、愛の殺傷力がこれほどにも強いということが分かりました。最終的に、私は法を暗記することで、この厳しい試練を乗り越えたことを「2018年メディア法会」で交流しました。

 どのようにして、感情への執着を取り除いたかというと、第一にこの感情を自分自身だと思わないこと、第二に大法を多く勉強しより集中して学ぶことです。もう一つの経験は、修煉者は常人のテレビドラマを見てはいけないということです。実際、これらの悪い思想は、いかがわしい思想だけでなく、あらゆる悪い思想は、すべて法を学ぶことに十分に集中していないとき、または形式的に正念を発したときに現れます。

 師父は、説法『各地での説法十一』の中で、「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」「特に法の勉強のとき、皆さんは必ず真剣に勉強しなければなりません。ご存知のように、法の勉強において、多くの地区でいくつかの問題が現れました。どういう問題でしょうか? 一部の地区は形式的になってしまいました。『轉法輪』を読むとき、考えが集中しておらず、ほかの事を考えてしまい、修煉に専念することができない人がいます。これは時間を浪費しているのに等しいのです。時間の浪費だけでなく、本来向上すべきところですが、考えるべきではない問題や事を考えてしまい、向上どころか、下降してしまいました。法をしっかり勉強できなければ、多くのことをしっかり行うことができません」と、このように警告されています。

 ある日、私は『轉法輪』第六講の「煉功して魔を招く」まで暗唱し、ちょうど武漢の30歳の青年がどのようにして、色情の関を乗り越えたかについての節を学んでいたとき、ふとこの点に関して悪い考えを抱き、「あの青年と同じように扱うこともできる」と気づきました。その後、思想に悪い考えが浮かんだときは、師父の説法『轉法輪』「僕は普通の人ではない。煉功者だ。法輪大法を修煉している僕にはこんなことをしないでほしい」を暗唱します。通常、数回暗唱すると悪い考えは消えますが、強い反応がある場合はさらに数回暗唱しています。

 私たち一人一人に試練は訪れますが、実はそれは若者に限らず、年齢に関係もないのです。それは、人心があるなら誰でも試練に遭遇するものです。大法を修煉しても家庭を築くことができますが、もしかしたら師父が私たちの因縁の運命を按排してくださったのかもしれません。おそらく多くは試練であり、執着を取り除く過程なのかもしれません。私の経験では、現実には存在しないものを、頭の中で考えず、考えが現れたときには拒否し、できるだけ淡泊でいようとします。師父と大法がここにおられますので、私たちが修煉する限り、これらの難関は最終的には乗り越えられます。過程でうまくいくかどうかに関係なく、消極的ではなく、ただ堅実に修煉し、真実を明らかにし、人々を済度していきます。今、私たちは本当に大きな危機に直面しており、常人は混乱した世の中で、救われるのを待っています。常人のロマンを感じる暇はなく、色情の関は人間から神への最初の壁であり、最終的には取り除かれなければなりません。

 私が中国にいたころ、出国する前に同修のおばさんは、ずっと私に別の同修の息子を紹介したかったのです。その時は、すでに私は中国を離れることを決意していたため、同意することができませんでした。あの日、私は同修の家に向かう途中でこのことを考えていました。その後もその事を考え続け、突然何かが間違っていることに気づき、しかしすでに拒否することもできなくなりました。ちょうどそのころ、私は同修の家に到着しました。同修がドアを開けてくれて私が部屋に入ると、強力な気功のエネルギーが私を覆い、悪い考えはすべて即座に消えました。同修の家で、十数人の修煉者が獄中の大法弟子に正念を発しているのが見えました。私の思想が正しくないため、気功の力が自分の方に向けられました。今回の修煉体験は、すべての執着が実在の物質であり、大法の威力と発正念の力がそれを解体できることを悟りました。

 個人的な理解ですので、間違っている場合はご指摘ください。師父の慈悲深い救いと、これまでの慈悲深い保護に感謝いたします!

 合掌

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/10/2/466655.html)
 
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