文/中国の大法弟子(本人が口述 同修より整理)
【明慧日本2023年10月30日】1993年、私は非常に幸運に、師父の開催された「法輪功学習講座」に参加しました。修煉を始めてから、私は健康になり、道徳が向上しました。仕事にはコツコツと取り組み、さらに職場では技術指導に当たる働き手でした。
江沢民集団が1999年に大法を迫害し始めた後、私は2000年に北京に陳情に訪れましたが、非合法に1年以上強制的に労働教養を受けました。解放されて帰宅した後、私は職場に行こうとしましたが、職場のトップらは、「転向しない限り、『610弁公室』の人が出勤を『許可』しないので、労働をさせることができない」と言いました。そして、私は仕事を失い、生活費の出所がなくなりました。生活が困難になり、仕方なく親戚のいる別の都市に行き、働きました。しかし収入は支出をまかなうのに足りず、ほとんど親戚の支援に頼っていました。
2009年、私は再び非合法に連行されました。私は野蛮に灌食されて、生命が危機に瀕していましたが、当局はやはり私を強制的に労働教養所に送りました。しかし、労働教養所が受け入れを拒否したため、私は家に帰ることができました。
帰宅後、私は肺膿瘍を発症し、大量の喀血があり、親戚に病院に送られた時点では、すでに水も飲めないほどでした。私は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えました。そして、やっと一口の水を飲むことができました。医師は私のレントゲン写真を見て、「肺がんだ」と言いました。病院に数日間しか入院しませんでしたが、2万元以上の医療費がかかりました。お金がなかったため、小さな病院に転院しました。同修たちも私を助けに来てくれました。私は法を多く学び、煉功を多く行いました。師父の慈悲なる加護の下、私は回復しました。
2019年、迫害を避けると同時に、親戚の生活負担を軽減したいという思いから、私はわずかな荷物を持って、親戚の住む都市を離れました。元々はB地に行く予定でしたが、途中で身分証明書の検査がありました。私は身分証明書を持っていなかったため、運転手と相談の末、A地の高速道路のサービスエリアで降りることになりました。
その時、私は未知の都市におり、身分証明書もお金もあまり持っておらず(わずかなお金しか持っていませんでした)、住む場所もなく、ノートパソコンが壊れていたため、家族とも連絡が取れなくなっていました。さらに3年に及ぶ疫病の中で私はこのような状況にあり、絶望のなか、路頭にまよいました。しかし、最終的に師父の慈悲深い保護の下、さまざまな困難を乗り越えることができました。
以下はこの期間中の私の生活体験となります。師父の慈悲深い保護に感謝します。
一、一歩引き下がれば世界が広々と開ける
私はA地の海岸で半月間を過ごしました。そこで、一人の漁師に出会い、法輪大法の素晴らしさを伝えました。彼は私に同情し、私が住む場所がないことを見て、彼の小さな仮設住居を借してくれました。家賃は1日10元でした。私は20元を支払いました。これで私はやっと住む場所を持つことができました。冬が近づいていたため、慈悲深い師父は私に身を寄せる場所を探してくださいました。さもなければどうしようもなかったのです。
その家は非常にシンプルで、電気も水道もありませんでした。最後に残った200元で電気ハンダごてと電解コンデンサを買いました。インバーターを一つ拾いましたが、それをバッテリカーに接続して、自家発電しました。大法の煉功音楽が小さなスピーカーから流れた時、私は感動して涙がこぼれ、本当に心から師父に感謝しました。
身を寄せるところが見つかったので、やっと心を静めて学法できるようになりました。ある日、法を学んでいましたが、特に集中して心が非常に静かでした。食事を忘れて、本を読み続けると、私の周りの食器が突然跳ね上がりました。私は目をこすり、よく見ましたが、まだ跳ねていました。その瞬間、師父が私に食事の時間だと知らせてくださっていると悟りました。私は外に出て食べものを探しました。道路脇に誰かが捨てた大きな箱に、たくさんの死んだカニが入っていました。感染症が流行する間、海産物にウイルスが含まれると言われていたため、多くの人々は海産物を食べるのを避けていました。私は袋を見つけて、そのカニを持ち帰りました。それらのカニを2日間食べました。常に弟子を保護してくださる師父に感謝しました。
真相を伝える際、誰かが私に、大きな石の上に「海闊天空」と書かれていると教えてくれました。その時、私は本当に「一歩引き下がれば世界が広々と開ける」感覚を味わいました。執着を放下すると、新たな展望が広がることを感じ、まるで新しい世界に足を踏み入れたかのような素晴らしさを感じました。
二、軽舟已に過ぐ 万重の山
2020年3月のある日、家主が私に「健康コード」の手続きをするように言いました。私はそれを断り、解決策を考えるために、3日間の時間をもらいました。悲しかった私は初めて、小さな森で「師父、助けてください!」と叫びました。
以前、家主は私の住んでいる家から遠くない所に、同じく法輪大法を修めている人が住む、小さな家があると言っていました。しかし、私が7カ月間住んでいても、その人に一度も会ったことがありませんでした。私が師父に助けを求めた翌日、その同修の家の畑で誰かが作業をしているのが見え、その人に話しかけました。その人は同修の夫で、彼も大法を学んだことがありました。私は自分の状況を説明しました。彼は「それなら、この古びた家でよければ住んでください」と言いました。
私はその小さな家に引っ越しました。家をみると本当に古びており、窓はなく、ビニールで覆われ、ドアも閉まらないほどでした。しかし、幸いに天気は暖かくなっていましたし、何よりも地元の同修と連絡を取り合えたことが嬉しかったです。同修はたくさんの食べ物や生活用品、携帯電話など、多くの物品を持ってきてくれました。特に修煉の面で大いに助けてくれました。その間、無償で助けてくれた同修たちにここで感謝致します。
この4年間、私はほとんどの場合、無料のWi-Fiを使用してインターネットにアクセスしていました。一部のWi-Fiはパスワードで保護されていましたが、私がパスワードを推測して入力すると、本当に接続することができました。師父は弟子を常に見守ってくださっていました。それは本当に不思議でした。修煉しない常人なら、修煉の超常さと神聖さを永遠に理解できないでしょう。
私は明慧ネットで師父の新しい経文や同修たちが書いた修煉体験を読み、世界中の正法の進展を知り、正法の進展に遅れないようにしました。後で、同修からノートパソコンをもらいました。祝日を祝う時は、師父のため祝賀カードを作り、新唐人テレビを受信するための受信機をセッティングして、新唐人テレビを視聴することができ、旧正月には神韻ショーを鑑賞しました。
生活面では、自分で畑を耕す方法を学び、サツマイモ、ピーナッツ、トウモロコシなどを育てました。普段はゴミを拾って、自転車で運び、それから食べられるもの、燃やせるもの、日常生活に使えるもの、肥料にできるものに分類しました。とにかく拾ったものはすべて使えましたが、主な目的は食事の問題を解決することでした。
以前使っていた鍋が壊れてしまい、ご飯が炊けませんでした。ある日、私は涂料が入っていたとみられるバケツを拾いました。炊飯器の内鍋を使ってご飯を炊きましたが、米にバケツから塗料がしみ込み、食事の後、全身が腫れ上がり、黄色い水のようなものが出ました。
私は師父の説法の一節を思い出しました。それを探して、詳しく読みました。師父はこう説かれていました。 「近代科学が作り出した工業は人類の生存環境をひどく破壊しており、これは確かなことです。排気ガスの破壊で南極上空にホールが現れたのではなく、人間が神を破壊することはできません。なぜ、工業が発達しているヨーロッパにホールが現れなかったのでしょうか? なぜ、人間が生息していない南極に現れたのでしょうか? 神は、地球上に排気ガスや毒ガスが多くなり過ぎたのを見て、自ら窓を開け、排気ガスを外に出してからまた閉めるからです。全く現在の科学が認識しているようなことではありません」『スイス法会での説法』
この部分の法を読んだ時、私は自信を持ちました。これは体内の毒素を排除するためだと思いました。しかし、どうやって乗り越えるべきかがわかりませんでした。その2年間、集団学法の環境を失い、煉功も少なく、煉功するにしても、心は静かではなかったのです。そこで、学法と煉功を強化しました。私は静功を3時間行いました。とてもよい感覚で、身体が温かくなりました。ただれ、膿包、黄色い液体の流出などの症状が次第に改善されました。その後、煉功時間を増やしたら、すべての症状が消えました。師父は再び弟子を助けて困難を乗り越えさせてくださいました。師父の慈悲なる保護の恩に感謝致します。
(続く)
(編集責任者:ウ悦)