中国法会|執着を放下後、家庭の災難は夢のようにおさまった(一)
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文/中国の大法弟子

   【明慧日本2023年11月27日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は1996年に法輪大法を修煉し始めた大法弟子です。今年で63歳になります。第20回明慧ネット中国大陸法会の機に、ここ数年、自分の感情を放下し、人心から一歩踏み出し、家庭環境の中で自身の修煉過程をお話したいと思います。

  1. 修煉は奇跡を起こし、切除された肋骨は再生

 私は夫と仲がとても良く、同じ職場で働いています。かつて、義父母は私と同じ職場の同僚で、両家族はお互いのことをよく知っていました。夫は心優しく、謙虚で、仕事もでき、人柄も良いと評判です。特に結婚後、夫は私や両親、家族にとても優しくしてくれました。当時、私は幸せな生活に浸り、暖かさを満喫していました。

 人は物を食べるため、必ず病気に罹ります。息子が2歳半のとき、私は胸壁結核に罹患し、病変は胸の左側、心臓のすぐ後ろにありました。病変部は腫れて炎症を起こし、心臓に影響を及ぼし、咳、発熱、痛み、動悸、胸の苦しさがありました。投薬、注射、入院、そして三度の手術を受けました。最後の手段として、長さ2~3センチの肋骨の患部を切除し、医師はそれを直接私に見せてくれました。

 退院後の回復期間中、同じ側にまた胸膜結核が見つかり、薬を飲む以外に選択肢はありませんでした。長期にわたる薬の服用により、胃、肝臓、目に炎症が起こり、神経衰弱になり、よく眠れなくなりました。当時、子供はまだ小さく、母が面倒を見ていました。その後、夫は所属部署から外勤を命じられ、休日の休みや本社の会議に参加するときだけ、数日しか家に帰られなかったのです。自分は階段の上り下りも困難を感じ、ましてや数キロのものを持ち上げることもできず、人は生きていくにはあまりにも辛すぎると思うばかりで、なぜ人は生きているのでしょうか?

 1996年8月、郊外の農場に住んでいた母が私の家に来て、法輪功を修煉していると言い、法輪功がいかに素晴らしく、病気の治癒や健康保持にどれほど奇跡的な効果があるかを話してくれました。母が送ってくれた『法輪功』の本を一気に読みました。この本は私の心に響きました。「この功法はとても良いです。修煉を成し遂げれば、宇宙と同じ年齢になり、人間の苦痛や悩みを超えた永遠の生命となることができます」母はすぐに私に静功の座禅のやり方を教えてくれました。私はすぐに入静入定でき、とても気持ち良かったのです。煉功した後は気分も良く、体が軽く感じ、力も増してきました。気が付くと、病気の症状はすべて消えていました。それ以来、私は法輪大法を修煉し始めました。

 身体は良くなり、元気も出てきて、薬を飲むことも、病院で検査することもなくなりました。1998年、会社の通常の健康診断では、私の健康指標はすべて正常でした。特にレントゲンを撮ったところ、切除した肋骨の部分は正常の人と同じく、肋骨は無傷だったことが分かりました。それを見た医師は信じられませんでした。切除された肋骨が再生していたのです。

 2. 状況は急変、家族は味方

 夫は私がこの病気で苦しんでいるのを見て、密かに涙を流しことがあり、私とともに苦労してきました。同時に、大法の修煉によって私の身に起きた奇跡を目の当たりにし、私の法輪大法の修煉を間違いなく応援してくれました。その後、夫は会社から、ある地方のマーケティング業務を任されたために、他県に赴任することになり、家にいることができるのは休日の数日間か、会議のために職場に戻るときだけでした。彼はまだ大法を修煉し始めていませんが、中国共産党(以下、中共)による法輪功迫害が発動された初期の頃、常に私を理解して支持し、大法弟子がすべきことに協力してくれました。

 迫害が始まった当初、大法弟子はさまざまな方法で人々に真実を伝え、大法を実証するために出てきて、大法の無実を訴えるため、北京へ陳情に行きました。非常に恐れていた中共悪党は、各地で大法弟子を監視し、北京に陳情に行かせないよう命じ、さもなければ迫害を悪化させ、そして各地方、各部門、各職場の責任者に責任を問われることになるのです。

 2000年2月2日、春節直前のとき、私は陳情するために、予定通り4、5人の同修と電車に乗って北京に向かっていると、途中で警官に連行され、地元の派出所に連れ戻されました。私は拘置所に55日間不法に拘留され、釈放されて家に戻るとき、家族は4000元近くを強要されました。

 私が帰宅した後、私の職場の上司が夫を見つけて、夫に仕事に行かないで、家で私を監視するように要求し、二度と北京には行かないように、もし、それが出来なければ、夫を解雇すると言いました。夫は会社の上司にこう言いました。「あなたは法律を犯しています。憲法は信仰の自由を定めています。妻は法輪功を修煉することで肉体的にも精神的にも恩恵を受けたのは事実です。私も大法の奇跡を目の当たりにしました。これは誰にとっても明らかです。私は法輪功に反対しません。妻の修煉を理解し、支持しています。それは彼女の自由です」それを聞いた上司は何も言えず、よくわかっていましたが、どうすることもできなかったのです。町内の派出所の警官は夫に何度も迫害への協力を求めましたが、夫はかたくなに拒否しました。そのような迫害状況において、夫の行動は私への慰めになりました。

 あるとき、協同で同修の救出をするとき、たまたま夫が休暇で家にいたため、車の運転に協力してくれました。私たち何人かは一緒に連行され、夫も迫害に巻き込まれ、拘置所に20日間不法に拘留されました。夫は解放された後、県外に仕事に行きました。私は解放された後、夫のところを訪ねましたが、彼は何も言わず、一日中憂鬱で、大法の事にも協力しなくなりました。彼の様子は少し落ち込んだだけで、何事もなかったかのように見えました。夫の気持ちを無視し、彼のことをあまり気にしなかったのは私でした。毎日相変わらず、自分は大法弟子が行うべきことを忙しくしていました。

 3.家庭内トラブル、夫が離婚を申し出る

 ある年の休暇中に夫が帰ってきて、突然離婚を言い出し、外に女性がいる、夫は普通の生活がしたい、もう私と一緒に怯えて暮らしたくないと言いました。その時はとても意外でしたが、内心は驚くほど冷静でした。これは魔難の始まりだと気づきました。私は夫と話し合い、冷静に論理的に説明し、彼は静かに私の話を聞いてくれました。私は「離婚はできない、私たち夫婦は良い関係を築いてきたのに、どうして突然離婚なんて言えるの? 受け入れられないし、出来ません」と言いました。最後に彼は「分かった」と言い、それ以上何も言いませんでした。その後、彼は家を出て常駐先の仕事に戻りました。

 夫が出て行った後、そのことを考えるやいなや、私の心はかき乱され、憤りと怒り、そして相手の女性に対する憎しみがこみ上げてきました。夫は中共の迫害に巻き込まれ、長い間落ち込んで怯えていましたが、私もそれを理解しています。でも、私たち夫婦関係に関しては、彼が不倫して離婚を申し立ててくるとは思ってもみなかったのです。これまで経験した波瀾万丈の人生を振り返り、私は夫婦としての関係を大切にしています。私にはこの家庭が必要です。自分の感情をできる限り抑え、気持ちを落ち着かせ、なぜこのようなことが起きたのかを考えました。離婚は人生において小さなことではない、友人や家族はどう思いますか?  同僚や隣人はどう思うでしょうか?  それが理解できなければ、大法を誤解することになるのでは?  絶対にだめです。絶対離婚することはできません。

 普段、学法を強化し、正念を発し、変わらず法を実証することと、人を救う行いをしています。そして、同修と学法や交流を堅持し、皆と協力して真実を伝え、三退を説得しに出かけることにしています。また、迫害されている同修の救出に協力し、県外の強制労働収容所にいる同修を見に行くこともしました。当時、子供が二度の手術で入院し、私が付き添い、さらに病魔に侵された母(同修)の面倒も見なければならなかったので、誰か手を差し伸べてくれる人がいればと、ずっと思っていました。

 家に帰って1人になると、家庭の問題に直面しなければなりません。考えれば考えるほど、一気に苦難が降りかかってきた気がして、胸が張り裂けるほど苦しかったのです。苦難は長く続きました。その期間中、夫は何度か帰宅しましたが、その都度離婚したいと言っていました。彼と話し合うと離婚しないことに同意するのですが、職場に戻ったとたん、またうまくいかなくなりました。夫が離婚を申し出たことは、家族にも友人にも話しませんでした。夫が帰ってくるのを望む一方で、夫が帰ってくるのが怖かったのです。

 ここ数年、私は正念を用いて嫉妬心、怨恨心、闘争心、色欲心などを取り除いてきました。そして夫に繰り返し真実を語り、それに伴うリスクなども説明し、また相手の女性にも手紙を書きました。色々としていくうちに、心身ともに疲れ果ててしまい、ときには「もう離婚していいかも、大したことではない」とよくない考えが出てしまうこともあります。

 ある時、夫が帰ってきたので、私は地元の同修夫婦を誘い、4人でレストランで夕食をしたのですが、同修夫婦は結構いろいろな話しをしました。夫は帰宅後、少し不機嫌になりました。その後、夫はあまり家に帰ってこなくなり、離婚のことも一切口にしなくなりました。さらにその後、家に帰らなくなったのです。しかし、ある時夫から「一緒に住みたい」と言われ、数日間一緒に暮らしましたが、結局私は地元に戻ることにしました。故郷は私が大法を学び始めた場所であり、よく知っている同修もおり、救わなければならない人もいます。

 ある夢の中でこんな光景が現れました。「ある時空において、私は家に妻がいた男でしたが、家を出て妻を捨て、最後に妻は惨めな状況の中で、亡くなりました。私は家に帰って最後にもう一度彼女に会うことにしました。家に帰ると、彼女の元神は長い間、体から離脱していました。私は彼女の顔を覆っていた白い布を外すと、そこに見えたのは今生の夫の顔でした」私は理解しました。純粋な個人の修煉はそのようなものかもしれませんが、今は正法修煉であり、私も師父の法を正すことを補佐し、衆生を救い済度する使命を担っています。このような按排は大法に認められておらず、師父の法を正すことを妨げています。私は大法を師として、人心を取り除いて修め、情への執着を放下し、家庭の婚姻の苦難から抜け出したいと思いました。

 旧勢力は私の人心を掴み、それを試練と名乗り、修煉者の名誉を傷つけ、一部の衆生を滅ぼそうとしました。これは絶対だめです。それを否定し排除します。三つのことをしっかりと行いながら常に自分を正していき、夫が家に帰ってくるかどうかを気にせず、夫への情に執着しないようにしました。

 この件をあまり考えないしていると、その年の旧正月に、夫は突然戻ってきて、何事もなかったかのように食料品を買い出しに行き、料理をしたりしていました。私の心はとても穏やかで、彼が戻ってくるのは日常的なことだと思い、離婚は夢のように過ぎ去っていきました

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/15/467917.html)
 
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