迷いを解きほぐす
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文/中国の大法弟子

  【明慧日本2023年12月4日】自宅のプリンターがまた動かなくなりましたので、修理してくれる技術者の同修に頼みました。その同修が来ると、いつも通りプリンターを拭き、機械の中の汚れをきれいにしました。そして再び電源を入れると、機械は正常に動きだしました。

 私は以前、プリンターが動かないので同修の技術者に声をかけたときのことを思い出しました。 その時も、技術者の同修は機械の横に立ったまま何もせず、機械のスイッチを入れると奇跡的に動き出しました。しかし、その同修が帰ると2日も経たないうちに、また同じ問題が生じるのでした。

 私は、自分が機械修理の素人であり、機械のわずかな問題で混乱し、圧倒され、上辺の原因に陥り、どうしていいかわからなくなっていることに気づきました。しかし、技術者の同修にとっては、長年の経験と相まって、法の中で修煉して培われた正念の場が、どこに漏れがあるのか一目で見つけることができ、他の次元の生命が機械を使って虚像を演じる機会もないため、機械は自然に正常な状態に戻るのです。

 このことから、師父は法の中で「人間の身体は病気があるべきものではなく、病気があるのは間違った状態にあるからで」(『轉法輪』)と話されたことを思い出しました。 特に、法を正す時期に師父は大法弟子たちに個人修煉の関を設けておらず、不法な監禁や病業などのさまざまな魔難が現れたのは、旧勢力が人心や執着を利用して虚像を作り出した為です。大法弟子にこのような正しくない状態が現れるのは、修煉者としてまだ見つけることができず、あるいは見極めることができない部分があるからです、言い換えれば、今はまさに大法弟子が法の中で向上しなければならない時期であり、正念を修め、見通す智慧の目で邪悪な幻像を見破らなければならない時期なのです。

 師父は「迷いを破るは、高処に在り」(『洪吟』「迷い」)と言われました。 たとえば演劇を鑑賞する観客なら、その劇の監督はだれか、脚本は誰か、どの俳優はどの役を演じるのかに対してはっきりしているのですが、社会という大きな舞台の上で私も何らかの役になり、往々にして自分の役に閉じこもって問題を見たり考えたりしがちで、誰が手配し、誰が操作し、誰に利用されていて、誰の要因が働いているのかを考えることを怠りがちです。上辺の問題解決に留まり、言い換えれば、常人の解決策で問題を解決することは、決して解決できません。そして、たとえ一時的に解決されたとしても、別の空間に根っこが残っているため、またその問題が表面に浮き出てくるのです。

 異なる次元に異なる迷いがあります。私自身は、大法における修煉とは、絶えず執着心をとりのぞき、絶えず法理を理解し、絶えず次元を高め、より高い次元で宇宙の真理を見つけ、それに触れる過程であると悟りました。正法の修煉において、師父は私たちに、旧勢力のすべての取り決めを否定することを望んでおられ、それはまた、さまざまな次元で旧勢力が作り出した妨害を絶えず認識し、否定する過程でもあります。ある次元でこの迷いを見抜き、見破ることができないのは、古い生命や要因が私たちの執着の中や、心の中、観念の中に隠れ、より微細な私たちが思う「自然の流れ」だというものの中に隠れ、そして私たちの考えに影響を与え、操作しているからです。しかも、私たちはこれがすべてのあり方だと考えています。 しかし、私たちが向上ができ、この謎を打ち破ったとき、これらも隠れる場所を失うのです。

 師父は「修めた次元の高さによって、その次元の理、その次元の宇宙の真相を悟るからです」と説かれました。(『導航』「ワシントンDC国際法会での説法」)

 私たちの修煉は、もはや単に自分の執着心を見つけ、個人的な圓満を求める過程ではなく、私達の修煉はさまざまな異なる次元の真相を絶えず実証して悟ると同時に衆生を救い済度しながら、師が法を正すのを手伝い、誓いを果たす過程であります。

 少しの個人的な悟りですので、不足なところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/22/468485.html)
 
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