路頭に迷う中 師父の慈悲と偉大さを目の当たりにする(二)
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子(本人が口述 同修より整理)(前文に続く)

 【明慧日本語2023年10月31日】その間、私はまたある同修の年老いた両親の世話をしたことがあります。同修の父親は転んで脚を怪我し、ベッドから降りられなくなり、長時間ベッドにいて、排便もできませんでした。そして、同修の父親は苦しみで、気分が悪く、結果としてイライラして、私をつねったり、罵ったりしました。私は彼を楽しませるため、一緒にゲームをしたりしました。一度、彼が重度の便秘になったとき、私はいくつかの補助具を使って彼を助けました。その後、彼にベッドから降りて、トイレに行くように励ましました。彼は同意しました。私は彼の身体を支えてトイレに行くのを助けましたが、30分が過ぎても、まだ排便できず、彼の家族はあきらめようとしました。しかし、私は「もう少し頑張ってみましょう」と言いました。それから、1時間待つと、最終的に、老人は排便に成功し、家族全員が喜びました。

 しかし、ある日、状況がたいへんひどくなりました。同修の母親が心臓発作を起こし、二人の老人の状態は楽観視できなかったため、私は大きなプレッシャーを感じました。ゴミを捨てる際、私は師父に助けを求めました。私は報酬を求めず、無償で老人の世話をし、名誉と利益を捨て、ただ同修の両親の運命を師父に託すことを望みました。慈悲深い師父が老人たちを救ってくださることを望んでいました。家に戻ってみると、老夫婦は楽しげに会話をしていました。その危険な状況は師父によって解決されました。

 半月後、老夫婦の生活が安定してきたので、私は同修に帰りたいと伝えました。同修は私が去ることを望みませんでしたが、私は自分の道を歩みたかったのです。以前、同修に対して私はただ手伝うだけだと言いましたが、同修は私の小さなバッグに1,000元をこっそり入れてくれました。私は自分の約束を守るべきで、約束を破るべきではないと考え、そのお金を寄付しました。大法の師父の教えがなければ、私にとってこれは不可能だったでしょう。現代社会において、自己の利益を最優先しない常人がいるでしょうか。

 その間、また不思議なことが発生しました。同修が、私に滞在を3日間延ばしてほしいと言いました。その間、以前の家主の野菜畑に毒物を散布した事件が発生し、私は全ての疑惑から回避することができました。

 ある同修の母親は一晩中寝ずにいて、同修の介護が必要でした。それで同修に多大な負担をかけていました。その同修は私に助けを求めました。私は同修の母親を自分の親と同じように扱い、毎日新鮮な野菜を買ってきてあげました。同修の母親はお金のことについて言及しませんでした。ある日、私が野菜を持って道路を歩いていると、側を歩いている人がいたので、その人に話しかけ、大法の素晴らしさを伝えました。その人は、「ご飯を食べるお金もない」と訴え、「10元をください」、と言いました。私は即座にお金を差しあげました。するとその日、同修の母親の家での仕事を終えて帰る準備をしていたとき、同修の母親が私に10元をくれました。

 私は海岸に行きました。心持ちは高ぶっていました。苦難はこの瞬間に非常に小さく感じられ、法の威力と不思議さを実感しました。

 私はいつもリサイクルセンターに行き、拾った物を売っていました。ある日、リサイクルセンターで大法の書籍や経文、神韻のDVD、『共産党についての九つの論評』、『明慧週刊』などの資料を見つけました。衆生が大法に対して罪を犯さないように、私はこれらの資料を買うことに決めました。重量を計ったところ、165元必要でしたが、私はそれほどお金を持っていませんでした。ちょうど、真相を知っている人に出会いました。彼に状況を説明したら、100元を貸してくれました。私は自分の財布から65元を取り出し、それらの資料を購入しました。資料が多かったため、一度に持ち帰れなかったのです。そして、翌日もう一度リサイクルセンターに取りに行きました。

 この期間中、私は多くの善良な人々と出会いました。普段から彼らをよく手伝いました。彼らがお金をくれたら、もらうし、お金をくれない場合でも、私は気にしませんでした。値段交渉をせず、彼らとは非常に良好な関係を築いていました。彼らも私を多く助けてくれました。警察が「ここに法輪功を練習している人はいますか?」とか、「身分証明書を持っていない人はいますか?」と尋ねてきたとき、彼らは私を守ってくれました。「知りません」と言い返したのです。私は彼らに非常に感謝しました。彼らは自分のために、美しい未来を選びました。

 ある日、窓の外で煙が立ち込め、話す声が聞こえました。外に出てみると、以前の家主の家の隣が燃えていました。私は急いで助けに行き、最初はほうきで叩いてみましたが、まったく役に立たず、しかも前に近寄ることもできませんでした。私は大声で師父に助けを求め、心からの九文字を唱えました。後にシャベルで土をかけ、最終的には師父の保護の下で、火を鎮めることができ、家主の小さな家を守りました。

 三、大法を修めることは非常に幸せなこと

 ある日の夕方、5時ごろ、私は自転車で家に帰っていました。途中で、橋の坂道を登っていると、前方に一人の女性が三輪車を必死に推しているのが見えました。その三輪車には荷物がいっぱい積まれていました。私は何も言わず、後から三輪車を推しはじめました。すると、彼女は私の自転車に乗り、平然と私に速く推してと言いました。途中で私はその女性に水と食べ物を買ってあげました。彼女は少しも遠慮することはありませんでした。ただ「これらのものが私を救った」と言いました。その後、私は彼女に大法の素晴らしさを伝えました。

 こうして、彼女は私の自転車に乗り、私は彼女の三輪車を推しました。私の服は汗でびしょ濡れになり、大変疲れました。私はただ心の中で法を暗唱していました。道のりの長さを全く知りませんでした。3時間以上かけて、やっと彼女の目的地に到着しました。彼女は、私が彼女を助けて推した距離は全体の3分の1であると言いました。彼女がどれほど苦労しているかが分かりました。常人も生活のために、たくさんの苦をなめなければなりません。帰宅したのは夜11時でした。道中、私は純粋に大法の素晴らしさと大法弟子の善良を縁ある人々に伝えたいと思っていました。

 2022年12月、感染症の拡大が深刻だったとき、隣近所の人も感染しました。以前、近所の彼に真相を伝えていたため、彼は私が法輪功を修煉していることを知っていました。彼は私の家にやって来て、「とても苦しいんだ。ここで寝てもいいか?」と尋ねました。私は「いいですよ」と答えました。彼の休息を妨げないように、私も一緒に寝ることにしました。

 しばらく経つと、私は調子が悪くなり、起き上がって静功を2時間行いました。体が温まると、再び寝ました。翌朝、彼に調子はどうかと尋ねると、彼は「良くなったよ」と答えました。彼は大法の威力を感じ、それ以来、さらに大法を認めるようになりました。

 真相を伝える中で、もう一人の同修に出会いました。その同修は生活上、私を大きく助けてくれました。また私を集団学法グループに連れて行ってくれました。初めて集団学法に参加した時、まるで長く会えなかった故郷の家族に再会したようで、これらの出来事を経験しなければ、当時の私の気持ちを理解できないでしょう。

 その一年の間、私はよく「好幸福(とても幸せ)」という名の小さな店の前を通りました。その場所に着く度に、いつも「私もとても幸せだ!」と感じました。『西遊記』にはこういう言葉があります。非常に意味深い一文です。「夫(そ)れ人身は得難く、中国で生まれ難く、正法に巡り合い難い。この三者を全て得られるなら、これより大なる幸運なし」と。私はそのうちの一人であり、しかも宇宙大法を修煉しています。どうして幸せでないわけがあるでしょうか。魔難をたくさん経験しましたが、私は毎日うれしくてにこにこしています。

 2023年に入ると、それらの同修たちは皆、私に、家に戻り正々堂々と身分証明書を作り、家に帰るように勧めてくれました。特に、師父が新年の前に、全人類に向けて「なぜ人類が存在するのか」を発表された直後、私も帰るべきだと感じました。機縁がもう到来しました。師父の慈悲なる按排の下、親戚が私を迎えに来てくれることが決まりました。私たちは、お互いに、相手が何処にいるか分からない状況で、親戚は初めての見知らぬ街に来て、3時間もかからず私を無事に見つけてくれました。予定よりもとても速かったのです。

 師父について修煉し、ちょうど30年が経ちました。師父の保護の下、今日までたくさんの生死の危機を乗り越えてきました。私は師父が私のために多くのことを按排してくださったことを知っています。師父に感謝致します! 私は師父の大きな慈悲と無限の知慧を体験しました! 師父の慈悲深い救い済度に対する感謝の気持ちを人間の言葉で表現することはできません!

 最後に、師父の説法をもって、同修たちと励まし合いたいと思います。「天地開闢以来、宇宙で法を正すという洪大な天象はありませんでした。大法弟子もいません。師父がこの栄光を切り開き、皆さんをこの歴史時期に導いたのです。自分自身をしっかり修め、衆生を救い済度するなか、思う存分活躍しましょう。さらに良く行ないましょう!『各地での説法十五』、「二〇一九年ニューヨーク法会での説法」

 (完)

 (編集責任者:ウ悦)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/10/23/464014.html)
 
関連文章