修煉の道を正し、善念を修める
■ 印刷版
 

文/遼寧省の大法弟子 小溶

 【明慧日本2023年12月13日】私は16歳の時に法輪大法と出会いましたが、最近になってようやく真の修煉について理解できるようになりました。無限の慈悲を持つ師父は、愚かな自分を呼び覚ましてくださったのです。しかし、実際に真に修煉し始めると、自分がたくさんの執着心や良くない人心を持っていることに気づき、法輪大法の要求と大きなギャップがあることに気づきました。それでも毎日、法輪大法の中で育まれる理性と向上する正念で修煉に励み、自ら法に同化する真の修煉の過程で、これらのよくないものは次第に無くなっていくと信じています。なぜなら私は心の底から法に同化し、法の粒子になり、無私で他の生命のためになることを望んでいるからです。

 以下、私の修煉の中であった小さな気づきについて、同修のみなさんと交流したいと思います。

 偏りを修正し、法を師とする

 法輪大法の修煉では、私は新しい学習者にすぎません。以前は古くて悪い考えにしたがって、20年以上の長い歳月を浪費していました。当時、私は信仰というものはすべて同じで、苦しみから遠ざかり、守られるためにあると考えていました。しかも神仏が本当に存在するかについては、それは苦しみの中で生きる人々の心の糧に過ぎないかもしれないと思っていました。

 自分自身が持つ業力や共産党の「無神論」の影響を受け、そして現代の変異的な考え方が組み合わさり、それに自己満足し、自分の考えに固執して、私は大法を真剣に受け止めず、理性的に考えることができませんでした。これは私が真に法を得ることを阻止している一番の原因でした。

 ある時、嫉妬心と人情の影響で、私は魔性を露わにし、家族の同修を擁護するため、他の同修であるYさんを言葉で傷つけました。私の私心と、私の親しい人が他の人に言われるのはいやだと思う変異的な考えから生じたもので、これは邪悪な党文化から来た嫉妬心と闘争心です。

 当時、同修Yさんが冷静にしているのを見て、私はもうこれで何事もないだろうと錯覚し、他の人がそれを受け入れられるかどうかは気にせず、同修Yさんを傷つけてしまったことには一切触れませんでした。

 ある日、同修Yさんを訪ねたとき、彼女は急に当時のことを思い出し、私を叱責してきました。「あの時のあなたの行為は、邪悪な党の戦狼外交と何が違うの?」などと厳しい言葉ばかりで、それは本当につらいものでした。なぜこんなに辛いと感じるのか? 辛いと感じるほど、私の人心は重いことを示しており、誰かに言われるのが嫌で、自尊心が傷つくのが嫌で自分の評判を失うことを恐れていたのです。

 恵まれた環境で育った私は、このように叱責されたことがなかったので、不当な扱いを受けたと感じ涙がこぼれました。同修Yさんは私に尋ねました。「なぜ泣いているの? 私が言い過ぎた?」私は答えました。「いいえ、ただ私の性格が弱いだけで……」彼女は私の話しを遮りました。「そうではありません! あなたはあの時(私が彼女を傷つけた時)は弱くなかった、とても強かった」私の顔は時折熱く、時折冷たくなり、心臓は緊張してバクバクと打ち、どこかに逃げ出したいぐらいでした。しかし、真の私ははこれが向上するためのチャンスであることは分かっていました。

 同修Yさんが言っていることはすべて正しい。あの時、人を攻めるような強引な態度で争いたてるのは弱い人だろうか? 今は顔を赤くしてか弱そうなふりをしていますが、それは私の面子を立てるためであり、この一面も現れてしまっているのです。何度か彼女の話しを止めて弁解しようと考えましたが、師父が『洪吟三』の「辯少なしに」で「釈明しようとすればするほど心重し」と語られていることを思い出し、思い切って口を閉じました。「私は何を説明しようとするのか? それらの執着心のために何を言い訳するのか? 同修Yさんを実際に傷つけてしまったので、私は返さなければならない」と思いました。

 その数分間は、私にとって非常に長く感じました。私は同修Yさんに真摯に謝罪しました。信じられないことに、心の重荷がますます軽くなり、私は同修Yさんに感謝しなければならないと感じました。同修Yさんの厳しい言葉は、師父がこの機会を通じて私に喝を入れてくださり、私に修煉上の偏りと、人々の間で露呈した執着や誤った考えに気付かせてくださったと思いました。法を師とし、人情に流されて自分をごまかすことなく、修煉に真摯に向き合い、模範はなく、修煉は自分の心を真剣に修めることです。

 心が動じず、他者のために責任を果たす

 私と夫は以前からの親友で、その後縁があり夫婦になりました。15年前に彼と出会ってから、私は彼に法輪功を修煉していることを伝えました(その頃は本当に修煉していませんでした)。私から告げた直後は、数秒間固まっていましたが、彼は予想外の行動をとりました。私の手を握って、真剣に言いました。「あなたは必ず私を救ってくれるよね!」

 今になってわかりましたが、当時彼の分かっている真の一面はきっと救われることを望み、大法に対して望んでいたからだと思います。以前、彼は「なぜあなたはそんなに良い人なの? いつも他人のことを考えている」と言っていました。私を妻として選んだ彼は、法が彼を救えると信じており、私が彼を救えると信じていたに違いありません。しかし、私は上記の執着心のために時間を無駄にし、彼のように私に呼び覚まされることを待っている、私と縁のある貴重な生命を見逃していたのでした。

 夫は優しい人で、責任感があり、生計を支える重責を担っており、私にはとても世話を焼いてくれます。私は快適な生活に慣れていて、与えることや感謝することを知らなかったし、責任感も持っていませんでした。夫は仕事が忙しく、月日が経つにつれて私の精神的バランスがくずれ、夫が私と家族を優先してくれることを期待していて、期待に添わないと不満が募り、自分が望む簡単なことすら叶わないことに耐えられず、彼に対して文句をつけました。私は彼が変わることばかり望んでいて、自分が欲しいものが手に入らないことに我慢できなくなり、私が目にしているのは彼が私にした不当なことだけです。

 子供ができてからはさらに深刻になり、私は仕事を辞めて子供を育てました。そうすると不満の心が増し、一人だけで育児をするということが受けいれられず、限界を感じることがよくありました。私の執着心が強すぎたので理不尽になり、法輪大法から離れることになりました。その後、ストレスがかかりすぎて、実家の助けを求め、子供と一緒に故郷に帰りました。夫は一人で外で働き、私たちは別居となりました。このような機会があり、私は再び法輪大法の修煉に戻ることができました。

 真の修煉を始めた後、以前は、基本的な家庭環境がしっかりできていなかった結果であることに私は気づきました。夫に長い手紙を書き、彼が大法の真実を理解し、大法に対して肯定的な認識を持つことを望んでいます。その後、私たちの関係は改善し、家庭環境も良い方向に向かっていました。

 今年の5月のある夜、夫から電話があり、お金で問題を解決する必要があると言われ、家を売ることになるかもしれないと言いました。私は彼が外で何か投資をして借金を抱えていると思い、彼に何が起こっているのか尋ねました。その時、電話の向こうで女性がイライラした声で、「女の問題を解決するのよ!」と言っているのが聞こえました。夫がその女性と口論しているのが電話から聞こえてきました。彼は一度電話を切り、後でかけ直すと言いました。私は一気に言葉を失いました。本当に予想外でした。

 夫が浮気していると知り、ショックで頭は空っぽ状態でほとんど何も考えられませんでした。その後、夫からショートメッセージが届きました「私は間違ったことをした、心配しないで」 しばらくして夫から再び電話がかかってきて、「その女はずっとついてきて、ナイフを持って僕に選択を迫ってくる。しかし僕は家族を選び、あなたと子供を選んだが、彼女がお金を要求してきたので、お金をあげたい」と言いました。お金がなくなったらまた稼げばいいと言い、その女は悪い人ではなく、夫に対して憎しみと敵意を持っているだけだと言いました。また夫は、私が一人で家にいるときは特に注意して安全を確保するようにと言いました。なぜならその女性は私がどこに住んでいて、どんな車に乗っているかを知っているからです。

 私は冷静で真剣な口調で夫に言いました「あなたのメッセージを受け取りました。あなたは自分の過ちに気づいたと言いました、それは正しい始まりです。心配しなくてもいいです。お金はまた稼げばいいです。あなたたちの問題をうまく解決してください」

 電話を切った後、いろんな考えが頭を飛び交いました。それは普段からの常人の考え方や良くない考え方でした。私は自分に言い聞かせ続けました。「私は修煉者だ!」ただこの一念を強く押していくことばかりしました。この時、もうすぐ世界中で正念を発する時間でした。私は最大限の力を使って正念を発しました「旧勢力のすべての按排を否定する! 私は師父の言葉だけを聞き、師父が用意された道だけを歩む」 その夜、私は2時間も経たないうちに目が覚め、行動が鈍く感じられ、何をしているのかわかりませんでした。しかし、目が覚めている限り、自分に言い聞かせ続けました「私は修煉者だ、私は修煉者だ」それはとても苦しい夜でした。

 翌日、様々な考えが再び頭に浮かびました。今後夫にどう接するべきか、何もなかったかのように振る舞うべきか、それとも厳粛に彼に語りかけて、このような行動は自分と家族に害を及ぼすし、業を深くすることになると説明するべきか。ナイフで脅されて、彼は安全なのか? その女性が手を引かなくて、私に問題を起こす可能性がある場合はどうすべきか。彼は昨夜の選択を一貫して守ったのか。また、彼が家を離れた場合、小さい子供はどうなるのかなど。これらの自問自答の後には、強烈な執着心がありました。これらは私の現時点での修煉の状況の表れでした。

 その後、私は自分のレベルで法から得た悟りと正念を持って、各々の不確実な状況に対処することを決めました。旧宇宙の観念に基づく考えや否定的なものを克服しました。私の心はついに穏やかになり、善と慈悲を持つようになりました。

 学法を通して、嫉妬、憎しみ、争い、失うことを恐れる心が涙とともに消えていくことを感じました。

 師父が弟子のために法を語り、夫婦間の因縁を解消し、弟子の善念を開き、弟子に善を理解させてくださったことに感謝します。大法の中で培った善意への理解と慈悲のおかげで、今日の私がこのように冷静で静かでいられるのです。すべての人は自分に与えられた果たすべき責任があり、世間の人々は大法と大法の弟子に対して無限の期待を寄せて来たのです。自分をよく修め、引き寄せられず、他に対して責任を持つことで、師父の慈悲と苦労に報いることができます。

 感謝! 感謝しかない

 数年にわたる修煉の過程で、かつての私は非常に自己中心的で傲慢で、自分を過大評価していました。仕事を真剣にせず、怠けている自分がいました。現代の歪んだ価値観と共産党の文化が頭に詰まっていました。そんな私が、今の混沌とした世の中で、法輪大法を修煉して幸運を得られたことは、生命が本当の意味で大法の中で昇華し、大法と師父の洪恩を浴びているからです。感謝しかありません!

 現在、大法で修煉できる貴重な毎日に感謝します。感謝します!  師父が用意してくださったすべてと無限の慈悲に感謝いたします!

 今後、もっと修煉に励み、常に法を基準とし、出会うすべてのことに真・善・忍の法理と照らし合わせ、自分の心を世間の是非に触れさせず、自己を修めることで他者を救えるよう努めます。

 合掌!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/12/4/468891.html)
 
関連文章