同修を助けることは、即ち自分を助けること
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年12月7日】私は80歳近い高齢の大法弟子です。 以下では、私が2人の同修とともに法を学び、同修が病業の難を乗り越えることを助け、一緒に精進し、共に成長したことについて交流したいと思います。これらの経験から、私は師父の偉大さと大法の奇跡を実感しました。

 私たちの中には80歳の高齢の女性修煉者がいます。ここでは彼女をAさんと呼びます。2020年末、新型コロナの流行が最も深刻な時期に、彼女は突然家で倒れ、息子が彼女を病院に連れて行きました。当時、彼女は集中治療室で救急処置を受け、重症と知らされました。数日の昏睡状態の後、彼女は目を覚ましました。同じ病室の人たちは、彼女が生きて戻ってこられるとは考えていなかったと言いました。

 Aさんが目を覚ました後、彼女は何も覚えていませんでした。どうやって病院に行ったのかも分からず、その数日間に起きたことも全く分かりませんでした。同じ病室の人たちが言うには、その数日間は毎日誰かが亡くなり、誰もが彼女が生きて返るとは思っていなかったそうです。彼女は約2カ間入院した後、家に帰りました。

 この2カ月間、同修たちが彼女に電話をかけても誰も出なくなり、後には電源を切ってしまいました。彼女の家に行っても誰もドアを開けてくれず、家族も見当たりませんでした。彼女がまた病院に行ったかも知れないと思い、同修たちは彼女を探しに病院に行きましたが、病院の中に入ることができませんでした。後で彼女が戻ってきたと聞き、私と他の2人の同修は彼女を見舞いに行きました。しかし、彼女の息子がドアを開けず、中に入れてくれませんでした。さらには不快な言葉を言い、警察に通報すると言い出しました。仕方なく私たちは引き返しました。

 帰ってからも私はまだAさんのことが心配でした。一緒に法を学んできた年月を思い起こし、彼女が法輪功の素晴らしさを伝え、資料を配る姿を思い浮かべ、彼女が今一番会いたいのは同修だろうと考えると、心配でたまりませんでした。しかし、彼女の息子がまた、中に入れてくれない可能性があり、彼の通報を恐れ、多くのネガティブな要因や人々の見解が浮かび上がりました。そこで師父の一句が私の脳裏に響きました。「修煉だから、困難に圧倒されないでください。どんなことがあっても、いくら難しくても、師父があなたに与えた道をあなたはきっと歩んでくることができます。(拍手) 心性さえ向上すれば、乗り越えることができます」(『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」)師父の言葉が私を励まし、自分が過去に多くの大きな試練に立ち向かってきたことを思い出し、このわずかな困難に怖気(おじけ)づく必要はないと思い、Aさんの所に行こうと決心しました。

 師父は私の心を見てくださり、夜、ある夢を見せてくださいました。その夢はとても記憶に新しく、夢の中で、私は大海の中で船に乗っていました。その船には他にも何人かがいましたが、突然ある人が船が浸水していることに気づきました。私たちは船を急いで岸に漕ぎ寄せ、船に乗っていた人たちはみんな岸に上がりました。その時、私は船の上に動けないある老婦人がいるのを見つけ、岸の人たちに助けを呼ぼうと思いましたが、彼らはすでに立ち去っていました。私が一瞬我に返ると、私と老婦人はすでに岸にいることに気づきました。

 目を覚ました後、私は師父が私の心を見て、夢の中で私を点化してくださっていることに気づきました。実際、師父は私たちの身近におられ、私たちが考えていることはすべて知っておられ、すべては師父がしてくださっています。翌日、私は正念を発しながらAさんの家に行きました。同修への思いに心を痛め、涙が流れました。ドアをたたくと、いつもの通り彼女の次男がドアを開けました。彼は私が1人で来ていて泣いているのを見て、何も言わずに中に入りました。私はそれに続いて家の中に入りました。彼女の次男は「私の母を見舞いに来てもいいが、法輪功のことには触れないでほしい」と言いました。彼はそれを言い終えると、ベッドの脇に座りました。

 私は、Aさんがベッドに横たわって動けず、声も力なく話すのを見て、彼女に「何も思い出せないのか?」と尋ねました。彼女は「法を学んで煉功し、正念を発することだけを覚えている」と言いました。しかし、どのように煉功し、どのように正念を発するかは覚えていないと言い、ただ法を学ぶことだけは知っていると言いました。翌日、彼女は次男に法を学びたいと言い出すと、次男は法輪功の本を捨てようとしました。彼女はそれに抗議して食事をとらず、話さなくなりました。次男は仕方なく本を取り出して彼女に渡しました。本を読む過程で、彼女は対面の壁にたくさんの法輪が回っているのを見たと言い、私は師父が彼女を励ましてくださっていると思いました。

 私は、彼女の次男が夜になると自分の家に帰ることを知っていました。彼女は長男と一緒に住んでおり、長男は頭の病気はありますが、彼女が修煉することには反対しませんでした。そこで私は夜に彼女の家に行くことにしました。彼女との交流の中で、彼女の肺が白い状態であることを知りました。しかし、彼女は意識がはっきりしてくると、それを病気とは認めず、自分は修煉者なので病気なんかはないと言い、私に煉功や正念を発することを教えるよう求めました。煉功後、彼女はすぐに自分で歩けるようになり、トイレにも自分で行けるようになり、食事もできるようになりました。彼女は一日で様々な変化を遂げ、顔には肉が戻り、元気になり、話す力も戻りました。外に出られないときは、電話で語り、人々を救っていました。その後、彼女の次男が仕事に行っている時は、彼女は学法グループに戻り、みんなと一緒に学法することもできました。

 Aさんは大法と師父を堅く信じ、病気と認めなかったため、半月もしないうちに正常に戻り、法を学び、煉功できるようになりました。後で再び彼女の家に行くと、次男の態度も変わっていました。私たちの基点が正しくなると、すべてが順調に行くのです。

 それからもう一つ、今年の立秋前に発生した出来事があります。ある日、同修が私の家に来て、某某(ここではBさんと呼びます)同修が病院から戻ってきたと言いました。私とBさんは同じ小区に住んでいましたが、Bさんが入院していたことは知りませんでした。その後、私はBさんの見舞いに彼女の家に行きました。Bさんは78歳で、娘と一緒に住んでいます。私は、彼女がベッドに横たわっており、話す気もなく、目を開けようともせず、ベットから下りることもできず、食事もしたくなく、娘に食べさせてもらっている様子を見ました。彼女は今回は脳梗塞と脳卒中で入院したと言いました。私は彼女と相談して、彼女と一緒に法を学びたいと言いました。彼女は字が見えないと言うと、私は、読んで聞かせると言いました。

 翌日、私が彼女の家に行くと、彼女の息子が玄関で私を遮って中に入れないようにし、私を通報すると言ってきました。Bさんの息子は一貫して法輪功に反対しており、特に修煉していた父親が亡くなった後、法輪功に対してますます否定的になりました。後でBさんと相談し、夜に彼女の家に行くことにしました。彼女は夜8時に来るようにと言ってきました。私は7時半ごろに彼女の家に行きましたが、扉は閉まっていました。ドアをたたいても誰も開けてくれませんでした。私は諦めずにまた行き、再びドアをたたきました。最初は私が一人で彼女に法を読み聞かせることから始め、師父の経文を読みましたが、彼女は見えないから読みたくないと言いました。後で彼女に短い経文を読んでもらうと、彼女は見えることに気付きました。法を学んだ後、彼女はベットから下りることができ、食事もできるようになり、口も歪まなくなり、トイレにも行けるようになりました。

 その後、もう1人の同修が来て、私たちは3人で一緒に法を学びました。それらの日々、彼女は本当に一日ごとに変化し、半月以上たった後、Bさんは学法グループに行けるようにもなりました。本当に奇跡的でした。

 法輪功への迫害が始まった最初の頃、私とBさんは同じ看守所に収監されました。その頃、私は修煉のことをあまり理解していませんでしたが、Bさんのある1つの出来事は今でも記憶に新しいです。ある日、彼女の母親が子供と親戚を連れて、彼女との面会のため看守所にきました。彼女が母親に会うと、母親と親戚は地面にひざまずきました。その日は雨が降っており、地面は泥と水で覆われていました。彼女の母親は言いました。「あなたが署名しない限り(法輪功を修煉しないことの誓約書)、私は起きないよ」と、しかし、Bさんは断固として署名を断りました。

 この出来事は私に大きな衝撃を与えました。そして、迫害が最も厳しい頃、多くの同修が資料を配布することを恐れて家を出ない中、私が資料を持ってBさんの家に行き、彼女に欲しいかどうか尋ねると、彼女はすべての資料を受け取りました。また、ある時、彼女は車にぶつけられ、車の前部にはひどい凹みがありましたが、彼女は何事もなく無事でした。このような素晴らしい同修でしたが、病業に見舞われた時、子供の意志を左右することができず、子供によって何度も病院に運ばれましたが、彼女はとても強い正念を持ち、毎回乗り越えてきました。

 この2つの出来事を見ると、私が仲間を助けているように見えますが、実際には自分を修めていました。その過程で私は多くの執着心を切り捨てることができました。特に恐れの心、彼女たちの子供たちに通報されるのを恐れ、家に入れてもらえないことを恐れ、面子を失うことを恐れ、面倒くさがる心などを修めました。師父は法の中でこのように説かれました。「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」(『各地での説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」)私たちは真の修煉者であり、大法から多くの恩恵を受けています。しかし、私たちは大法から恩恵を受けるばかりではいけません。大法のために、心を尽くさなければいけません。私が行っているすべては私の向上の過程であり、実際の修煉の過程です。辛い時もありますが、心はとても幸せです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/29/468652.html)
 
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