文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2023年10月22日】私は1999年3月に法輪大法を学び始め、今年で56歳になります。これまでの人生を振り返ってみると、かつて、苦しい思いをしていた自分にようやく幸せがやってきたと改めて感じました。
一、人を為すことの困難
私は18歳で結婚しました。夫の家族は私たちの結婚に反対し、私に非常に厳しい態度を取りました。私は19歳で最初の娘を出産し、家庭が困難だったため、夫は仕事に没頭しました。私が子供を生んだ後、義理の姉が10日間、食事を作ってくれましたが、その間、姑は2人の義妹とともに、私と対立しました。その結果、出産10日後から、私は自ら料理を作り、洗濯をしなければならない状況になりました。
私は3人の娘を連続して出産したのですが、三女を妊娠していたとき、姑は私たちを家から追い出しました。その時、私たちの家は建設途中で、大ざっぱな枠組みしかなく、とても住める状況ではありませんでした。仕方なく、麻袋を縫ってドアの代わりにしました。当時は、電気もなければ、井戸を掘ってもらうお金もなく、妊娠6カ月の私は、姑の家まで行き、そこの井戸で自ら水くみをしなければなりませんでした。夏にはお米を買うお金もなく、1カ月近く豆を食べて凌いでいました。
私は遺伝性の心臓病を患っており、結婚前に4回失神し、長時間立っていると失神していました。また、リウマチ性の頭痛もあり、少しの風が吹いただけでも頭痛がして、さらにめまいなどを伴うので、身体はひどい状態でした。その後、私と3人の子供たちがガス中毒になり、後遺症で子供たちも頻繁に頭痛に悩まされました。
また、首に卵大の膨らみができ、病院で検査をしてもらったところ、甲状腺嚢胞であると言われました。冬になると息苦しくなり、家事の合間に何度も休まなければなりません。胃の不調もあり、生理のたびに骨盤が下に下がって痛くて仕方がありませんでした。
夫はお酒を飲み過ぎると私に暴力を振るうので、私も復讐心が芽生え、一日中麻雀をしたり、踊ったり、お酒を飲んだりとして、死んでもいいと思っていました。
そしてある日、ふとこのような生き方をしてはいけないと思い、こんな思いに駆られたとき、偶然にも『轉法輪』という貴重な本を手に入れたのです。
二、法を得る
毎年夏になると、食糧を切らしてしまいます。1999年の夏、私たちはお金を借りてお米を買いましたが、お米は数日後に届く予定だったので、それまでは親戚から少し米を借りようと考えました。しかし、自分の親戚も夏になると同じように食糧不足に陥るのです、当時の私はこのことを知っていながらもその家へ向かいました。
その時、彼女は法輪功を3カ月間学んでいました。彼女の家に入った瞬間、蓮の花に座っている師父の法像が目に飛び込んできたのです。その後、彼女から渡された『轉法輪』を手に取ったとき、この本を読みたくなりました。
親戚から貴重な本を借りた私は3日間で一通り読み終えました。
それ以来、ずっと修煉を堅持しています。「7.20」の迫害や邪悪による誹謗中傷など一度も信じたことがありません。なぜなら、私は自分が佛法を修煉しているのだとはっきり認識しているからです。
三、生まれ変わる
修煉して以来、すべての病が消えました。首にあった腫瘍もいつの間にかなくなっていたのです。
夫の家族や姑に対する怨恨心もなくなりました。姑は末っ子と一緒に住んでおり、義弟はお金の節約のため、真冬でも石炭を燃やしませんでした。ある大雪の日、姑は寒すぎて夫に電話をしてきました。私たちが駆け付けたころ、姑(80代)の手足はすっかり冷えており、私たちを見て、姑は泣き出しました。夫と相談して姑を家に連れて帰り、温かい布団で寝かせました。春になり、姑は実家に帰りました。
姑が亡くなった後、義弟一家は市内に引っ越しました。私は、毎年夫の兄妹たちがお墓参りに戻ってきたとき、たくさんのごちそうを作って、皆を迎えています。
昔、夫の兄弟たちは私たちをよく思っていませんでした。私が2回も北京へ陳情に行った為、1年間不当に労働教養をさせられ、夫は私を取り戻すために6千人民元(約12万円)を借りました。私が帰宅した時、家計は多額の借金で圧迫していました。夫の2番目の叔父は1万人民元を貸してくれたのですが、いつ返せるかと取り立ててきました。義妹は非常にけちな人で、昔、小型車を新しく購入したものの、壊されるのを恐れて夫に運転させませんでした。
しかし今は、皆私の誠実な言動に感動しています。毎年実家に帰ってくるときは、いつもお土産を買ってきてくれて、私の誕生日も祝ってくれます。
家族も大法の恩恵を受けています。私は大法のすばらしさを村のみんなに伝え、家に資料拠点を立ち上げました。
最初は、法輪功が迫害されている真相を伝えることを恐れていました。明慧ネットで迫害の惨状を読んで怖気づいたのです。しかし、後で自分に問いかけました。大淘汰が訪れ、街中の死体を見て、私は彼らに真相を伝えましたか? 答えは「いいえ」です。如来佛は衆生を救うために自分を犠牲にしても厭わないのに、私はなぜできないのかと考えました。私は村の人々を救わなければなりません。たとえ自分の命を犠牲にしても、それは価値があることです。ここまで思うと恐怖心が徐々に薄まりました。
夫は5、6年前の正月のある日、屋根に上って雪かきをしている際に、滑って転落しました。これを目撃した私は慌てて夫に駆け寄り「大丈夫、大丈夫。早く『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と唱えて」と言いました。夫は顔色が真っ青になりながらも、自分で立ち上がりました。病院に行って検査してもらったところ、脊椎の第3節と第4節の間が、衝撃で少し縮んだくらいで、普通に仕事ができるようになりました。
後になって、夫は当時のことを話してくれました。屋根から転落した瞬間、庭の地面に消防署が良く使うジャンプバッグ(空気式救助マット)が敷かれているのが見えたそうです。自分はその上に落ちたといいます。これを聞いて、師父が夫の命を助けてくださったのだと悟りました。
後に、夫は羊を飼うことで羊から伝染病に感染し『轉法輪』を1回読んで、その後400人民元の注射を打っただけで奇跡的に回復しました。村内のある村民は同じウイルスに感染しましたが、あれこれ3万人民元近くの治療費を払っても、まだ完全に回復していません。
子どもたちも大法から恩恵を受けています。3人の娘の夫やその家族は善良な人ばかりで、皆裕福な暮らしをしており、身体も健康です。私にとって娘たちが幸せに暮らすことができればそれで充分です。
私は今年で56歳になりますが、毎日車を運転して小さな商売をやっています。かつて(赤貧洗うが如し:きわめて貧しく、洗い流したように何もないさま)のような生活を送り、莫大な負債を背負っていた私は、今では立派にリフォームした家と車を持ち、小さいながらも商売をして貯金もできるようになりました。すべては大法が与えてくださり、師父が授けてくださった新たな人生です。