文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年11月2日】人々は往々にして不幸に見舞われやすいものです。さまざまな程度の差はあれ、痛みに耐えたり、無力感を感じたり、死を恐れたりすることがあります。それらから解放される秘訣はあるのでしょうか? 法輪大法は深遠なる普遍的な法であり、法輪大法を信じる人々は福報を得ます。私が経験した体験談から皆さんにヒントを与えることができれば幸いです。
大法の奇跡的な健康効果
私の母は、1998年1月から法輪大法の修煉を始めました。彼女は文盲でしたが、大法のおかげで短期間で読み書きできる知恵が得られました。彼女の健康状態に加えて、彼女の短気な性格も改善されました。
1998年私が27歳のとき、法輪大法の主著である『轉法輪』を母と一緒に読みました。私は、母が大法を修煉することによって体験した奇跡を見ましたが、私はその深い意味を理解していませんでした。また、当時私には幼い子供がいて、家族を養うために一生懸命働かなければならなかったので、修煉は続かず、あっという間に10年以上が過ぎてしまいました。
2011年、私は原因不明の腹痛に悩まされました。痛みがひどかったので仕事を休まなければなりませんでした。町中のすべての病院に行きましたが、医師たちは原因を突き止めることができませんでした。夫は、「北京か遼寧省の省都瀋陽の大病院を受診してはどうか」と提案してくれました。しかしその時、母と一緒に『轉法輪』を初めて読んでから13年経っていましたが、どういうわけか「法輪大法」を思い出したのです。
私は2011年7月に「法輪大法」を修煉し始めました。それから間もなくして、胃痛や、頭痛、五十肩、頚椎炎などの慢性症状がすべて消えました。すべての病気から解放され本当に嬉しかったです。
生と死の試練
私は、「人々に大法の素晴らしさを伝え、人々も大法の恩恵を受けられるようにしたい」と考えていました。私は法輪大法に関する情報資料を配布したとして連行されました。私のせいで母が巻き込まれたのです。私が釈放された後、母は不法に連行され、懲役刑を言い渡されました。
母の連行は、私にとって大きな打撃でした。家族への愛情と人間の観念のせいで、私は法の勉強と煉功を怠けてしまったのです。人々と接するときも、私は普通の人として行動し、真・善・忍の基準に従って行動しなくなりました。
2020年の冬、私の左手の指4本が突然紫色になり、徐々に萎縮が始まりました。あまりの痛みに、包丁を握ることもできず、野菜を切ることができなくなったため、食堂のバイトを辞めました。痛みのせいで眠れませんでした。夫が別の都市での仕事から帰宅して直ぐに、私を病院に連れて行きました。高血糖と診断され、入院することになりました。
病院ではとてもイライラして悲しくなりました。家に帰って夫に、「病院では治せないので、もう一度法輪大法を修煉したほうが良いのではと思っています」と言いました。その瞬間、私はめまいを感じ、周りのすべてが回転し始めました。とても弱っていたので起き上がれませんでした。私は「先生、助けてください!」と叫びました。
地元の病院の医師は私に何もしてくれず、市立病院に緊急搬送されました。左腕に鎖骨下動脈狭窄症があることが判明しました。私の家族は、北京でステントを入れる手術をしてくれる専門家を見つけました。
翌日、医師が私を診察したとき、彼は「指は4本とも大丈夫で、壊死もありません。手術前の症状から判断すると、指を救える可能性はとても低かったのです」と言いました。師父が私を守って下さったのだと分かりました。
手術後、中国でよく使われる血液を活性化する薬を服用したため、生理のような出血が起こりました。7日後に家に帰ったとき、出血が止まらなくなり、大きな血の塊があることに気づきました。吐き気がして顔色も悪く、貧血の症状もありました。私が母子保健病院に入院したとき、医師は夫を脇に連れて行き、個人的に話をしてくれました。夫の表情から何か悪いことが起こっていると感じました。後で知ったのですが、病院は、私の症状が深刻なため、私を治療するリスクを負うことはできず、夫に「最悪の事態に備えるように」と言ったのでした。
夫はすぐに、私を市立病院に連れて行きました。医師は、子宮に大きな腫瘍と腹部に液体があり、血糖値が高いと言いました。7日後、私は開腹手術を受け、子供の頭ほどの大きさの腫瘍を摘出しました。手術後、2回の化学療法と1回の放射線療法を受けました。私は最初は化学療法を拒否しましたが、夫は主張しました。「このまま死ねば後々後悔するだろう」と。彼は春に父親を癌で亡くしたばかりでした。そして冬には非常に深刻な状態に陥りました。彼は、倒れそうになりながら密かに涙をぬぐっていたのです。私は治療に同意しました。
2回目の化学療法の後、髪の毛がすべて抜け落ち、全身が痛くなりました。皮膚がとても痛くて、軽く触れただけでも顔をしかめて涙が出そうになりました。昼も夜も眠れず、家の中を行ったり来たりするだけでした。私の苦しみは言葉では言い表せません。
大法を煉功して回復する
私の義理の両親や近所の人たちは、さまざまな種類の癌を患っていましたが、現代医学では彼らを救うことはできませんでした。そして私は、「病院で治療を受けない! 法輪大法を修煉したい!」と思いました。私が大法を熱心に修煉する限り、師父は私の面倒を見て下さるからです。
2021年1月6日に夫に決意を伝えました。夫は「治療しないと治らないよ」と力なく泣きました。「私はどんな経費がかかっても喜んで使います。あなたのため、家族のために一縷(いちる)の望みを与えてください」と夫は言いました。彼の気持ちは分かりましたが、私の病気は不治の病であり、私を救えるのは大法だけであることも分かっていました。夫も最終的には同意してくれ、「それはギャンブルです。最後にもう一度このチャンスをつかみましょう」と言いました。私は修煉者としての高い基準を自分自身に持ちたかったのです。そして私は「家に帰ってから私がご飯を作ります」と言いました。彼は私ができるとは思っていませんでしたが、私は信じました。
2月2日、私は数人の同修を自宅での夕食に招待しました。夫を含めて8人でした。料理はすべて私が作りました。テーブルで、新しい修煉者が夫に自分の話をしてくれました。
彼はこう言いました、「私は大法の煉功を始める前は、ほとんど目が見えませんでした。家族のお金を全部使いましたが、病院では目の病気を治すことができませんでした。大法のおかげで視力が回復しました。法輪大法はとても素晴らしいです。心配する必要はありません」
80歳近い老夫婦を含む同修たちが、毎日午後から私の家に来てくれました。そして、学法して修煉体験を共有しました。私たちはより良い人間になる方法について話し合いました。私は数年間修煉を怠っていたことを彼らに話しました。そして、相続のことで義母と喧嘩し、私と義妹の間の金銭問題をめぐる悪い感情が消えてないことも話しました。
私が病気になっている間、母はまだ刑務所にいました。私は、大法を実証し、悪いものを良いものに変えようと決心しました! 私は共産主義政権のプロパガンダに毒されて法輪大法を信じなかった人々に、大法がどれほど奇跡的であるかを実証したかったのです。私の人生も終わりに近づいていたので、落ち着いてすべてを放下することができたのです。私はこれまで、私を傷つけた人たちも含めて、すべての人に親切にして、深い思いやりを持って接することにしました。
昼は法を学び、夜は煉功しました。私は84坪の家をいつも清潔に整頓しておきました。徐々に体力も戻ってきて、私の顔はバラ色になり、肌は輝き髪も生えてきました。
親戚、友人、近所の人たちは私の変化に驚きました。義理の兄弟の一人は、私のことを「素晴らしい!」と言ってくれました。私の義理の両親の家族も私を見て、中国共産党(CCP)が捏造した嘘が暴かれました。私の義理の祖父は長年中国共産党員だったのですが、党を辞めることにも同意しました。
近所の人は私にこう言いました。「正直言って、私たちはあなたの命はあと数日だと思っていました。こんな奇跡が起こるとは誰も予想していませんでした。法輪大法は本当に奇跡です」
夫が協力的になる
私の母は信仰により不法に懲役刑を受けていたため、家族は夫を説得して私に大法を放棄させようとしました。夫はかつて私に、大法を修煉するか離婚するかの選択をするよう一週間有余を与えました。私は法輪大法を修煉することを選択すると彼に言いました。私が真剣であるのを見て、彼は折れて議論をやめました。しかし、彼はまだ大法を信じていませんでした。
しかし、私が法輪大法を修煉して回復するのを見て以来、夫はとても協力的になりました。彼は私の命を救ってくれた師父に心から感謝しています。彼は外で働くことが多いのですが、いつも電話で私に法を学び、煉功し、正念を発するよう念を押してくれます。私の修煉を妨げないように、必要なときは電話の会話を短くしてくれます。
夫、友人、そして私自身を代表して、改めて李洪志師父に深い感謝の意を表したいと思います。