正念で神韻宣伝を加持することについて
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文/イギリスの大法弟子

 【明慧日本2023年12月21日】現在、世界各国で神韻の宣伝に忙しく、プロフェッショナルな宣伝方式がメインとなっています。しかし、大法弟子の中にある現象が現れ始めていることに気づきました。それは一部の大法弟子がほかの項目に専念し、神韻のことをあまり気にかけなくなったということです。これにより、神韻公演に向けた発正念も少なくなりました。これは注目に値する問題だと私は思います。どのような方法で宣伝しても、大法弟子の発正念は、非常に重要であると考えます。

 師父は『轉法輪』の中で、「人の天目の次元を決めるものは何でしょうか? 天目が開いたからといって、すぐ何もかも見えるというわけではなく、それには次元の問題がかかわっています。ではその次元はいったい何によって決められているのでしょうか? そこに三つの要素があります。第一の要素は、天目の中から外まで、われわれが精華の気と呼ぶ場がなければなりません。それは何の役割を果たしているのでしょうか? テレビのブラウン管で言うと、蛍光物質がなければ、スイッチを入れても、ただの電球に過ぎず、明かりがあっても、画像はありません。蛍光物質があってこそ、画像が映し出されます。ただしわれわれの天目が直接見るのと違って、テレビはブラウン管を通さなければ映りません」と説かれました。

 私が思うに、神韻の市場を開くことを天目を開くことに例えるなら、大法弟子の正念の場は師父が説かれた「精華の気」であり、神韻を宣伝する際に必要不可欠なものです。

 神韻は、最も有力な衆生を救う項目です。そのため、成熟したプロフェッショナルな宣伝手段は絶対的だと言えるでしょう。修煉の面から、神韻公演は衆生を救う過程で旧勢力に妨害されるので、大法弟子は発正念をして、妨害を除去しなければなりません。そのため、プロフェッショナルな宣伝はもちろん重要ですが、大法弟子たちの発正念も同じく重要なのです。

 これは、神韻宣伝に携わる同修たちを支える力の源となるのです。ですから、宣伝に参加していない同修たちの正念が強ければ強いほど、大きなパワーが発揮でき、宣伝効果も高まるのです。

 各地の状況により、直接宣伝に参加できる同修の数が異なります。しかし、神韻公演に向けての発正念はすべての大法弟子が重要視すべきことであり、かつ参加しなければならないことだと思います。そして、神韻の宣伝は、現地の大法弟子たちの修煉に対する試練でもあります。現地の大法弟子たちがいかに神韻を重要視しているか、その度合いによって正念の場も異なり、神韻公演の成功につながるのです。

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び、比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/12/18/469440.html)
 
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