文/河北省の大法弟子
【明慧日本2023年12月15日】20年余りの修煉の道のりの中で、数々の困難を経験し、師父のご加護のもとで乗り越えてきました。以前は何とも思っていませんでしたが、最近の2つの関を通じて、師父の慈悲深さを実際に体験し、心の底から感謝の気持ちでいっぱいになりました。
最初の出来事は、間違ったものを食べたことによる食中毒でした。嘔吐と下痢が止まらず、高熱も下がらず、4時間ほど寝てしまいました。師父が体を浄化してくださっていると知っていながらも、内心から師父に感謝しなければならないことに気づかず、このことは過ぎていきました。
まもなくして、再び同じ症状が現れましたが、前回よりも重症でした。全身いたるところが激痛に襲われ、特に腹痛がひどく、一晩中続きました。
師父に助けを求め、『轉法輪』を手に取りました。開いたページは「第六講」の「心を正しくもつべし」のところでした。師父は「その他に、どんなことが起きるのでしょうか? 急に身体の調子がおかしくなったりもします。業の償いですから、いろいろな形となって現われてきます。ある時期になると、功が本当に存在するのかどうか、修煉はできるものなのか、果して高い次元へ修煉していけるだろうか、佛は本当に存在しているのか、などについて、あなた自身が紛らわしく思い、迷ったりすることが起きます」(『轉法輪』)と説かれました。
しばらく学法した後、横になりました。これは歴史上、自分が造った業なのかもしれません。うとうとしていると、別空間に入り込んだかのような感じがし、師父が私の骨を一つずつくっつけているのが見えました。久しぶりに父親に会えたかのようで、涙が溢れました。
目が覚めた後、私は泣きながら師父の法像の前に跪きました。師父は「険悪を遠ざけよう」の中で「修煉のなか、『人間』が理不尽なことを受けたり、『人間』が邪悪に迫害されたりするとき、あなたを守っているのは師父であり、同時に師父があなたの罪業を肩代わりしています」と説かれました。私は徐々にこの説法の意味を理解できました。
修煉の中で、師父はすべての弟子を見守っておられます。これを感じ取る人もいれば、感じ取れない人もいるでしょう。関の大小にかかわらず、師父の慈悲なる済度が含まれています。ですから、何事に遭っても、たとえそれが公平であっても、不公平であっても、病業による関であっても、邪悪による妨害や迫害であっても、私たちには法があり、師父がいてくださり、私たちのすべては師父が把握されているのです。すべての人心を取り除き、心性を高め、人心から抜け出して神になるのです。師父の慈悲なる済度に、御恩に、ただただ感謝の心を抱きましょう!