大法弟子は法の中で修煉しなければならない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年12月9日】私は、師父が説法の中で説かれた「大法弟子は法の中で修煉しなければならない」の理由を一部整理しました。やはり、学法するときは通読して暗記したほうがトラブルに遭った時に師父の説法を思い出すことができ、自分の言動を律することができるからです。

 法理を理解してこそ修煉することができ、旧勢力に隙を突かれず、円満成就することができると私は思うのです。

 師父はこのように説かれています。「皆さんとして、大法弟子は最後になればなるほど、自分の道をしっかり歩み、時間を大切にして自分をしっかり修めるべきです」、「必ず法をしっかり勉強すべきであり、それは皆さんが位に帰るための根本的な保障です」(『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」)

 「法の中で修煉しなければ、真に法を認識することができません。本当に法を身につけてはじめて、正しく道を歩むことができ、この生命は保証されます」(「二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法」)

 「大法弟子は法にのっとって修め、大法弟子の三つのことをしっかり行なって初めて、道を正しく歩み、自分の不足を洗い落とすことができます」(『各地での説法十二』「二〇一二年米国首都国際法会での説法」)

 「大法には名も利も官もなく、ただ、修煉あるのみです」(『精進要旨』「猛撃一掌」)

 「本を読み、本ばかり読んで、大法弟子として行うべきことを行わない人と同じように、あなたは大法弟子なのでしょうか?」(『各地での説法十一』「二十年説法」)と説かれました。

 また、師父は『轉法輪』の中でこのように説かれています。

 「気功は修煉であり、超常のものなので、常人の中の体操とは違い、心性を重んじないかぎり病気も治らなければ、功も伸びないのです」

 「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」

 「常人は、常人社会において常人にほかならず、いかに発展しようとか、いかに良い暮らしをしようとかばかり考えます。贅沢な生活をするほど、私心が強くなり、ますます多く占有しようとし、ますます宇宙の特性に背き、滅亡に向かうのです」

 「煉功者が金を求めて、何をするのでしょうか? 家族のために厄払いを求めたり、病を治すことを求めたりすることさえも、家族への情に対する執着なのです」

 「常人社会に来ている間は、ちょうどホテルに泊まるようなもので、しばらく滞在したら、たちまち去っていくと言われます。ところがこんな場所に未練がありすぎて、自分の家を忘れてしまっている人がどうしてもいるものです」

 『精進要旨』「佛性に漏れなし」の中で師父は、「まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」と説かれました。

 私は、師父の説法通りに志を決めてこそ、常人の名誉、利益、情を放下しやすくなり、法を正す進展に追いつくことができると思うのです。

 では、なぜ最後になればなるほど、法の中で自分を修めなければならないのでしょうか?

 1、一部の年配の大法弟子は、自分が年寄りで記憶力も低下していることを理由にして、自分の「人心」にまだ気づいていません。長年法を勉強してきて、神になる道を歩んでいるあなたには法があって、師父が見守ってくださっています。人の理を修煉者の理とみなしているのではありませんか? 法の中で修めていますか?

 毎日法を勉強することは、法理で自分自身を律し、常人社会で形成された習慣、正確、考え方、自我、貪欲など、利益や欲望を追及するためのさまざまな人心を正すためです。

 毎日の一つ一つの言動や考え方を、すべて師父の説法と照らし合わせて自分を正してこそ、法の中で修めているのです。心を修めず、心性を高めなければ、大法の法力と智慧を感じることはできません。

 2、常人の心を放下し、財産や利益、名誉、情等に対する欲望を放下しなければなりません。特に年配の方は、師父の説法に従って自分を正さなければ、旧勢力などの邪悪はあなたを許さないでしょう。

 3、最後になればなるほど、師父の法理に厳しく自分を照らし合わせ、自分を厳しく律しなければなりません。決して自分を甘やかしてはなりません。

 4、真の修煉者として、円満成就することは、非常に難しいと私は思います。大法は古今東西、すべての佛、道の理を含み、宇宙の万事万物、膨大な衆生と関連し、円満成就するには、これらの生命に認めてもらわなければなりません。大法弟子に対する要求も非常に厳しく、さらに私たちに残された時間もわずかとなりました。

 複雑な人心により、徹底的に自分の観念を逆転するには、まさに生まれ変わる過程と言えるでしょう。師父は毎回の説法で、大法の厳粛さと、大法弟子は自分の修煉に厳粛に対処しなければならないことを説かれているのです。

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/12/4/468917.html)
 
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