「選択」についての悟り
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文/中国大法弟子  

 【明慧日本2023年11月26日】師父は『二〇一三年米国西部国際法会での説法』の中に、「人間の考えはどこから来たのでしょうか? 極めて複雑です」と書いてあります。

 それでは、人間になす術がないのでしょうか? あります。どういう方法なのでしょうか? 表面の脳と主元神は、表面に現れてくる考えを組み立てる主動性を持っています。行動を司ることも含まれていますが、考えが現れてくる前に、何を選択するのかが非常に重要なのです」と説かれました。

 大法弟子として、何か問題が起きたとき、それにどう対処するかというと、結果は往々にして「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり」(『轉法輪』)のことになります。言い換えれば、自分が選択したことが結果になるのです。往々にしてこの一念は生活のあらゆる面に表れており、もし私たちが常人の念や否定的な思考ではなく、正念で出会ったすべてのものに接することを選ぶことができれば、奇跡がますます多くなるでしょう。

 ある年配の女性大法弟子が40度の高熱を出して、家族が病院に行くように促しても、彼女は「私には、師父の守りがあるから病院に行く必要がない」と言いました。 しばらくして、ある日トイレを済ませてトイレの水を流すとき、血でいっぱいになったのを見て、「全部出ちゃったわ! 治ったわ」と叫びました。その後、彼女はバッグを持って、いつものように法輪功への迫害の実態を伝えに出かけました。その結果、彼女は本当にどこも悪くなく、以前よりもさらに元気になっていました。

 もう一人の大法弟子は、ある市場で大法の真実を伝えるカレンダーを人々に配っているとき、腕章をつけた市場管理者が来て、「何を配ったのですか」と聞かれたので、この同修は落ち着いて手提げ袋の中のカレンダーを見せながら、「祝福のものを贈っています」と言いました。腕章をつけた人は「法輪功です! 通報! 通報します!」と叫ぶと、同修は彼を見て微笑みながら「あなた? あなたは通報しないでしょう!」と言って、否定的な考えを一つも持たず、ずっと微笑んでいました。その結果、その男は振り返って、カレンダーを受け取った人に「一冊、持っていけばいいよ」と言って、そこを立ち去りました。

 師父は『轉法輪』の中で、「怖いと思うこと自体が、本当に面倒なことを招いてしまうかも知れません。なぜかと言いますと、怖くなれば恐怖心が生まれますが、それはほかでもない執着心ではないでしょうか?」「たとえば、ちょっとした邪念が起きれば、大きな危険を招きかねません」と説かれました。

 法を学んでから、私は「面倒なこと」と「危険」の源を新たに理解しました。法を正す中では、宇宙の旧勢力は宇宙の法を正す悪魔となり、法を正す時期の大法弟子の立場から見れば、トラブル、危険、連行される、病業などは、心が正しくない時に旧勢力から演化した幻像を招いたものであり、正しくない思考から旧勢力が虚偽の外観を作ったものです。修煉者は見分けをつけず、意識的にも無意識的にも旧勢力の段取りを選択すれば、トラブルや魔難を引き起こすことになります。ですから、私たちは「選択する」ことの重大さを学ばなければならず、何を考え、何を望むかによって、その結果は選択した通りに現れてきます。

 個人のわずかな悟りで、足りない所があれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/7/467722.html)
 
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